1226 人混みの中
フェリックスとフレデリックは連日領都観光に出かけた。
王太子領はエルグラードの南東部における重要拠点であり、約十年前に王太子が改革をしたことでその繁栄度がより強くなったと言われている。
それを自身の目で確認するのは、将来ミレニアスを背負う二人にとって貴重な経験になった。
「エルグラードの王太子は間違いなく優秀な統治者だ」
「そうですね」
王太子領は元から豊かな領地だけに、思い切った改革をするほどではないと普通は思う。
しかし、王太子は徹底的に調査を行い、王太子領内にあるはびこる不正を発見。
それを公表して、権力を悪用して私腹を肥やしていた者を厳しく処罰した。
これによって領民の信頼を集め、教育・医療・福祉に莫大な予算を投入し、インフラの強化と改善を効率的に行った。
長期的展望に基づいた改革は年月が過ぎるほど王太子領を豊かにした。
十年も経てば状況が変わって長期的政策は限界を迎え、転換を迫られるのが普通。
ところが、王太子領にはその必要性がない。それほどまでに全てが良い方向へ流れていた。
しかも、西の経済同盟によって南東地方の要所である王太子領の存在は、今後益々重要になるばかり。
領政府が発表した河川港や河川港に通じる街道の整備、王都だけでなくデーウェンやフローレンを結ぶ高速馬車路の公共事業は、人と物の流通に多大なる効果を発揮するのは間違いない。
すでに王太子領はエルグラード屈指の豊かさを誇っているが、これから先もその豊かさが強く大きくなる未来以外は考えられなかった。
「王太子領は小さなエルグラードだ。領運営を成功させた王太子は、統治者の素質と手腕があるということになる」
「国民を安心させ、王家への忠誠心を高めるわけですね」
「だが、問題もある。東の愚帝がエルグラードの王太子を利用しようとしている」
フレデリックの言葉を聞いたフェリックスの表情は一気に冷え込んだ。
「大迷惑です。エルグラードの王太子の妻はヴェリオール大公妃だけです」
「その通りだ」
エルグラード王太子夫妻の関係は末永く円満であって欲しいと二人は思っている。
だというのに、ザーグハルド帝国がそれを邪魔しようとしていた。
「しばらく黙れ」
フレデリックの表情が突然険しくなった。
フェリックスは黙り込むと、フレデリックの視線の先を見た。
人混みしかない。
「もういい」
「知り合いでもいたのですか?」
フレデリックはエルグラードの滞在歴が半端なく長い。
常に王都にいるわけでもなく、どこで何をしているのかもよくわからない。
交友関係も広いため、フェリックスは思わぬ知り合いがいるのを発見したのではないかと推理した。
「見たか?」
フレデリックは護衛に尋ねた。
「何かありましたでしょうか?」
フレデリックは舌打ちした。
「仕方がない。行くぞ」
どこにと誰もが思ったが、その表情を見れば何かあったとしか言いようがなかった。
フレデリックは急いで席を離れると迷うことなく急ぎ足になった。
子どもの足では追えないと判断した護衛たちの一人がすぐにフェリックスを抱え上げる。
しばらくするとフレデリックは立ち止まり、付近を見回した。
「いない」
「誰のことですか?」
「俺が誰を見かけたかわかる者はいるか?」
フレデリックは護衛たちに尋ねたが、わかると答える者は一人もいなかった。
「それでも本当に周囲を警戒しているのか?」
「申し訳ございません」
護衛隊長が謝罪した。
「これだけ多くの人々がいますと、一人一人の顔まで注意は払えません。こちらに近づいて来る人物が危険かどうかを選別する方が優先になってしまいます」
そのせいで単に通り過ぎるだけ、近くでもない人々は警戒の対象外だった。
「向こうには何がある?」
フレデリックは進行方向から推察できることはないかと感じた。
「ここと同じような場所です。多くの店が並んでおります。カフェやレストランの割合が多いかと」
「逆は?」
「同じです。ここの通りは観光客に人気の飲食店が集まっておりますので、食事や休憩のために来る者が多くいると思われます」
「高位の者が何度も通うような店はあるか?」
護衛は困惑の表情を浮かべた。
「基本的にここは一般人向けです。ただ、知名度の高い飲食店はあります。嗜好によっては身分の高い常連客もいるのではないかと」
「馬車乗り場はどこだ? 定期馬車でも乗り合い馬車を拾うのでもいい」
「向こうです」
フレデリックは駆け出し、馬車乗り場へ向かった。
しかし、目当ての人物の姿はなかった。
「本当にどうしたのですか?」
フェリックスはフレデリックの様子を見て心配になった。
「見間違いかもしれない」
「その割には護衛を叱責していましたが?」
護衛が見逃すべきではない者を見逃していた証拠だった。
「観光のついでに食事をしたのかもしれない」
フレデリックは考え込んだ。
「だが、絶対にケチをつけている。ここには二度と来ないだろう」
「高位の者ですか?」
「見間違いではなければそうだ」
「誰なのか教えてください。僕にとっても懸念すべき人物かどうかを知りたいのです」
フレデリックは護衛に抱え上げられたフェリックスの耳元に顔を寄せた。
「バーベルナがいた」
「最悪です」
フェリックスの表情が歪んだ。
「なぜここに? 常識的に考えれば、いるわけがありません」
「極秘で帰国する途中に立ち寄ったのかもしれない」
「なるほど」
王都が騒がしいせいで帝国へ帰国しようと思っても、最短経路のフローレンは安全への懸念がある。
そこで南ルートのデーウェン経由を選び、途中で王太子領の観光も楽しむという予定であれば、大いにありえることだった。
「兄上に知らせた方がいいかもしれません」
フェリックスはパスカルに連絡すべきだと思った。
「見間違いかもしれない。そうなると、偽情報を伝えたということで迷惑をかけてしまう」
「なぜ、すぐに後を追わなかったのですか?」
「常識的に考えているわけがないと思った。だが、非常識な人物と国だからな」
「名前を呼んでみれば良かったのでは? もしかすると反応したかもしれません」
「ここは王太子領の領都だぞ? 目立つようなことはできない」
「こちらもお忍びです。不確定情報となると、どのようにすればいいのか悩みますね」
「パスカルについて来たレーベルオードの方に連絡する」
パスカルは個人的に動かせる配下を連れてきており、領都内に忍ばせている。
フレデリックはその者たちに接触して情報交換をしておくことにした。
「騒がない方がいい。王太子領都内で何かあれば、時期が時期だけにエルグラードにとっては都合が悪いだろう。どうせ偽名を使っている。探している間に王太子領を離れてしまうかもしれない」
「そうなることを祈ります」
「あれは災厄だ」
フレデリックの表情には忌々しさが溢れていた。
「何も起きなければいいが……」
「全くもってその通りです。護衛にも通達すべきでは?」
「顔を知っている者ばかりではないが、一応は注意を払うように伝えるか」
「ホテルに戻って打ち合わせをしましょう」
「そうだな」
ミレニアス王族一行は滞在中のグランドールホテルへ戻ることにした。





