1208 延長届(二)
「遠方視察の件だ。外務の密談をしたいなら外すが?」
レイフィールが尋ねると、エゼルバードが中に入って来た。
ドアを静かに閉めたのはロジャーで、レイフィールの側近と同じく騎士の間で待機することを選択した。
「リーナが二カ月も延長したいと言っているようですね? 個人的にも外務統括としても反対です」
「誰から聞いた?」
「パスカルからです。夏の催事に参加する予定は組めないということでした。許可が出れば夏の大夜会も欠席だとか」
エゼルバードは不満を隠さなかった。
「今年はヴェリオール大公妃として国内外に存在をアピールする重要な一年になります。だというのに、最も社交が盛んな時期を王太子領で使い切るのは間違いです。夏の大夜会の欠席は認められません。公式行事ですよ?」
「エゼルバードは外交だけでなくリーナの社交も担当みたいだな」
レイフィールは苦笑せずにはいられなかった。
「外交関連の催しにも出席させたいのはわかる。だが、王太子領の問題をリーナが改善すれば、実力のアピールになるんじゃないか?」
「セイフリードや補佐する側近の手柄になる可能性もあります」
「セイフリードも評価を上げたいだろうな。正直、遠方視察に二人を行かせることに驚いた。だが、王都よりも王太子領の方が実務経験や功績を作りやすそうではある」
「わかっていませんね」
エゼルバードはやれやれといった態度を示した。
「デビュー早々大きな功績を立てるのは得策ではありません。本人ではなく側近の力によるものだと思われてしまうからです。先に社交で能力をアピールしてから、実際に能力を発揮して功績を作るべきです。周囲が納得しやすくなります」
「言いたいことはわかる」
「飾りの功績だと誤解されてしまうようでは駄目なのですよ。王都であれば注目されやすく評価も上がりやすくなりますが、地方は見えにくく評価されにくいでしょう」
「滞在延長を再検討するように伝えておく」
クオンはリーナに対する返事を決めた。
「まずは二週間程度の延長で様子を見ればいい。それでも足りない場合は再度延長追加の手紙を出すように伝える」
「そうしてください」
エゼルバードはリーナの遠方視察をできるだけ短縮させたかった。
その理由は一つではない。複数あった。
「あの女をこれ以上のさばらせるわけにもいきません。エルグラードにおいて社交界を牽引する女性はリーナでなくてはなりません!」
あの女という言葉によって、クオンとレイフィールはピンと来た。
「バーベルナが何かしているのか?」
「また問題を起こしそうなのか?」
「社交活動を精力的にしています。今がまさにシーズンですからね」
エゼルバードは苦々しく答えた。
「兄上もレイフィールも社交に興味がないのは知っていますが、常に情報を更新しておくべきでは?」
「執務の情報更新の方が優先だ」
「軍務の情報更新が優先だ。社交はエゼルバードが担当だろう?」
「ヘンデル、ヴェリオール大公妃付きの側近だというのに、報告を省いているのですか?」
エゼルバードはヘンデルを睨んだ。
「王太子の側近業が優先です。ヴェリオール大公妃は不在です」
ヘンデルはすました表情で答えた。
「情けない担当です。リーナがいない間に悪い噂をばら撒かれたらどうするのです?」
「現状において、ヴェリオール大公妃の悪い噂はありません。後宮の警備体制の見直しと立ち入りに関する緩和によって王宮や後宮内における評判は上々です」
「外の社交場における評判はよくありません。孤児を連れて行くことを言い訳にして王太子領への旅行を楽しんでいると言われているのですよ?」
「遠方視察は特別公務です。私的な旅行ではありません」
「途中の町々で大量の買い物をしているのは経済対策の一環だというのに、贅沢三昧だという噂もあります」
「ヴェリオール大公妃をよく思わない者が流している噂です。信憑性が低いことは多くの人々が承知していますので、主要な社交場では蔓延しません」
「小さな社交場の噂が主要な社交場に広まることは普通にあります。そして、一度広まってしまうと取り返しがつかなくなる可能性があります。なぜだかわかりますか?」
わかるからこそ、ヘンデルには答えにくかった。
「リーナと親しい者が社交界にいないからです」
リーナは元平民の孤児。
