129 着替え
食事が終わったリーナは着替え用の部屋に向かった。
午後は引き続き側妃候補の審査があるが、それが終わると侍女や侍女見習いによる出し物が始まる。
その時には指定された衣装を着用しなければならないため、すでにアピールが終わっている側妃候補付きの者は必ず着替えておかなければならなかった。
あのドレス、綺麗だけど高かった……。
リーナはダンスの特訓を受けていたために購買部に行くのが遅くなり、売れ残っていた高いドレスを購入しなくてはならなかった。
リーナが着替え部屋のドアを開けると、部屋の中は大混乱の状態だった。
「どうしたのですか?」
「衣装箱の位置が変わっているのよ!」
後宮華の会に参加する侍女や侍女見習いは、大宴の間に来る前に午後に着用する衣装を着替え用の部屋にある木箱に入れておくことになっていた。
一見しただけではどれも同じ木箱に見えるが、鍵は違う。
どこに自分の衣装が入った箱が置いてあるかを覚えておく必要があった。
ところが、午前中に部屋の掃除で召使いが木箱を移動させてしまい、覚えていた場所にある木箱の鍵が開かないという騒ぎが起きていた。
リーナも覚えていた場所にある木箱を開けようとしたが、鍵が合わなかった。
「別の場所に移動しているみたいですね……」
この部屋のどこかにあるはずだが、開けられていない木箱の数は多い。
運が良くなければ、見つけるのにかなりの時間と手間がかかりそうだった。
「聞きなさい!」
序列の高い侍女が叫んだ。
「序列の高い侍女の箱探しと着替えを手伝いなさい! その次はアピール時間が迫っている側妃候補付きの侍女と見習いです! すでにアピールが終わっている側妃付きの侍女と侍女見習いは後回しです!」
着替えの優先が決められた。
準備ができた者は大宴の間に急ぎ、遅刻者を最小限に抑えることになった。
また、大宴の間に入る時は、扉の前にいる警備に入っていいかどうかを確認するよう指示された。
リーナは他の侍女や侍女見習いの着替えを一生懸命手伝い、着替えるのが最後になってしまった。
「急がないと!」
リーナは急いで着替えると、大宴の間へと向かった。
リーナはドレスの裾を持ち上げ、廊下を全力疾走していた。
後宮の廊下を走ってはいけないことになっているが、緊急時は許されている。
後宮華の会という重要な催しが行われており、トラブルが発生して予定時間までに戻れないのは緊急事態と言っていい。
そもそも誰もいない廊下なら、走るなと注意されることもない。
リーナが大宴の間の近くまで行くと、正装に身を包んだ男性たちが前方から来るのが見えた。
高貴な者であるのは一目瞭然。
リーナは急停止すると、廊下の端に寄って深々と頭を下げた。
恐らく男性たちは大宴の間に行く。先に曲がるだろうとリーナは思ったが、足音が止まった。
「顔を上げろ」
走っていたのを注意されそう……。
恐る恐る顔を上げたリーナは驚きのあまり目を見開いた。
リーナに顔を上げるように言った男性は、召使いだった時に会ったことのある軍人だった。
……第三王子の部下だった気が?
