1215 冷静な助言
「アスターがそんなことを言うなんて思ってもみなかったわ」
「バーベルナ様はエルグラードにいます。エルグラードの王太子や王家がどう思うのかもよくご存知でしょう。ゆえに愚かしいと思われるのです。ですが、ザーグハルドにいる者にとっては違います」
結成したばかりの東の経済同盟は難しい問題を抱えてしまった。
同盟国でより細かい部分を話し合い、実行していく段階に移れない。
さっさと参加希望国の処理をしたいが、拒否すればザーグハルドに非難が殺到する。
極めて面倒なだけに、エルグラードに押し付けるべく縁談の発表をすることにした。
多くの人々がその案に飛びつき、ザーグハルドに向けられていた視線がエルグラードに向く。
エルグラード王家は縁談を拒否するかもしれない。
だが、ザーグハルドとしてはエルグラードや西の経済同盟国、これから同盟に参加したいと思う全ての国々と協力して大同盟を結成したかった。エルグラードや西の経済同盟国のせいで叶わなかったと言い訳ができるようになる。
非難の矛先がエルグラードや西の経済同盟国に向いている間に、ザーグハルドは東の経済同盟の参加国との関係強化を進めることができるだろうとアスターは説明した。
「エルグラードに申し込んだのは大同盟ではなく縁談だという部分が重要です。エルグラード王家とザーグハルド皇帝家の問題になり、私的なこととして国から切り離すことも可能です」
「そうね」
「外交関係が悪くなっても気にする必要はありません。国境を接しているわけではないので、戦争になる恐れはまったくありません」
「確かに」
「経済的な影響も出にくいでしょう。なぜなら、ザーグハルドが見ているのは西ではなく東です。東の経済同盟国や極東方面の国々との関係の方が重要です」
バーベルナは驚いていた。
そして、いかにアスターが優秀なのかを実感した。
「アスターの言う通りだわ。ザーグハルドにとって重要なのは東の地域であって西ではないわ。西の方の面倒事をエルグラードに押しつけるため、縁談を利用したのね?」
「そうです」
大同盟と縁談を結びつける必要はないというのに、あえて結びつけた。
大同盟の申込みをして断られると東の経済同盟の議長国であるザーグハルドの威信も傷つき、経済への影響が大きくなってしまう。
しかし、縁談の申込であれば、私的なことだとすることでザーグハルド側の被害は少なくなる。
東の経済同盟における立場は揺るがない。面倒事をうまく解決できるとザーグハルド側は考えたということだ。
「現在、エルグラードからザーグハルドに多くの資金が流しています。通常、国交が悪くなると資金を回収する動きが強まります。ですが、縁談が成立しなかったことぐらいでは大きく動きません。元々成立する見込みが少ない縁談だからです。投資家たちは冷静に状況を見守るでしょう」
「その通りだわ!」
バーベルナは何度も頷いた。
「どうやら私はエルグラードに染まっていたようね。ザーグハルド側のことを冷静に考えることができていなかったわ」
「仕方がありません。バーベルナ様は被害者です」
バーベルナはエルグラードに滞在し続けたいかもしれないが、縁談のせいで居づらくなる可能性が高い。
王太子や王家に睨まれてしまう影響は無視できないものがあり、安全への懸念も強まってしまう。
しかし、ザーグハルド皇帝は気にしない。
皇女は政略的な駒の一つ。エルグラードから戻ってくればいい。それで解決だと思う。
「あくまでも推測でしかないのですが、バーベルナ様は王太子と親しくされています。何も知らなかった、父親が勝手に縁談を申し入れたと言えるように、あえて何も伝えないことにしたのでは? そうすれば、エルグラード王家もいつの間にか離婚させられていたバーベルナ様を責めにくいでしょう。機会を見て両国の関係をとりなすためにも、バーベルナ様が中立的な立場になれるようにしたのかもしれません」
「なるほどね。でも、おかしいわ」
「おかしいでしょうか?」
「これが誰の案かという部分よ」
皇帝が自らこのような案を考えることはしない。側近が考え、皇帝が良いかどうかを判断するというのがザーグハルド式だ。
バーベルナとシュテファンを勅命離婚させたことで、宰相とは決別したのと同じ。宰相やシュテファンの案ではないことは確実だった。
対立しているルエーグ大公やシュテファンと組んでいるアルフォンスと手を結ぶわけもない。
「参謀役を突き止めないと。相当な切れ者だわ」
国際情勢を見極めるほど優秀な者が皇帝側についている。
ならば、その者を自分側につけられないかとバーベルナは思った。
「お父様の新しい参謀役を私の駒にできれば、息子の立場も安泰よ。私自身が女帝になれるかもしれないわ」
「私がお話しているのはエルグラードにおける情報収集をした結果です。ザーグハルド帝国内のことについてはお力になれず、申し訳ありません」