その出自のせいで貴族にも一般的な平民にも知り合い自体が極めて少ない。
学校に通っていなかったことも、人的交流の狭さにつながっていた。
「王太子派の貴族はリーナを擁護するでしょうが、社交よりも仕事や政治を優先する派閥です。状況によっては、職務優先だからこそ、中立の立場を取ることもあるでしょう。ヘンデルの妹達も動けるような状況ではありません」
カミーラは妊娠による体調不良から社交活動をずっと休んでいる。
ベルはシャペルとの婚約もあって自身の話題については提供しているが、カミーラのように社交を楽しむ女性達とのつながりは強くない。
側近補佐として買物部の管理業に忙しく、社交界に注意を払う余裕もない。
「私から伝えるのもどうかと思うのですが、ラブが任意で活動しています。王立大学や所属するグループ、出席する催しでリーナの良い部分を積極的に宣伝しているようですよ」
「その件は聞いております。キュピエイル侯爵令嬢もヴェリオール大公妃の評判に対する宣伝活動をしてくれています」
ヘンデルはブライズメイドとそのサポートを務めた若い二人が自主的にリーナのために動いているのを知っていた。
「王立学校の高等部でもヴェリオール大公妃派のグループを設立した生徒達が生徒会選挙で圧勝しました。学生間におけるヴェリオール大公妃の評判は上々のようです」
リーナが王立学校へ行った時に知り合ったディランとアーヴィンは、パスカルが冬休み期間に見習いとして短期採用したこともあって、よりヴェリオール大公妃を支持する意向をアピールするようになった。
そして、飛び級で高等部へ進学した二人は、一年生であるにもかかわらず、生徒会役員選挙で圧勝した。
それはすなわち王立学校高等部を支配する立場を手に入れたということであり、中等部や初等部、他校にも影響を及ぼす。
「ですが、社交界で力を持つのはもっと上の世代です」
「それはわかっております」
「母上の影響力があるのは三十代後半以上の女性達が構成する層で、王妃の影響力がある範囲とほぼ被っています。そして、王妃はバーベルナに肩入れをすることで、より下の世代への影響力を強めようとしています」
「王妃がバーベルナに肩入れを?」
レイフィールはすぐに怪訝な表情になった。
「バーベルナの評判が上がるようなことをしているということか?」
「話し相手や催しの参加者として王宮に呼んでいるのです。王妃に気に入られている者であれば、他国人であってもエルグラードの社交場に出入りしやすくなるでしょう」
クオンはため息をついた。
「母上は昔からバーベルナが気に入っていたからな」
「王太子妃候補にしたがっていた」
レイフィールは険しい表情になっていた。
「社交界で最も勢いがある二十代と三十代女性達が注目しているのはバーベルナです」
皇女という身分のせいで他国人にしては知名度があったが、新聞に載ったり金塊を売って財産を増やしたことがきっかけで、より多くの人々に知られるようになった。
「社交界でバーベルナが大人気ということか?」
レイフィールが尋ねた。
「そうです。本来であればリーナがヴェリオール大公妃の催しをして注目を浴び、名声や女性達の支持を強めるべきだというのに」
リーナの母親や姉妹がいれば、リーナの社交を補佐するような活動ができる。
しかし、実の母親は正体を明かせない。エルグラードにさえいない。
レーベルオード伯爵家の親族女性はまったくあてにできない。
「社交界におけるリーナへの支援力が絶対的に不足しています。王太子領よりもそのことを改善すべきだと思いますが?」
「焦る必要はない。今年が重要なのはわかるが、来年もその次の年もある。功績と同じく、一気に社交界での地位を築き上げる必要はないと思うが?」
「悠長なことは言っていられません。社交界は流行が重要なのです。人気も評判も同じです。婚姻と社交界デビューで最も注目されている今年中に良い印象を与えなければなりません」
「夏の大夜会には出席させる。秋の大夜会もある。冬になれば、冬籠りや慈善活動を通じてリーナの活躍をアピールできるだろう?」
「今年の終わりが良ければすべて良しじゃないか?」
「兄上もレイフィールも、心底社交には向いていません」
エゼルバードは嘆かずにはいられなかった。





