1269 真の愛国者
アスターはデュシエル公爵邸に戻った。
面倒な予定も用件も多くあるだけに、効率よくこなしていく必要があった。
「こちらがご確認いただきたい書類になります」
執務室に行くと、デュシエル公爵の側近が書類を用意して待っていた。
一番上にあったのは今日の予定表。
それを見たアスターは、アスター・デュシエルという名前を消し去りたくなった。
だが、アスター・デュシエルは最も消し去りたい名前であると同時に、最も有用で消し去りにくい名前だった。
「公爵との面会以外は全てキャンセルする。デュシエル伯爵は?」
「外出されています」
「主要な書類へのサインは終わっているのか?」
「いくつかは」
「先に確認する」
「こちらです」
アスターは新しく渡された書類に目を通した。
「また無駄なものに手を出している」
新規の投資をするため、公爵家の資金を動かしたいという内容の書類がデュシエル伯爵から提出されていた。
「ザーグハルド関連ばかりだ」
「必ず儲かると言われたようです」
「詐欺の常套文句だ」
アスターは書類を真っ二つに裂いた。
「当主の許可が下りないと伝えろ」
「かしこまりました」
「無駄な書類にばかりサインをしていそうだ。伯爵の側近は何をしている?」
「伯爵が気に入るようなことをしております」
「はがして捨てておけ。おだて役はもう不要だ。当主の意向を恐れる側近に切り替えろ。伯爵にも伝染するだろう」
「かしこまりました」
「当主の判断が必要な書類はこれだけか?」
「今のところはこれだけです」
アスターは目を通した書類を揃えると、まとめて破り裂いた。
「当主は正しいことにしか許可を出さない。公爵の側近ならごみは事前に処理しておけ。破くぐらいはできるだろう?」
「はい」
「面会してくる」
アスターはデュシエル公爵の寝室へ向かった。
デュシエル公爵は老齢のために寝たきりで、現在は人前に一切姿をあらわさない。
面会できるのは体調の良い時だけで、ごく一部の者だけに限られている。
そのごく一部にアスターは含まれているが、デュシエル伯爵は含まれていなかった。
面会が終わると、アスターは当主の意向としての指示をいくつか出した。
「馬車を用意しろ。外出する」
「かしこまりました」
向かったのは富裕層が住む住宅街にある白亜の豪邸だった。
「来たか」
アスターの姿を見たヴァーレンはため息をついた。
「午前中に来ると思っていたが、遅かったな?」
「気分が悪かったのです。神職者への懺悔をしても?」
「もちろんだ」
「パスカル・レーベルオードによって風向きが変わりました。東へ風を吹かせているつもりでいた女性は苛立ち、その感情を邪魔でしかたがない女性にぶつけました」
「八つ当たりは珍しくも何ともない」
「嫌悪の花が満開です。王都へ帰る途中に強盗団に遭遇したり、船が沈没したりしないかと考えていました」
「楽しい旅行とは限らない。不幸な出来事に遭遇する可能性もある。注意しないとだな」
「警備は万全だと伝えると、暗殺するしかないと言いました」
ヴァーレンは顔をしかめた。
「暗殺の手配をしろと言ったのか?」
「そのようなものです」
「それだけ信頼されている証拠だ。それで何と答えた?」
「これは懺悔ですが?」
「そうだった。続けてくれ」
「法に触れてしまうと答えました。すると、法は関係ない。自分は皇女だと言うのです」
ヴァーレンは嘆くように深いため息をついた。
「全くわかっていない! だからなんだというのだ!」
「ここはエルグラードであること、ザーグハルド皇族でも法に触れれば処罰されることを伝えました。すると、裏から手を回せばいい、わからなければ処罰しようがないと言われました」
「まあ、それはあるな?」
「不法行為はよくないと伝えると、ちょっとした冗談だと返されました。ザーグハルドでは普通のことで、皇女は何をしても許されるそうですが?」
「そこは気にしなくていい。他国内のことは関係ない」
ヴァーレンはきっぱりと答えた。