実際は第三王子レイフィールだったが、リーナはそのことを知らなかった。
「名前は?」
レイフィールは威圧的な口調で尋ねた。
「リーナです」
リーナ・セオドアルイーズではない。
リリーナ・エーメルの通称名としてのリーナだった。
「家名は?」
「エーメルです」
「身分は?」
「直系は男爵ですが、私は傍系です」
レイフィールは少し考える仕草をした。
「なかなか可愛い。ドレスも似合っている」
突然の褒め言葉。
リーナは恥ずかしくなり、顔を赤くした。
「だが、化粧美人かもしれない。確認する。ついて来い」
レイフィールが歩き出した。
リーナが驚いていると、レイフィールに同行していたローレンが冷たい視線を向けた。
「早く行きなさい」
「はい!」
リーナは慌ててレイフィールの後についていった。
リーナがついた先は、黒の応接間だった。
……またこの部屋。
リーナは嫌な予感がした。
黒の応接間には護衛騎士と部屋付きになった侍女がいた。
レイフィールは侍女に化粧道具を持ってくるよう言いつけると、リーナの方を向いた。
「リーナは顔を洗え」
「化粧美人かどうかを確かめるということでしょうか?」
「そうだ。化粧室に行け」
リーナは一旦廊下に出ると、隣にある化粧室――召使いだった頃に掃除していたトイレの手洗い場で顔を洗った。
様子を見るために同行したローレンが手を拭くために常備されているタオルを差し出した。
「これで顔を拭きなさい」
リーナが顔を拭くと、ローレンは化粧が落ちた状態の顔をじっと見つめた。
「間違いありません。ついてきなさい」
やっぱり化粧美人だったってこと?
リーナが黒の応接間へ戻ると、部屋にいるのはレイフィールと護衛騎士のアレクだけになっていた。
今度はレイフィールがリーナの顔をじっくり見つめた。
「やはりそうか。召使いだったリーナだな?」
あ……。
リーナはロジャーに注意されていたことを思い出した。
リリーナ・エーメルになったため、リーナ・セオドアルイーズのことを知っている者や覚えていそうな者には絶対に近づくなという内容だった。
「お前は後宮を辞めたはずだ。なぜ、ここにいる? しかも、番号札をつけているということは、後宮華の会に参加している侍女か侍女見習いだ。どういうことか説明しろ」
大ピンチです!
リーナは困った。
説明はできない。秘密にしなければならない。
しかし、それが通用する相手ではなさそうだった。
「まさかここで会うとは思ってもみませんでした。もう一度後宮で働けるようエーメル男爵が手を貸したのですか?」
ローレンがリーナを問いただした。
「きちんと説明しなさい。一度辞めた者がもう一度後宮に採用になるのは変です。正式な取り調べを受ければ拷問されます。今のうちに全てを話した方が身のためでしょう。何も言わなければ、不審者として処刑することもできますが?」
リーナは青ざめた。
「私は……本当の私になっただけです」
「意味不明です。説明になっていません」
「正直に全てを話せ。処罰しなくて済むよう考える」
レイフィールはローレンから庇うようにそう言った。
「でも……普通に就職しただけです」
「洗いざらい話しなさい! でなければ、逃走できないよう足を折ります! それでも話さなければ足を切り落とします!」
ローレンの冷酷な口調はリーナの恐怖を煽りに煽った。
「話します!」
リーナは叫んだ。
「でも、秘密にするよう言われています。秘密にしていただけるでしょうか?」
「誰に言われている?」
「ロジャー様です」
エーメル男爵を予想していたレイフィールにとっては意外な名前だった。
「ロジャー? 家名はなんだ?」
「ノースランドです」
レイフィールには衝撃的だった。
ローレンやアレクにとっても。
「お前はロジャー・ノースランドの知り合いなのか?」
「知り合いというほどはないのですが、お世話になりました」
「面識があるということか?」
「そうです」
「ロジャーを呼べ。大宴の間にいるはずだ」
第二王子のエゼルバードは後宮華の会に出席するために後宮に来ている。
側近中の側近であるロジャーも間違いなく同行しているはずだった。
「わかりました」
ローレンがすぐに部屋を出て行った。
レイフィールの友人であり筆頭護衛騎士でもあるアレクはレイフィールに顔を向けた。
「華の会に行かなくていいのか? 尋問はローレンに任せればいい気がするが?」
「ロジャーは手強い。私が聞いた方がいいだろう」
「なるほど。確かにそうだな」
リーナは部屋の中にある時計を見て時刻を確認した。
午後には侍女と侍女見習いによる出し物が行われる。
借り物競争までには戻らないと……。
リーナは不安を感じずにはいられなかった。