アスターは表情を曇らせながら謝罪した。
「いいのよ。アスターはエルグラードにいるんだもの。ザーグハルドのことがわからなくても当然だわ。だというのに、冷静に向こうの状況を考えてくれたわ。本当に凄いと思っているのよ!」
「そうでもありません。エルグラードには優れた者が多くいます。その推測や仮定を集め、バーベルナ様にご報告しただけです」
「十分よ」
アスターの情報力はエルグラードにおいて非常に有用だとバーベルナは思った。
「でも、困ったわね。これからどうすればいいのかわからないわ。王宮に行ってエルグラード国王やクオンに謁見を申し込んでも嫌な思いをするでしょうし、それこそ帰国するように言われそうだわ。せっかく社交界の人気者になったのに、エルグラードから追い出されるなんて!」
バーベルナの帰国はエルグラード人にとって格好の話題になる。
社交界に自分への悪口が蔓延する未来をバーベルナは予感した。
「かといって、王都に居続けるのも危ないわよね。王妃の力ではどうにもできないわ。何か良い方法はないかしら?」
バーベルナはアスターに期待するような視線を投げた。
「あくまでも一案ですが、バカンスを楽しまれては?」
アスターが答えた。
「夏になると、長期休暇を取って楽しむ人々が増えます。バーベルナ様は社交活動に励まれていましたので、そろそろ休暇を楽しまれるということでもよろしいかと」
「なるほどね。王都を離れる理由として、帰国ではなくバカンスということにするわけね?」
「そうです。デーウェンはいかがでしょうか?」
夏のバカンス先として人気があるのは海沿いの国々。
しかし、海沿いの国々はエルグラードに非友好的とみなされており、ザーグハルドに対しても経済同盟への参加の条件で交渉がうまくいっていない。
ザーグハルドの皇女であるバーベルナが行っても歓迎されないばかりか、安全面での不安が逆に増える。
だからこそ、国際的な貿易国として名を馳せるデーウェンにする。
デーウェンの主要産業は貿易と観光だけに、さまざまな国々から訪れる人々を友好的に迎え入れている。
ザーグハルドは国境を接する国の一つ。バーベルナに対して厳しい態度は示さないとアスターは予想した。
「デーウェンの大公子は相当なやり手です。バーベルナ様を一方的に敵視するようなことはしないと思います。エルグラード王家に配慮して厚遇することはないかもしれませんが、多くの金を落とす観光客としての滞在であれば、何も言わないのではないでしょうか?」
「アイギスとクオンは相当親しいのよ? 警護を頼んでも断られそうだわ」
「頼んではいけません。居場所が知られてしまいます。常に監視されることになり、狙われやすくなるだけでしょう」
「バカンス先は教えないということ?」
「大使館をうまく活用するのがよろしいかと」
安全の懸念があるということで、バーベルナは大使館に移るふりをする。
すぐに大使館を出てバカンスに向かうが、しばらくの間は大使館にいると思わせる。
「デーウェンに向かったことが知られると、真っ先に船のルートが調べられるでしょう。ですが、他のルートも多数あります。日数が過ぎるほど、調べにくくなります」
「そうね」
「変装をするのも有効です。バーベルナ様が極秘にエルグラードへ入国できたのは、同行者があまりにも少なかったからです。今回も常識を超える対策をするのはいかがでしょうか?」
バーベルナは考え込んだ。
「アデレード、地図を持って来なさい」
「かしこまりました」
アデレードは急いで地図を用意した。
バーベルナは地図を見ながら、デーウェンに向かうルートを考えた。
「船でデーウェンへ向かうようでは常識を越えられないわ。だったら、陸路をうまく使わないとね?」
「その方がよろしいかと。途中にある大都市の様子を見学することもできます」
バーベルナの視線は南東最大の都市に向けられた。
「昔からとても興味のある場所があったのよ。デーウェンに向かう途中で長居してもいいわよね?」
「もちろんです」
「王太子領に寄るわ。デーウェンへ向かう途中だし、リーナも王太子領にいるわ。私の方が王太子領を知っているというのに、実際に行ったかどうかで負けるわけにはいかないわ。常識を超えるバカンス先にもなるはずよ」
「バーベルナ様の並外れた優秀さを感じました。自らの目で確かめることの重要性をご存知です。さすがザーグハルドの皇女、女帝を目指すに相応しい方です」
アスターに賞賛されたバーベルナの気分は急上昇した。
「決まりね。バカンスへ行くわ!」
デーウェンに向かうことにしつつ、実際は途中にある王太子領に長居する。
クオンが自ら改革を手掛けた王太子領へ行けることにバーベルナの胸はときめいた。
「ようやくクオンの領地をこの目で見ることができるわ。なんて素敵なバカンスなの。夢みたいだわ!」
バーベルナは満面の笑みを浮かべた。