「エルグラードでは勝手が違うと教えると、不機嫌になりました。資金があるようなので、秋の大夜会に代わる催しをすることで楽しめると教えました」
「金を使って楽しむことが好きな性格だからな」
「主催して自分の評価を上げるそうです。私は帰ることにしました。そして、ここに来ました。エルグラードの真の愛国者がこの話を聞いたらどう思うのかが気になります」
「エルグラードにとってバーベルナは害悪でしかない!」
「猊下がいかにエルグラードを愛されているかがわかるお言葉です」
「だが、バーベルナの没落が私や古王国派の没落になっては困る」
「連座を避けたいのはわかります」
「時間稼ぎが必要だ。まだ、ザーグハルドから報告が来ていない」
「仕事があまりにも遅いのでは? 猊下が戻られたせいかもしれません」
「ザーグハルドは遠い。良い人材もいない。アルフォンスは愚痴ばかりだ」
「パスカル・レーベルオードが動いたということは、王太子もそろそろ動きます」
「取りあえず、バーベルナを適当になだめておけ」
「拒否します」
アスターの空色の瞳は真冬のような冷たさを宿した。
「新しい監視役を探してください。ヴェリオール大公妃に面会できない皇女の側にいる意味はありません」
話は終わりとばかりにアスターは踵を返した。
「待て、アスター! 話がある!」
アスターは立ち止まると振り返った。
「聞きたくありません。猊下のせいで、私まで太陽に目をつけられてしまったのですが?」
「バーベルナのせいだ」
「監視を依頼した猊下にも責任があります」
「わかっている! なんとかする!」
「猊下の言葉を信じます。ですので、証明してください」
アスターは部屋を出て行った。
いつもは静かにドアを閉めるというのに、普通に音がした。
「クオンに続いてアスターまで怒らせるとは……バーベルナは怖い者知らずだな!」
ヴァーレンは困ったことになったと思った。
取りあえずは、自分の方で手を打つ必要があるとも。
「秋の大夜会に代わる催しをすることで自分の評価を上げるつもりだと言っていたな? それを利用すればよさそうだ」
ヴァーレンは呼び鈴を鳴らした。
ドアを開け、顔を出したのは枢機卿補佐官だった。
「お呼びでしょうか?」
「頭が悪くて軽そうで楽しいパーティーが好きそうな者はいないか?」
枢機卿補佐官は眉をひそめた。
「貴族ですか?」
「当然だ。私の敵になりそうな神職者かそれにつながる者がいい」
「そのような者をどのように使うおつもりでしょうか?」
「バーベルナが楽しいパーティーをしたがっているようだ」
「またパーティーですか?」
枢機卿補佐官は呆れた。
「帰国準備をした方がよさそうな状況ですが?」
「バーベルナが何を考えているのかを知る必要がある。パーティーに数人放り込め」
「調べさせるのであれば、頭が悪くて軽そうな者はどうかと思いますが?」
「頭が良い者はバーベルナに近づかない。頭が固い者は楽しいパーティーに行かない」
「なるほど。それもそうですね」
「私なりに考えている。だからこそ、頭が悪くて軽そうで楽しいパーティーが好きな者が適役だ。世間話を聞いてくればいい。それを別の者が聞いて内容を確認するだけだ」
「わかりました。探してみます」
枢機卿補佐官は一旦退出したが、数分後に戻って来た。
「猊下、九月に行われた催しのリストとその出席者一覧があります。こちらから適合者を探してはいかがでしょうか?」
「それでいい。バーベルナの褒め殺し係を選べ。私と直接つながる者はダメだ。あくまでもこっそりだからな?」
「わかりました。猊下とのつながりが直接ない者を私の方で選んでおきます。こっそり手を回します」
枢機卿補佐官が部屋を出て行った。
「良かった! 裏から手を回せばわからないからな!」
ヴァーレンはバーベルナと同じようでいて、決定的に違う部分があった。
それはエルグラードの真の愛国者だということ。
バーベルナよりも多くの部下や信者がいて、崇拝されているという違いもあった。
「エルグラードには本当に優秀で忠実な者が多くいる。まさに天国だ!」
ヴァーレンはエルグラード守護神に心から感謝した。





