1204 素敵な場所にしたくて(二)
リーナが枕カバーの仕立てについて説明すると、自分で枕カバーを作ると思っていた子供達は喜んだ。
「自分でしなくていいのか!」
「だったら速攻で選ぶ!」
「素敵な枕カバーにしたいわ!」
それまではカーテンを見る子供が多かったが、枕カバー用の布地の方に子供達が殺到した。
「俺の!」
「私のよ!」
「取り合わなくて大丈夫です。複数人分あります。あそこにいる侍女に切り分けて貰ってくださいね」
「良かった!」
「そうね!」
騒がしいほど活気がある食堂に伝令役の騎士がやって来た。
「ヴェリオール大公妃、玄関ホールの方に来ていただけないでしょうか? セイフリード王子殿下が到着されました」
「わかりました。リリー、ここを頼みますね」
「はい!」
リーナは玄関ホールの方へ戻った。
まだそれほど経っていないというのに、玄関ホールのほとんどが美しいペールグリーンに変わっていた。
「明るいですね!」
薄汚れて暗かった印象はまったくない。美しい玄関ホールに生まれ変わるのは時間の問題だった。
「ライトグレーの部分は後から塗るのですか?」
「そうです。まずはペールグリーンを塗りまして、端や下の方をライトグレーで仕上げます。白よりも汚れが目立ちにくい色なので、実用的な選択だと思います」
「リーナ!」
リーナが玄関ホールで立ち止まってしまったのを見て、セイフリードが催促するように呼んだ。
「はい!」
怒らせては不味いと感じたリーナはすぐにセイフリードの所へ向かった。
「何でしょうか? というか、なぜ外に? 玄関ホールを見ないのですか?」
「外観の方を確認していた。見てみろ」
リーナは孤児院の外観を見た途端、驚愕の表情になった。
孤児院の建物は多くの子供達を受け入れることができるように大きい。
すべての外壁を綺麗に塗り直すとかなりの費用がかかってしまうため、一部だけを塗り直すという案が出た。
どこをどう塗るのかはセイフリードの方で効果的になるように考えるということだったが、リーナの予想とは全く違っていた。
「前面だけをすべて塗るのだと思っていました」
「費用がかかる」
「それはわかります。でも、窓枠だけを塗るなんて!」
当然のことだが、その方が塗る面積を少なくできる。
白い窓枠にはくっきりと窓を浮き上がらせて強調する効果があった。
「あれって、飾りですよね?」
窓の上と下には飾り板が張り付けられていた。
「そうだ。塗料代を節約する代わりに飾り板を取りつけた。どうだ?」
「見た目の印象が凄く変わりました。のっぺりとした石造りだったのに、素敵です!」
「デザイン性のある窓を演出するだけで全体の印象を変えられる」
「そうですね。トピアリーがあることで玄関口もお洒落に見えます」
玄関のドアを挟むように置かれたのは綺麗に刈り込まれたトピアリーの植木鉢。
王太子宮の庭園を管理している庭師達が枝葉を丸く刈り込んで仕上げたものだった。
だんだんと枝や葉っぱが伸びてくるが、小ぶりなものだけに職人を呼んで刈り込む必要はなく、職員の方ではみ出した部分を切るだけでいい。
施設管理の作業として追加しても継続しやすく、季節ごとに花を植えたりするよりも簡単ということで採用された。
「金と銀のリボンのおかげで華やかさもありますね!」
「ヴェリオール大公妃の遠方視察記念だからな」
リボンをつける提案をしたのはパスカル。
贈り物という印象が強まり、ヴェリオール大公妃が王太子領に来たことを記念して贈呈されたことがわかるということで採用された。
リーナはキョロキョロと周囲を見回した。
「お兄様は? セイフリード様と一緒に来たのでは?」
「監督しに行った」
「どこをですか?」
「側面の方だ」
「絵の方ですか?」
「そうだ。全体的に統一感が出るようにしなければならない」
セイフリードは大学を視察した際、孤児院の改善に役立ちそうな建築や芸術を専門にしている学生達に実力を証明するための協力をする気がないかと尋ねた。
第四王子の呼びかけということもあって続々と希望者が名乗りを上げ、最終的には大学として協力することを大学長が申し出た。
建築学部の学生は共用場所の改装案を出し、芸術学部の学生は外壁の側面をキャンパスに見立てて絵を描くことになった。
「まあ、植物の絵だけにおかしくはないだろうが」
古い建物の中には建物の外壁を植物が覆っていたり、張り付いていたりすることがある。
それをイメージした蔦の葉や美しい花の絵を描くことで側面の印象を変える予定だった。
「一人で絵を描くのと何十人も集まって合同制作するのでは難易度が違う。学生達にも良い経験になるだろう」
「側面が緑色に染まりそうですよね」
「緑色を塗っただけの壁に見えるようでは意味がない。絵を描き過ぎないようにすることも重要だ」
リーナとセイフリードが話し合っている内に、大きな荷台を備えた馬車が到着した。
「セイフリード王子殿下!」
「おはようございます!」
手を振りながら挨拶をして来たのは建築学部の学生達だった。
「おはよう。リーナにも挨拶しろ」
「ヴェリオール大公妃にお会いできて光栄です」
「王太子領にようこそおいでくださいました。心より歓迎申し上げます」
「学生の代表として、ご挨拶いたします」
「ヴェリオール大公妃による新たな試みに参加することができることを栄誉に感じています」
