1260 極秘のお使い
「食欲があってよかったです」
リーナの起床時間は遅かったが、朝食はしっかりと食べた。
食欲があれば大丈夫というのがスズリの判断だった。
「疲れを取るためにも、食事はしっかり食べようと思って」
「その通りだと思います!」
「ゆっくりと休む時間もほしいです。心身共に疲れました」
王都では王太子とザーグハルド皇女の縁談に関係する話題が広まっている。
リーナの心が疲れているのは当然だろうとスズリは思った。
「私にできることはないでしょうか? ご用意するものがあれば言ってください。本とかお菓子とか……?」
スズリは思いつくものを挙げてみた。
「ノートとペンがほしいです」
「いかにもリーナ様らしい品々ですね」
「便箋と封筒もほしいです。レーベルオードの専用品ではなく、誰のものとしても使える一般品がいいです」
リーナのために特注された便箋セットではダメらしいとスズリは思った。
「たくさんほしいので、私の知っているお店で買ってきてください」
「リーナ様の知っているお店で?」
スズリは驚いた。
「ユーウェインを呼んでください。治安があまりよくない場所なので、スズリに行かせるわけにはいきません。ユーウェインなら強いので大丈夫です!」
「わかりました」
何かありそうだと思いながらスズリはユーウェインを呼びにいった。
しばらくすると、南館にいたユーウェインがリーナの部屋に駆け付けた。
「お呼びとか」
「ヴェリオール大公妃として極秘の命令です。私が知っているお店へのお使いをお願いします」
ユーウェインはすぐに目を細めた。
「極秘ということは、パスカル様にも言わないということでしょうか?」
「お兄様には言っても大丈夫です。外出するには許可が必要だと思いますし、お金だって必要です。ユーウェインに負担させるつもりはありませんから安心してください!」
確かに経費の自己負担は困るとユーウェインは思った。
「どうして私が知っているお店がいいかと言うと、同じ孤児院の出身者がいるからです。たぶんですけれど、まだ働いていると思います」
「知り合いから買いたいということでしょうか? それとも別の目的があるのでしょうか?」
「その店の給与は能力給なのです。私がその店で知り合いからたくさんの商品を買えば、たくさん給与を貰えるはずです!」
店員の販売実績を重視した給与制なのだろうとユーウェインは思った。
「知り合いの給与が増えるようにしたいのでしょうか?」
「そうです。ウォータール地区のお店よりも安いと思いますし、知り合いの役にも立ちます。お得ですよね?」
「パスカル様に確認します。お待ちいただいても?」
「もちろんです。これがお店と住所と知り合いの名前です。どれぐらいほしいのかも書いてあります」
ユーウェインはメモ用紙を受け取った。
文具店があるのは、貧民街の近くにある平民街だった。
「かなりの量ですが?」
「何度もお使いにいってもらうわけにはいきませんので、まとめ買いします」
説明的にはおかしくなかった。
「在庫がないと言われるかもしれません。その場合は半分にしてください」
「便箋の方を多く購入されるのですか?」
「内容が一枚分とは限りません。書くのに失敗するかもしれないので」
「そうですか」
「たぶんですけれど、いきなり来てこんなに買ったらびっくりすると思います。なので、同じ孤児院にいたリーナの紹介だと言ってください。恩返しだとわかってくれます」
「なるほど」
「孤児院を出たあとも大丈夫、元気にしているので安心してほしいと伝えてください。絶対ですよ?」
「わかりました」
ユーウェインはパスカルがいる南館の部屋に戻ると事情を説明した。
「本当にただのお使いかどうかを調べないとだね」
そうだろうとユーウェインは思った。
「リーナの頼みについては言う通りにしてほしい。店や店員、周囲の環境もできるだけ観察するように。あとで報告して。リーナの様子もね」
「わかりました」
「これだけ買うなら馬車が必要だ。御者以外にも同行させる。調査員は勝手に動くから任せておけばいい。ユーウェインはお使いの担当だ」
「はい」
ユーウェインは指定された店へ向かった。
「リーナの紹介だったのか」
平民街にある文具店にユーウェインが行くと、名前を呼ばれた店員は驚いた。
「この店は能力給だそうですね? たくさん買えば、貴方の給与が増えると言っていました」
「リーナは優しいなあ」
店員は苦笑した。
「ありがとうと伝えてください。給与が増えるのは本当なので嬉しいです。でも、これほど買ってくれるとなると、リーナは裕福なのでしょうか? 無理をしていないか心配です」
「大丈夫です。無理はしていません。元気にしています。安心してほしいと伝えるように言われました」
「良かったです」
店員はホッとした。
「ですが、残念なお知らせがあります。予約がないとさすがに全部は用意できません」
「では、半分にしてください」
「封筒と便箋の数がかなり違います。どちらも半分ですか?」
「どちらも半分にしてください。書くのに失敗するかもしれないので、便箋を多めにほしいそうです」
「それでか。リーナらしい。用意周到だ」
用意周到?
ユーウェインは自分が知るヴェリオール大公妃像とは違う気がした。
「袋よりも箱に入れた方がいいですよね?」
「当然です」
「箱代が別にかかりますけれど、いいですか?」
「構いません」
ユーウェインはリーナの要望通りの品を買い、ウォータール・ハウスに戻った。
リーナの部屋に購入したものを運び、そのあとでパスカルのところへ向かった。
「どうだった?」
「とても喜んでいました。ヴェリオール大公妃も店員も」
「目当ての者がいたのかな?」
「いました。ヴェリオール大公妃の名前を聞いて驚いていました」
「それで?」
「特に変わったところはありませんでした」
普通の反応。
「価格の方は? 安かった?」
「便箋や封筒については普通の価格帯だと思います。量が多い場合は事前に予約すると値引きできるそうです。持ち帰るための箱代は高めでした」
「箱代だけはふっかけられたかな?」
「ヴェリオール大公妃の知り合いなので、何も言わずに支払いました」
「わかった。調査員の報告を待つよ」
「アスター・デュシエルと関係があるのでしょうか?」
ユーウェインの推測は、パスカルも一つの可能性として考えていた。
「どうかな。リーナは優しいからね。だけど、賢くもある。成長中だけに読みにくい」
王太子領で出し抜かれただけにそうだろうとユーウェインは思った。
「お使いは終了だ。一緒に昼食を食べよう。帰るのを待っていた」
ユーウェインは眉をひそめた。
「待っていていただけるとは思いませんでした」
「一人で食事をするのは寂しいからね」
――レーベルオード子爵は寂しがり屋です。
ユーウェインはリーナの言葉を思い出した。
「僕の周囲には大勢の者がいたけれど、屋敷で食事をする時はほぼ一人だった。レーベルオード伯爵家としての食事時間だから、序列が下になる者の同席を許すのは難しい。友人ならレーベルオードの序列は関係ない。同席できる」
パスカルはユーウェインに優しく微笑んだ。
「友人になってくれてありがとう。ただの護衛だったら、食事の席を同じにすることは慎重でなければならない。食べながらの護衛はできないと普通は考えるからね」
「申し訳ありません。気づいていませんでした」
「大丈夫だよ。食事を用意する方が気をつければいいことだ」
友人かそうではないかの違い、名門貴族の跡継ぎがいかに特別なのかをユーウェインは知ったと思った。
「外は寒かっただろう? 温かい食事を取れば心も体も温かくなれるよ」
優しい言葉。
それがパスカルの本心であり、魅力であり、力でもある。
多くの人々に愛されている理由だとユーウェインは感じた。





