1194 改善するのは
昼食が終わると、リーナは庭園の案内を申し出た。
「セイフリード様に王太子宮の庭園のことでご相談したいので、実際に見て確かめて欲しいのです」
「庭園のことで?」
リーナは立ち上がった。
「ここは芝生庭園です! 緊急時の避難場所に指定されています」
「ここからなのか」
セイフリードは座ったまま説明を聞くことにした。
「王宮にも芝生の庭園がありますが、こちらの芝生庭園は区切るような小道がありません。林の方までずっと芝生です」
「確かにそうだな」
「古き時代は戦争が多かったので、多くの兵士や避難民が集まる場所として活用されていました。できるだけ多くのテントを張れるよう小道で区切られていません」
状況に応じてスペースを有効活用できるようあえて細かく区切られていない。
「庭園としての奥行きはあの林までです。それよりも先は牧草地や人工林、水路があります。王太子宮の敷地内なので、遠乗りを楽しむこともできます」
「そうか」
「向こうの方に階段があって、降りた場所にオランジェリーと温室があります。行きましょう!」
段差のある地形を利用した温室の窓は南と西側の開口部分が多い。
暖かい季節は温室内の植物は外に出され、オランジェリーとして確保されている敷地に整然と並べられていることをリーナは移動しながら説明した。
「厨房があるのは、温室内を温めるために火を焚く場所が必要だからです。ただの部屋よりも厨房の方が役立ちます。医務室もあります」
「医務室も?」
セイフリードは意外だと感じた。
「やっぱり驚きますよね? 温室は先ほどの芝生庭園と関係していて、緊急時の対応施設になります。食事や医療を提供できるようにしているのです。トイレもありますよ!」
「緊急時の利用を予め想定している温室は珍しい」
「オレンジが多く栽培されているのには理由があります。古き時代は珍しかったことに加え、その香りにリラックス効果があるからだそうです。風邪を予防するためにもオレンジを適度に食べた方がいいということで、時期をずらして収穫できるよう温室で大切に育てられていました」
適度に果物を取るのは健康維持に役立つ。常識だ。
だが、その香りについても古き時代から注視されていたという説明にセイフリードは興味を引かれた。
「温室は野外で働く者の休憩所にもなっています。夏は熱射病、冬は風邪になりやすいので、それらを予防するためにも温室で休憩できるのがありがたいようです」
「医務室には医者がいるのか?」
「王宮の医務室から一人派遣されています。日中は野外勤務者のための診療所になっているのですが、薬草園で採れるものから薬を作る調合場所にもなっています」
王太子宮の敷地内で働く者は王太子宮や温室の医務室を利用できる。
薬草園があるおかげで服用薬も無料で支給して貰える。
「菜園の方に行きましょう!」
菜園は高い柵で囲まれている。石造りの立派な門もあった。
「ずいぶん立派な門だな?」
「警備用の監視台になっています。そこのドアを開けると狭い階段があって、門の上部に行けます」
セイフリードはなんとなく予感がした。
「では、階段を上りましょう。遠くまで菜園を見渡せますよ!」
やっぱりそうなるのかと思いながらセイフリードは階段を上った。
監視台から付近を見渡すと、王太子宮の敷地がいかに広いかをより一層感じられるようになっていた。
「この菜園は普通の畑とは違います。実用性と鑑賞の目的を兼ね添えていて、ポタジェと呼ばれています」
「花があるな?」
「コンパニオンプランツといって、一緒に植えることで相互に良い効果が得られる植物が植えられています」
「向こうの方にある丸いのはなんだ? 池か?」
「水場です。南側にある貯水池から水を引いていて、ポタジェの水やりに使われています」
「確かに普通の畑とは違う感じがする。見栄えを気にした配置だな」
「移動します」
次は果樹園だろうとセイフリードは予想した。
だが、リーナはオランジェリーまで戻って階段を上がった。
「果樹園は下の方だろう? 北側に階段があるのか?」
「果樹園と薬草園を見渡せるバルコニーがあるのです。全部歩いて見学するとセイフリード様が疲れてしまうと思うので」
体力がないセイフリードへの配慮をリーナは忘れなかった。
「こちらです。薬草園も果樹園も広いですよね?」
