1202 他の孤児院を見て
リーナは他の場所にある孤児院も視察した。
領都内だけでも複数の孤児院があり、各孤児院で様々に違うことがわかった。
王太子領最大の孤児院は元兵舎だった建物で、男子専用になっている。
近くにあるのは士官学校や王太子軍の施設。学校の制服や軍服を着た者が多くいる地区にあった。
普段の生活は寄宿学校の寮のように厳しく規則正しい。年長の子供から全体のまとめ役と補佐役を選び、何かあればまとめ役や補佐役に相談をする仕組みになっていた。
女性専用の孤児院は元神官の住居だった建物で、神殿とは道を挟んだ場所にある。学校にも近い。
繁華街にも近いために門限が早く設定されており、厳格なルールだけでなく罰則も設定されていた。
グループごとに班長を選ぶ形式になっており、何かあれば班長が指示を出し、班で協力し合って対応する。
乳幼児専用の孤児院は元貴族の屋敷で最も内装が良く、都立病院の隣という好立地。
女性の職員が多く、看護師の資格保持者が何人もいて世話をしている。
王太子領では看護師の資格を得る際、入院時を想定して乳幼児の世話を学ぶ講習会に参加することが義務付けられている。
その講習会の場所として乳幼児専用の孤児院が活用されていることもわかった。
また、王太子領だけでなく周辺地域全体の中心と言っていい領都は地価が高く、その街並みは屋根裏を含めて三階から七階まである建物の割合が多い。
一階や二階は店舗で三階以上が居住スペースになっているような建物もあるが、孤児院にも同じタイプがあった。
見た目としては孤児院とは思えない。賃貸住宅に住んでいるのと同じ。
そのような孤児院は成人年齢に近づいた子供が入居しており、孤児院を出た後に自分だけで生活するための事前練習ができるようになっていた。
リーナは書き物をするための部屋に筆記具を用意して貰い、じっくりと考えるために一人になった。
「王太子領の孤児対策は、成人までの進路という部分では本当によく整っています。でも……」
リーナは王太子領の孤児対策は極めて現実的で効率的だと感じた。
だが、心の中にはモヤモヤしたものが残っている。
「視察する順番が意図的でしたよね」
最初に古くからある方の孤児院を視察させ、だんだんと見た目や設備が良い孤児院を視察する順番になっていた。
公的孤児院とはいっても、すべての孤児院が全く同じわけではない。
建物や立地など様々な差があり、それらを完全に揃えることはできない。
そこで福祉関係者なりに考えたというのはわかるが、視察や監査に対して及第点を貰えるような視察順にしたのだろうとリーナは感じた。
「工夫するのはそこじゃないですよね。問題だと思われてしまいそうな部分がある孤児院を改善することだと思うのですが……」
だが、関係者の認識上では問題視するようなことがない。
リーナから見れば問題のように見えても、王太子領的には問題なしというわけだ。
「私がいた孤児院は色々と酷い方だったはず。王太子領の孤児院は、職員と子供の関係については同じような感じがします」
乳幼児専用の孤児院以外については、子供の世話をするのは職員ではない。
保護するということは細やかに子供達の世話をすることだとは思われておらず、現場のやり方として年長の子供に任せっきり。
同じ孤児同士で分かり合い、助け合えばいい。そう思うからこそ、職員の視点が子供達の心の方には向いていない。
職員にとって子供達をサポートする取り組みは外部施設を利用するための金銭を渡すことや施設管理をきちんとすること。
子供達もまた職員達をあてにできるとは思っておらず、ただの施設管理者でしかないと考えている。
まとめ役や班長は設定されているが、職員が学校の成績を考慮して選んだけ。選ばれた者は面倒を押し付けられたと感じて不満を感じている。
個々で問題を起こさないようにすればいいということで、まとめ役や班長が細やかに他の子供の面倒を見ているわけではない。
王太子領の孤児院は大人が子供の面倒を見る場所ではなく、子供だけで生活できるようになっているだけの場所だということが、視察をするほどはっきりとした。
「私達はボスを頼りにしていましたけれど、王太子領の孤児達が頼りにしているのはクオン様が整えた制度の方ですよね」
その安心感が王太子領の孤児だけでなく子供達全員の心を支え、自分の将来について考えることにつながっている。
大人達も同じ。クオンが作った制度に安心しきっている。
それさえあれば大丈夫。万全だと思ってしまい、他のことをしていない。
王太子領の大改革から約十年。
その期間は大改革による変化と恩恵を王太子領中に届け、王太子クルヴェリオンという領主がいかに優れているかを領民達に実感させた。
だからこそ、王太子領民はクオンに絶対的な忠誠心を誓い、そのことを誇っている。
「本当にクオン様は凄いです」
クオンが多くの執務をこなしているということは知っているが、そのことによって国民の生活がどうなるのかは正直よくわからないとリーナは感じていた。
だが、王太子領を見ることでわかった。
