1284 ヴァーレンタインの秘密(二)
「エルグラード守護神とクオンのおかげで、私は穏やかな祈りの日々を満喫していた。だというのに、お前が問題を起こした!」
ヴァーレンタインはバーベルナを睨んだ。
「エルグラードで大重罪を犯すなど、皇帝家の恥さらしだ!」
「難癖よ! 私は無実だわ!」
「黙れ! お前が悪い! クオンの命令は絶対だ! エルグラードでエルグラード王太子に従うのは当然だとなぜわからない? 逆らえば大重罪に決まっている!」
ヴァーレンタインは怒りをあらわにした。
「しかも、私の楽しい余生を邪魔するとはもってのほかだ! クオンもクオンだ。大重罪なら処刑してしまえば簡単だというのに」
「酷いわ! 私を愛してくれていたのに!」
「お前の愚行についてはつぶさに調べ上げている。妹への愛情が冷め切ってもおかしくないほどの有様だった」
だが、すでに別人。皇帝家もザーグハルドもどうでもいい。
自分には関係ないとして、ヴァーレンタインは見て見ぬふりをした。
クオンも何も言わなかった。
ヴァーレンタインはザーグハルド皇帝家と関係ない。別人として余生を過ごせばいいということにしてくれていた。
これまでは。
「お前がザーグハルドで災いを振りまくのであればいい。シュテファンが後始末をするだけだ。だが、エルグラードで災いを振りまくのは許さない!」
クオンは熟考する性格で慎重に判断する。
バーベルナに対し友人としてもザーグハルドの皇女としても、またエルグラードとザーグハルドの国交や両国民のために配慮してくれていた。
だが、限界はある。
これ以上は無理だと判断したクオンは、ヴァーレンタインを呼び出した。
「ザーグハルドで猛省させ、エルグラードに二度と迷惑をかけないようにすると誓約した。生きてザーグハルドに戻れるだけましだと思え!」
「お父様は何も知らないの? それとも全部知っているの?」
「お前の悪行は知っている。私のことは詳しく知らない」
「良いことを聞いたわ!」
バーベルナは黒い笑みを浮かべた。
「お父様にはお兄様が生きていることを黙っておいてあげるわ。だから許してよ。クオンにだって適当に言えばいいでしょう? どうせザーグハルドのことなんかわからないもの」
「愚かだ……」
ヴァーレンタインはため息をついた。
「私が生きているとわかれば、父上は泣いて喜ぶ。私の子どもを正当な後継者としてほしがるだろう。皇女の価値は大暴落。リヒトは問題児だけに皇太子の座から陥落。それでもいいのか?」
バーベルナは黙り込んだ。
「私は愛する妹に裏切られた。クオンと同じ大学に入れるように支援してやったというのに、学業を疎かにして派手に遊んでいた。諸事情により仕方なく中退したことになったが、そうでなければ単位不足で強制退学になるところだった」
「強制退学ですって?」
バーベルナは驚いた。
「単位が取れなくても留年するだけでしょう?」
「王立大学はエルグラードのエリート官僚を育てるためにある大学だ。その見込みがない者は切り捨てられる。お前は他国人だけにエルグラードの官僚にはなれない。単位不足は成績が悪く学ぶ意欲もない証拠だ。強制退学に決まっている!」
エルグラード王立大学は他国の王族を強制退学にした前例があるだけに、バーベルナに対しても同じ判断や対応をする可能性が高い。
もしバーベルナが強制退学になれば、ザーグハルドにとっても皇帝家にとっても不名誉極まりない汚点になってしまう。
政略結婚を理由にした大学中退は、バーベルナとザーグハルドの名誉を守るために必須だった。
「お前は修道院送りだ! 祈りと慎ましさを学ぶ正しい生活が待っている。覚悟しておけ!」
「どのぐらい? 一週間?」
「一生に決まっている」
「お父様が許さないわ!」
バーベルナは叫んだ。
「そう言うと思った。別のプランも用意してある」
「どんなプランなの?」
「政略結婚をする。子どもを産んで皇族を増やす」
「それでいいわ。代わりに自由にして」
「自由はない。修道院住まいを免れるだけだ。せいぜい励め」
「無理よ。リヒトは幼いしお父様は老齢。シュテファンたちも失脚したわ。誰が帝国を統治するというの? お兄様が陰から操るつもり?」
「心配しなくていい。叔父上に会って帝国のことを頼んだ」
ヴァーレンタインは叔父のルエーグ大公と会って話をつけていた。
「何ですって!」
バーベルナは驚愕した。
「皇帝位が奪われてしまうわ!」