「そうだな。これほど広いとは思わなかった」
バルコニーから眺めるだけにしたリーナの判断は適切だとセイフリードは思った。
「要塞があった当時、エルグラード領は要塞とその周辺だけでした。小麦は遠方からでも輸送しやすいです。近場では生鮮食品を確保できるように率先して菜園、果樹園、薬草園が作られました」
王太子領は自給自足を目指すことで多くの物資を安定的に確保した。
王太子宮の菜園、果樹園、薬草園はその原点。
ここから王太子領の自給自足が始まったと言っても過言ではないとリーナは話した。
「高い柵があるのは泥棒避けに思えますよね? でも、王太子宮を守る防壁が敵に破られた際、臨時の防御柵にするためだったそうです。古き時代の名残りなのです」
「やけに柵が高いと思った」
「強風を防ぐための土台があるので、余計に柵が高くなっています。敵にも風にも泥棒にも強いので、時代を越えて活躍しています。菜園の方が地形的には高くて、果樹園や薬草園の方が低くなっています」
王太子宮は元要塞だったため、高台にある。周囲すべてを崖や傾斜にすると攻めにくく守りやすいが、他のことに対する土地の有効活用がしにくい。
そこで考えられたのが傾斜を削って段差のある平地を作ることだった。
そして、段差上の平地を菜園、果樹園、薬草園として活用していたことをリーナは説明した。
「王太子宮の防御壁を破った敵は坂道よりも平坦な方に進みます。すると、薬草園や果樹園がある段の下に出ます」
王太子宮へ向かうために進んだはずが、段差がある場所に出てしまう。
非常に長い梯子をかけて段差を登っても、高い柵があって先に進めない。
柵を壊しても薬草園や果樹園は掘り下げられている。せっかく上がって来たというのに、またもや低い場所に降りて進むことになる。
南へまっすぐ進むとオランジェリーの方に出るが、やはり高い柵と門に阻まれてしまう。
王太子宮へ行くには、最初から坂道を行く方がはるかに楽な地形になっていた。
「ここにバルコニーが設置されたのは、薬草園や果樹園の方に不法侵入者がいないかを素早く確認するためです。要塞の防衛戦が行われる際は弓部隊が陣取りました。大砲を撃つ砲台にもできます」
薬草園や果樹園は低い場所にある。高台から狙い撃ち、効率的に多くの敵を倒すことができるようになっていた。
「さすが元要塞があった場所だ。防衛するための工夫が凝らされている」
「要塞は老朽化してしまい、平和な時代を象徴する宮殿になりました。ですが、庭園はほとんど手を加えられていません。私達が見ている風景は何百年も前と同じなのです。かつて南方を目指した時代の王太子も、このような景色を見ていたことでしょう」
リーナはセイフリードに向き直った。
「これで王太子宮の周辺にある庭園と呼ばれている場所の大部分は見たことになります。いかがでしたか?」
「噂には聞いていたが、よく考えられている。非常に実用的な庭園だ。古き時代の英知を感じることができた」
「そうなのです。でも、これだけ広いので、相当な経費がかかっています」
王太子宮の維持費が年々上がっているが、領首相に予算増額を拒まれ、節減するよう言われてしまった。
宮殿長は庭園に関わる経費が多すぎると判断した。
宮殿長は庭園管理部に経費を抑えるように伝えたが、その多くは人件費。人件費を削るには庭師の給与を減らすか雇用数を減らすしかない。
庭師達は大反対。何とかして欲しいと懇願されたことをリーナは説明した。
「庭園管理部の書類を見ると、庭師を解雇して庭園を縮小するしかなく、平和な時代に合わせた庭園への変更も必要だとありました」
「どんな変更だ? 具体的な案も出ているのか?」
「現在の景色を変えてしまう案です」
芝生は一定期間で伸びてしまうため、短く切りそろえる手間がかかり続ける。一部は手入れをしなくていい石畳、地盤を固めて砂を撒いた広場にしてしまう。
温室は閉鎖。時期ずらしの果物は外部から購入する。医務室は王太子宮内の医務室と統合する。庭師や警備関係者の休憩場所は屋外にする。
菜園、果樹園、薬草園の収穫物は王太子宮に提供されているが、庭師の人件費と外部からの購入費を比べると、外部からの購入費の方が安い。
菜園、果樹園、薬草園を維持するのは無駄。すべてなくして馬場にしてしまい、王太子軍に利用して貰う。
