1283 ヴァーレンタインの秘密(一)
「話して。どうして生きているの?」
黒い箱馬車に乗せられたバーベルナは、死んだと思っていた兄を睨んだ。
「相変わらず生意気だ。まあ、馬車に乗っているだけでは暇だけに教えてやろう」
兄は喜べない再会を果たした妹に呆れた表情で答えた。
ザーグハルド皇太子ヴァーレンタインは幼少時から病弱で、その命は長くないと言われていた。
成人するかどうかさえ怪しいということで、妹のバーベルナは皇帝位継承権がない皇女でありながら、真の後継者を産む女性として大切にされていた。
そのバーベルナが国際的な感覚を身につけるため、エルグラードに留学することになった。
ヴァーレンタインは甘やかされて傲慢に振る舞う妹が心配だった。
エルグラードは大国で実力主義。他国の皇族や王族であっても、身分だけでは厚遇してくれない。
しかし、エルグラードに留学することで自国と他国の差を知り、自分について見直す機会を得られる。
バーベルナは最高に優秀だと褒められて育ったが、エルグラード王立学校中等部に入学したあと、人生初の赤点を取ってしまった。
バーベルナのプライドは極めて高い。だからこそ、やる気に火がついた。
家庭教師をつけて猛勉強した結果、成績が急上昇。礼儀作法もしっかりと学び、傲慢さを抑えるようにしながら女性の友人作りに励んだ。
その努力が評価され、エルグラード王太子との交流が許されるようになり、ついには友人として認められた。
エルグラードに留学させたのは正解だったとヴァーレンタインも父親のザーグハルド皇帝も心の底から喜んだ。
留学は高等部を卒業するまでの予定だったが、バーベルナは飛び級をしたこともあって、大学に進学したいと言い出した。
父親は激怒。ヴァーレンタインが病弱なだけに、バーベルナにはできるだけ早く子どもを産んでほしいと考えていた。
帰国したら政略結婚になるのがわかっていたため、ヴァーレンタインはもう少しだけならバーベルナの自由にさせてもいいと思った。
だが、バーベルナの成績では王立大学に入学するのが難しい。
そこでヴァーレンタインは各国に割り当てられている国際交流用の留学枠を利用することにした。
ザーグハルドの枠は一名分しかないため、留学を希望するザーグハルド人にはエルグラード王立大学の受験を禁じた。
バーベルナは実力で入学可能な合格点は取れなかったが、国際交流用の留学枠に必要な最低限の点数は取れていたために合格になった。
このことはバーベルナのプライドを傷つけないために教えなかった。
そのせいでバーベルナは実力だけで合格したと思い、学業を疎かにして夜遊びばかりをするようになったという報告が目付け役から届いた。
ヴァーレンタインは密かにエルグラードへ行き、妹の様子を確認することにした。
病弱だけに自分の命は長くない。死ぬ前に一度ぐらいは他国に行ってみたいと懇願したことで、しぶる父親から了承を取り付けた。
エルグラードに極秘入国したヴァーレンタインは大きな衝撃を受けた。
何もかもがザーグハルドとは違う。未知。新しい。広くて深い世界があった。
皇帝宮にあるベッドの上で残りわずかな人生を終えたくないと痛切に感じるには十分だった。
目付け役からの報告通りバーベルナが夜遊び三昧なのを確かめ、ヴァーレンタインはザーグハルドに戻った。
エルグラードへの想いは募るばかり。
そこで影武者を立て、父親には内緒でもう一度エルグラードへ行くことにした。
影武者はベッドで寝ているだけ。体調が悪いといえば簡単に誤魔化せるだろうと考えた。
エルグラードでの生活が密かに始まった。
すると、ヴァーレンタインの体調はどんどん改善されていき、エルグラードでの生活は健康的な体を作るのに効果があるようだとわかった。
ところが、ザーグハルドにいる影武者が暗殺されてしまったという報告が届いた。
ヴァーレンタインは急いで帰国しようとしたが、ザーグハルドは遠い。
幼い頃から病弱だったせいで死んだ時の準備は万全、すぐに皇太子の死が公式に発表され、葬儀も終わってしまった。
ヴァーレンタインは一緒にエルグラードに来ていたルエーグ大公子アルフォンスと話し合い、このままザーグハルド皇太子ヴァーレンタインは死んだことにすると決めた。
本物の皇太子が生きているとわかれば、また暗殺計画が練られる。
死ぬために帰国するのは馬鹿馬鹿しいということになった。
アルフォンスも責任を問われたくなかった。
エルグラードに来る際に頼れる人物がいるのはいいということで、喜んで協力することを約束した。
ヴァーレンタインは別人になってエルグラードで生きていくことにした。
アルフォンスが偽名でありつつもザーグハルドが発行した書類としては本物の証明書を手に入れた。
だが、エルグラードで生活していくために必要な資金の確保をどうするかが問題だった。
そこでクオンが個人的に取り組んでいた国内における新規事業の支援制度を活用して事業を立ち上げ、商人として金を稼ぐことにした。
ヴァーレンタインは短期間で事業を軌道に乗せたが、他国人がエルグラードで急速に金持ちになると目をつけられてしまうことをわかっていなかった。
その結果、死んだはずのザーグハルド皇太子が偽名でエルグラードに入国していること、商人として事業をしながら住んでいることをクオンに知られてしまった。
ヴァーレンタインの死の偽装は、エルグラードから見ると国際的な策謀活動の疑惑、ザーグハルドに対する不信に値することだった。
クオンに問い詰められたヴァーレンタインは正直に事情を話した。
妹が心配で密かにエルグラードに来ていたが、ザーグハルドにいた影武者が暗殺され、皇太子の葬儀が行われてしまった。
やはり生きていたとは言いにくい。今度は本当に暗殺されてしまうかもしれないと思うと戻れない。だが、バーベルナを帰国させる口実にはなった。
生まれた時から病弱で早死にすると言われていただけに、残り少ない余生をエルグラードで過ごしたい。
絶対に迷惑はかけない!
ヴァーレンタインは生まれて初めて土下座をした。
見逃してほしい。エルグラードを愛する一人の人間として生きさせてくれと懇願した。
クオンはヴァーレンタインの望みを叶えた。
エルグラード国王にも話さない。クオン個人の良心と善意によって秘めることにしてくれた。
ヴァーレンタインは余生のつもりだったが、エルグラードの生活は快適で健康的だった。
恐らく、ザーグハルドでは病弱に見せかけるための毒物が飲食物に入れられていた。しかし、エルグラードに来たことで救われた。
エルグラード守護神が守ってくれたのだ!
そう思ったヴァーレンタインはエルグラード守護神に尽くすため、エルグラード国教会の神職者になることを決意した。
母親譲りのプラチナブロンドと空色の瞳という容貌のおかげで古王国派、エルグラードの保守層や愛国者の支持を得ることができた結果、ヴァーレンタインはエルグラード守護神とエルグラードを心から愛する神職者として出世していった。