素晴らしい統治者がいれば人々の生活は変わる。その心も、未来も、可能性さえも。
「凄い人と結婚してしまいました……」
クオンが王太子であることも第一王子であることもリーナはわかっていた。
身分が高い。自分よりもずっと優れており、多くの人々を正しく導く高潔な人物。経歴も凄い。どこから見ても立派だった。
それでも、同じ人間だと思っていた。
ところが、同じ人間だと思っていいのだろうかと不安になるほどの差を、王太子領に来てから感じた。
人としてもあまりにも大きい存在。
それに比べると自分は相当ちっぽけだとリーナは感じずにはいられなかった。
そして、クオンの妻としてリーナが釣り合わないという人々がいる事実は、まさにこの差をわかっているからなのだろうとリーナには思えた。
「私にできることって……」
リーナは懸命に考えた。
これまでも多くのことを改善できないかと考え、工夫を重ねて来た。
その知識を、経験を、王太子領で活かしたい。
元孤児、平民だったからこそ学べたことがある。それを人々のために役立てたい。
子供達の幸せのためにできることがある。
遠方視察の大役を任せてくれたクオンの期待にリーナはどうしても応えたかった。
「最初の孤児院はもう少し見た目を良くするとして」
領首相が臨時予算を組んでくれたため、費用を抑えながら見た目を良くする方法を考えた。
リーナだけでなく視察に同行した全員、王太子宮の人々、建築家の視点からセイフリードも案を出してくれたため、少ない予算でも孤児院を改善できそうな目途が立っていた。
「子供達の心を支える方法を考えないと」
リーナはため息をついた。
王太子領は独特な地域。孤児だからこそ強い心が必要。何もかも自分でできるようにする。本人のためにもその方がいいということで、今のままで何も問題ないと思われている。
それは正論のようでいて、危険をはらんでいた。
現在の方法は子供に強くなるように言うだけ。子供に責任と負担を押し付けているという見方ができることに気づいていない。
孤児院に保護されても、不幸な子供達に安心安全を与える人やその温かさがない。
無表情、鋭い視線、冷たい空気を纏う子供達を増やしてはいけないとリーナは思った。
「子供達は緑が大好きですし、それをもっと活用できれば……」
最初に視察した孤児院の改善にも緑を活用することにした。
孤児院に住んでいる子供達も、あの孤児院に入るかもしれない子供達も喜んでくれる方法だと思っている。
だが、他の孤児院に対しても全く同じことをすればいいわけではない。
各孤児院の事情に合わせて改善策や対応策を考えなければならない。
「どの孤児院かに関係なく、孤児全員に対してできる取り組みだといいですよね。それでいて現場に負担がかかりにくく、強制にもならない方法……」
全孤児院を対象にした規則を作れば、改善できることもある。
だが、それは命令で従わせるようなものになってしまう。
リーナがしたいのは命令ではない。子供達の心を温め、優しく包み込むような取り組みだ。
それでいて、予算がかかりにくい方法がいい。
一時的なことではなく継続的な取り組みにするためにも熟考すべきだった。
「私も孤児院担当と孤児担当の違いを注意しないとですね。施設よりも人への対応が優先です。子供達が喜んでくれることをしたいですし」
アンケートを取ったことで、緑色がダントツで人気色なのはわかっていた。
視察のお土産としてバラの形のパンやクッキーを持っていったことも喜ばれた。
夏休みになったら王太子宮の庭園に招待することも考えている。
「王太子宮の庭園の方も考えないと」
今年の夏は王太子宮の庭園で楽しむ計画を発表したため、リーナが主導していかなければならない。
リーナは日付を思い浮かべた。
「どう考えても時間が足りません……」
遠方視察は一カ月の予定で組まれているが、王太子領の滞在だけで一カ月ではない。
二週間は移動日。残り二週間が滞在日数という振り分けだった。
孤児院や小中学校の視察だけであっという間に十日が経った。
最初に視察した孤児院の見た目を改善する工事日は明日だが、本当に一日で作業が終わるかどうかはやってみなければわからない。
明後日は関係者による大会議。セイフリード、側近や同行者達が手分けしている監査や調査の結果を見て、リーナが領主代表として発表しなければならない。
「やっぱり」
リーナはノートに書き込むのをやめると、机の上に置いてある箱を開けた。
そこに入っているのはヴェリオール大公妃専用の便箋と封筒だ。
リーナは便箋を一枚取った。
「クオン様へ。お元気ですか? 私は元気です」
定番の文章の後は王太子領の孤児院をいくつも視察してわかったこととその感想になった。
あっという間に一枚目の便箋が文字で埋まってしまう。
リーナは迷うことなく便箋を追加して手紙を書き続けた。
「子供達の心を支える取り組みと王太子宮の庭園についての取り組みについては、どうしても私の方でやりたいです。中途半端にはできません。なので、滞在を延長したいと思います」
リーナは滞在延長を決めた。