建築学部の学生達は片膝をつき、恭しく最上級の挨拶をした。
「おはようございます。協力してくれて嬉しいです。でも、セイフリード様の方が偉いのに、私への挨拶の方が丁寧というのは変では?」
「僕は大学の方で正式な挨拶を受けている。建築を専門にする学生同士でもあるだけに、遠慮なく意見を出せと言ったせいで図々しくなった」
「そんな!」
「違います!」
「片膝ではなく両膝をつきますから!」
学生達は慌てた。
「面倒だ。非公式の場だけに特別な許しを与える。それよりも持って来たのか?」
「持ってきました!」
「完成しています!」
「設置するだけです!」
学生達はすぐに元気を取り戻した。
「ですが、名前がまだです」
「子供達の名前をプレートに記入しないといけないです」
「芸術学部の案のせいで時間がかかってしまって」
「でも、連絡板の縁に装飾を彫ってくれたので、立派になりました!」
建築学部にいる生徒たちが制作したのは玄関ホールに設置する外出連絡板だった。
玄関ホールは綺麗に塗り直すことになったが、何もない空間だけに物足りなさを感じてしまう。
そこで子供達が孤児院にいるのかどうかを一目でチェックできる連絡板を作る案が出た。
これは職場にも設置されているようなもので、自分の名前札を当てはまる場所に移動させて使用するものだった。
「外出の部分ですが、学校とそれ以外の外出に分けることにしました。よろしかったでしょうか?」
「問題ない。その方がなぜいないのかがわかりやすくなる」
「では、在宅、学校、外出の三種類で場所を分けるということで」
「子供達の名前を知りたいのですが、職員に聞けばいいのでしょうか?」
「書類を調べればわかると思います。ちなみに、子供達なら全員食堂にいますよ」
リーナが答えた。
「では、食堂へ行きます」
「同じ名前だとわかりにくいので、違うプレートにしないといけません」
「プレートの下に色を塗っておきました。好きな色を選んで貰います」
「好きな色は全員緑です」
リーナの答えを聞いた学生達は笑顔を浮かべた。
「やはりそうですよね!」
「じゃんけん勝負だな」
「二人の場合、緑と黄緑で平和的に解決できるかもしれません」
「緑が人気なのは予想していたので、緑系で二色用意しました」
王太子領民同士、わかっているとリーナは思った。
古くて暗くて薄汚い印象だった孤児院はたった一日で変貌を遂げた。
その外観は灰色の石造りのままだが、デザイン性のある窓が強調されており、由緒ある建物のように見えた。
孤児院に来る途中で見える側壁には芸術家を志す学生達によって描かれた共同制作の絵がある。
王太子領で最も人々が好むのは緑。建物を守るような植物と花の絵は孤児院へ向かう子供達や訪れる人々の心を和ませてくれる。
傷と錆びで劣化していた玄関口の金具は新品と交換された。
木製のドア部分にはやすりがかけられ、汚れと古い塗料をはがした後はニスを塗り直して美しく仕上げられた。
ヴェリオール大公妃の遠方視察の記念品として贈呈されたトピアリーが左右対称に置かれたことで、殺風景だった玄関前の印象がお洒落で上品な雰囲気になった。
玄関ホールは淡いペールグリーンとライトグレーに塗られ、新築のように美しい。
この配色は緑を自らの色とする王太子と灰色を自らの色とするヴェリオール大公妃をあらわすということで選ばれている。
ホールの壁一面に装飾彫りが施された連絡板も設置された。
孤児院にいる場合は右端の方に寄せて置き、学校に行く場合は中央、それ以外の外出の場合は左端に寄せて名前のプレートを置いて使用する。
これによって子供達がどこにいるのかだけでなく、職員達が子供達の名前を把握しやすくもなった。
職員達は子供達がほとんど孤児院にいないために顔と名前を一致させにくく、その結果として声をかけにくい状況になっていた。
これからは名前札を移動する子供達の様子を見ることで、職員が子供の顔と名前を一致させやすくなる。
挨拶もしやすくなり、子供達と職員の関係改善にも役立つだろうと思われた。
食堂や談話室の内装は領都大学の学生が案を出し、明るい色の壁紙を張ったおかげでがらりと雰囲気が変わった。
子供部屋にはサイズ直しをした上質なカーテンが取り付けられ、ベッドの上には色とりどりの枕が置かれた。
王太子領の孤児達にとって孤児院は寝る場所という認識が強い。
ヴェリオール大公妃から贈られた自分だけの特別な枕カバーは子供達を喜ばせ、カーテンとともに安らかな眠りに導くことを手伝ってくれる。
子供達を少しでも安心させたいというリーナの願いが込められた改善方法の一つだった。
人々の英知と工夫、協力によって改善された孤児院は特別で素敵な場所になった。
「こんなに変わるなんてびっくりだ!」
「素敵過ぎて!」
「自慢できる」
「孤児院に友達を呼びたくなった」
「枕カバーを見せびらかしたい」
「カーテンも!」
「赤いバラの間だしね!」
「王太子軍の間だ!」
「部屋の呼び方を変えるだけで、気分が上がるなんて思わなかった」
「リーナ様のおかげだね!」
「普通は思いつかない」
「凄いアイディアだ!」
「さすが王太子殿下の奥さんだね!」
子供達は心からの笑顔を浮かべていた。
それがこの孤児院にある最大の魅力であり素晴らしさ。何よりも大切にしなければならない宝物だとリーナは感じていた。