「取引した。リヒトが皇太子、叔父上は皇太子の後見人、ゆくゆくは摂政として実権を握る」
「アルフォンスはそれでいいの?」
「もちろんだ。皇太子にも皇帝にもなりたくない。エルグラードに移住してチェス三昧の日々を送りたいと思っている」
「最悪だわ。問題児のままじゃないの!」
「お前もだ! 法改正して女帝になるのは絶対にダメだと言ったのに、シュテファンに帝位をねだったそうだな? そのせいで夫婦関係が悪くなってしまったではないか!」
「どうしてダメなのよ? シュテファンだって、皇太子の父親よりも女帝の夫の方がいいでしょうに」
「どう考えても皇太子の父親の方が上だ!」
未成年の皇太子の父親であれば、摂政として実権を握れる。
だが、バーベルナが女帝になってしまうと実権を握れないばかりか、バーベルナの気分次第で排除されてしまう。
勅命によって息子の後見どころか政治への参加権、身分、自由、最悪の場合は命も失いかねないため、シュテファンとしては何としてでもバーベルナが女帝になれないよう邪魔をするしかない。
バーベルナは自らの帝位をねだったことで、最大の協力者兼庇護者だったシュテファンを最大の警戒者兼監視者に変えてしまったのだった。
「だが、叔父上も高齢だ。叔父上の次にお前が摂政になれるかもしれない。猛省して立派な摂政になるための勉強をしろ。改心したら、クオンにも許してくれるよう頼んでみる。どうだ?」
「仕方がないわね。それでいいわ」
バーベルナはふんぞりかえった。
「ところで、誰と政略結婚するの?」
「アルフォンスだ」
「嫌よ!」
「お前はルエーグ大公子妃だ。だが、アルフォンスは遊んでばかりで頼りない。そこで叔父上が皇太子の後見人や摂政になるという筋書きだ」
「他の者にして! アルフォンスの母親は身分の低い貴族なのよ?」
「叔父上を摂政にするための政略結婚だ。アルフォンスとの間に子どもを作る必要はない。子どもの父親は別に用意してある」
バーベルナはホッとした。
「良かったわ。私の子どもであれば皇帝家の血を引いているんだもの。アルフォンスとの間に子どもを作る必要はないわよね」
「その通りだ。子どもの父親は平民でもいい」
「平民なんてありえないわ! できるだけ身分が高い者にしてくれないと嫌よ!」
「自分の立場をわかっているのか? まあ、身分の高い者を選んだ」
「美形でしょうね?」
「シュテファンだ」
バーベルナの目が点になった。
「冗談はやめて!」
「冗談ではない。身分も血統も良い。子どもに甘すぎるほどの愛情を持っている。新たに生まれた子どもはリヒトと同じ両親で実弟か実妹だ。素晴らしいだろう?」
「素晴らしいわけがないでしょう!」
「勅命離婚だった。本当は離婚したくなかった」
「離婚したかったわ!」
「シュテファンの方だ。皇帝は寛大で慈悲深い。皇女に新たな政略結婚を命じたが、子どもの父親は元夫でいいことにした。リヒトのためにもそれがいい。最高の結末だ」
「最低の結末よ!」
「自業自得だ!」
ヴァーレンタインは冷たい視線でバーベルナを睨みつけた。
「厳格な修道院に入るか? 自分は皇女だと言い張る頭のおかしい女性として、一生貧しい生活を送ることになってもいいのか?」
「最初のプランと違うわ!」
「父上が死んだあとのプランだ。庇護者を失って待遇が悪くなるのは当然だろう? 叔父上は愛する妻子を軽視するお前を嫌っている。私が交渉しなければ、機会を見て排除されるだけだ!」
「極悪非道だわ! 叔父様もお兄様もよ!」
「そうだ。ザーグハルド皇帝家の血筋だからな。身内で足を引っ張り合う愚かな家系でもある。だが、私に勝てると思うのか? 生まれながらの皇太子だぞ? しかも、父上が盲目的に愛した母上と同じ色だ。この世に誕生した時点で、すでに勝負はついている!」
バーベルナは唇を噛みながら兄を睨んだ。
身分主義者であり血統主義者であるからこそ、兄には絶対に勝てないことをわかっていた。
「自分で選べ。シュテファンを拒否すれば、摂政や皇太后になる未来は完全に閉ざされる。それでもいいのか?」
「シュテファンでいいわ。絶対に摂政兼皇太后になってみせるわ!」
本当に頭が悪い……ここまで秘密を話した以上、生涯幽閉に決まっている。
ヴァーレンタインは妹の愚かさを心底嘆いた。
だが、大処罰はヴァーレンタイン、クオン、エルグラード、ザーグハルドのための決定だけに変更はない。
真の未来を言葉にしないのは、兄としての情けだった。