そうすれば馬場の維持管理や経費負担をするのは王太子軍になり、庭園管理部の経費が相当減る。
リーナの説明を聞いたセイフリードは顔をしかめた。
「庭師達の意見もしっかり聞くべきだと思って、手紙を書かせました。解雇や人員削減に反対するのは生活に困るからではありません。古き時代から受け継がれている庭園とその風景を守りたいからです」
庭師達は王太子宮の庭園を心から愛し、後世に受け継いでいく仕事に誇りを持っている。
それがよくわかる手紙だとリーナは思った。
「王太子宮の庭園は伝統的な庭園というだけではありません。何百年もの歳月が経っても大切に守られているエルグラードの歴史的遺産です」
それがリーナの出した答え。
「改善すべきは経費の方ではなく人々の意識の方ではないでしょうか? この庭園の真の価値と素晴らしさをより多くの人々に伝え、理解して貰う取り組みが必要だと私は思いました。セイフリード様はどう思われますか?」
エルグラードの歴史的遺産。
そんな言葉がリーナから出て来るとは思ってもいなかったというのがセイフリードの正直な気持ちだ。
そして、リーナが自ら庭園の解説をした理由もわかった。
目の前の風景に古き時代を重ね、伝統的な庭園に込められた人々の英知や心を感じ取って欲しかったからだ。
セイフリードは改めてリーナの成長と審美眼を感じた。
「リーナは正しい」
セイフリードもリーナと同じ気持ちだった。
自分の目で庭園とその風景を確かめ、庭園が造られた歴史的背景や当時の人々の考えや工夫を知り、何百年も同じ風景が残されている素晴らしさを感じたからこその答えだった。
「王太子宮の庭園はかけがえのない歴史的遺産だ。金では換算できない価値がある。そのことを人々に伝え、守っていく必要があるという意識を育てなければならない。でなければ、エルグラードの歴史や文化を大切にする心も失われてしまうだろう」
「まずは重臣達を集めて、庭園のことを見学して貰おうと思います」
書類を読むだけでは庭園の価値と素晴らしさを理解しにくい。
実際に庭園を見て知って感じて貰う必要があるとリーナは思った。
「期間限定で領民に庭園を開放することも考えています」
「領民に開放する?」
王太子宮は王太子領の最重要拠点。その庭園を領民に開放するなどありえない。誰もそんなことは考えない。警備の都合上、絶対に無理だと思うのが普通だ。
だが、リーナは違った。いとも簡単に普通の枠を飛び越えてしまった。
「夏休みになると、子供達はあちこち出かけて体験学習をするそうです。その中には領営農園での収穫体験もあります。王太子宮の菜園や果樹園でも体験できるようにするのはどうでしょうか?」
リーナと一緒に庭園見学をした子供達は、菜園や果樹園での収穫体験に喜んでいた。
そのような体験を領民達にも楽しんで貰えないかとリーナは思った。
「週末や夏休みに収穫体験のイベントをすれば、庭師が収穫する量が減ります。収穫のためのアルバイト募集はやめて、その分の人件費を浮かせることができるのではないかと思いました」
「体験できるのは収穫だけか? それとも、収穫物を味わえるのか?」
「味わえるようにしたいです。もしくは持ち帰りとか。でも、応相談です。王太子宮に提供される農産物があまりにも少なくなってしまうと、食材として受け取っている厨房部に影響が出てしまいます」
「そうだな。食材の供給量が減れば、メニューの作成や仕入れを見直すことになるだろう」
「領首相達にもこの話をしようと思うのですが、オグデンの報告を待つことになっています。クオン様の指示に関わることで調べることがあると言っていました」
「兄上の指示に?」
セイフリードは眉をひそめた。
「学生時代の改革のことなので、年数が経っています。オグデンも自分が知らない間に変更になった可能性を考え、明言しませんでした」
「そうか。オグデンは兄上が成人した時からついている側近だ。王太子領にも詳しい。しっかりと調べてくれるだろう」
「そうですね」
「問題があるなら改善していけばいい。リーナは後宮でそれを示してきた。王太子宮の庭園も同じだ。改善も解決もできる」
「頑張ります。皆が笑顔になれるように」
リーナは笑顔を浮かべた。
お前の笑顔は多くの人々の笑顔と幸せを作り出している。
セイフリードはリーナの笑顔を眩しく感じていた。
 





