1244 裏の調整者
王立歌劇場を出発したデュシエル公爵家の馬車はまっすぐにデュシエル公爵邸へ向かった。
行きは数十人の護衛が馬車を守っていたが、帰りは護衛なし。御者の姿しか見えない。
馬車を襲撃する予定だった一団は、ザーグハルド皇女が馬車に乗っている可能性は極めて低いと判断した。
皇女は暗殺を恐れているだけに、護衛なしで移動をするわけがない。
恐らくは暗殺防止のために別の貴族の馬車に同乗する。そっちに護衛が同行しているはずだと思われた。
「どうする?」
「予定通りだ」
契約した以上は襲撃予定を実行することが重要だった。
「護衛がいなくて簡単だ。馬車を壊して逃走すればいい」
「御者っていうのは命がいくつあっても足りない職業だと常々思う」
全てが綿密に考えられた計画のはずだったが、襲撃予定者たちは驚愕させられることになった。
馬車が止まった。
襲撃ポイントの少し前で。
そして、馬車の中から黒いマントを羽織った人物が降りた。
短い髪の色はプラチナブロンド。デュシエルの色だった。
襲撃者たちは嫌な予感がした。
「私はアスター・デュシエル。調整者として話があります」
ひと気のない道に響き渡る声。
襲撃者たちは予想通りの人物の名前が出たことに動揺を隠せなかった。
「どうする?」
「確認する」
嘘かもしれない。罠かもしれない。
あらゆる可能性を考えながら、襲撃者のリーダーはアスター・デュシエルの申し出を受けることにした。
潜んでいた壁の裏から素早く上に移り、道へと降りる。
アスターとの戦闘になることを想定した上での動きだった。
「襲撃予定はキャンセルです。この馬車に乗っているのは私だけ。他には御者しかいません」
「なぜ、計画を知っている?」
情報が洩れたからに決まっているが、どこから洩れたのかが不明だった。
それがわからなければ、次の予定を立てられない。またしても情報が洩れてしまう。
襲撃者たちの命運にかかわることだった。
「私だからです。情報は手に入れるだけでなく、作ることも流すこともできます。そちらの計画が立てられたのは、皇女の外出予定の情報があるからです。その情報を誰が流したのか知っていますか?」
どちらが優位なのかは明らかだった。
「契約は無効です。依頼者の気が変わりました」
「その話を信じると思うのか?」
「ポケットに手を入れても? 渡したいものがあります」
「いいだろう」
アスターはポケットからメモを取り出した。
「先に内容の確認を。了承する場合は受け取ってください」
「金額が増えている」
「当日のキャンセルだからです。何もすることなく報酬が余計に貰えます。悪くない話では?」
「本当にキャンセルなのか?」
「本当です。私は襲撃の対象者ではありません。この件については調整者として中立です」
「当日のキャンセルはやめてほしい。最悪だ」
「そう思う者がいるので、調整者が必要になるのです」
「お前はいくら貰える?」
「メモを渡すだけなのではした金です。そちらが頷かなければ、このメモを破る役目もあります。キャンセル料を受け取るか、無報酬で余計なことをするかを決めてください」
リーダーはメモを受け取った。
「あいつの依頼は二度と受けない」
「裏のことで何かあれば私に連絡を。面倒事を解決します」
「宣伝か」
リーダーは笑うしかなかった。
「現場でキャンセルしてくるとは思わなかった」
「ここなら必ず会えます」
「命を失う危険があるが?」
「そちらは総勢十一名。私の実力を知る者は不戦か逃亡を選択します。貴方ならキャンセルを受け入れると思いました」
リーダーは目を細めた。
「俺が誰かわかっているということか?」
「戻りませんか? トップが変わりました。体制が変わり、居心地がよくなりました」
リーダーは元デュシエルの裏の者だった。
「誰がトップだ?」
「貴方が尊敬する人物です。戻って来ました」
「戻って来たのか?」
リーダーは驚かずにはいられなかった。
「抹殺命令が出ていたはずだ。公爵は許したのか?」
「戻って来たことを知りません」
「いい情報を貰った」
「偽情報かもしれません。確認してから売らないと、信用が地に堕ちます。デュシエルに関わるのであれば気を付けるように。貴方は裏切り者です」
リーダーは笑うしかなかった。
なぜなら、アスターも裏切り者の一人だった。
だというのに、わざわざデュシエルに戻って来たばかりか、瞬く間にのし上がった。
「あの方に会えるだろうか?」
「誰でも会えるわけではありません。ですが、貴方であれば会えるかもしれません」
アスターの言葉はリーダーの心を動かすには十分だった。
「また会おう」
リーダーは素早く距離を取ると、短剣をレンガの間に突き立ててあっという間に壁の上へ移動し、その裏側へと姿を消した。
アスターは馬車へ戻ると、御者台の方へ上がって座った。
「勧誘できたでしょうか?」
「屋敷へ」
御者が手綱を操ると馬が歩き出した。
「余計な情報を与えてしまったのでは?」
「あれを生かすも殺すもトップ次第だ。関係ない」
「まあ、そうですね」
馬と馬車の音が夜の静かさを乱し、二人の会話を消していた。





