1189 王太子宮の朝(二)
「ヴェリオール大公妃、発言の許可をいただけますでしょうか?」
「どうぞ」
「ヴェリオール大公妃は領主代理の権限をお持ちです。ですが、多くの女性は政治にかかわりません」
ヴェリオール大公妃は王太子領における領主代理だという通達があった。
それは王太子の妻としてただ来るわけではなく、王太子から領地についての全権を委ねられた者が来るのと同じ。
最も気になるのは監査の部分。
王太子のために用意されていた書類はすべてヴェリオール大公妃に提出するよういわれているが、女性であるヴェリオール大公妃に見せていいのかという懸念をぬぐえない。
そこで領首相は歓迎の舞踏会でそれとなくヴェリオール大公妃と話し、その人柄や能力を探ることにした。
「昨夜お話をさせていただきましたところ、ヴェリオール大公妃は政治についてよくご存知のようだと感じました。非公式に王太子殿下の補佐をされているのでしょうか?」
「政治のことはわかりません。非公式な役職はありますが、政治に関わるものではありません。後宮の方です」
「後宮の方でしたか。具体的にどのようなことをされているのでしょうか?」
「詳細は言えませんが、経費削減と問題部分の改善です」
「そうでございますか」
領首相は頷いた。
「では、食べ物についてのご意見を伺いたいのですが、よろしいでしょうか?」
「食べ物? 好き嫌いとかですか?」
「ヴェリオール大公妃のお好きな食べ物はケーキだとか」
「まあ、そうですね」
正確にはイチゴと生クリームのケーキだが、他のケーキも好きなだけに間違いではないとリーナは思った。
「ケーキの材料にかかせないのは小麦です。王太子領では多くの小麦が生産されています」
王太子領が南方に進出するための拠点だったことに関係があり、食料補給の拠点になるよう代々の王太子が領内の自給率を高めて来た。
だが、今は平和な時代。
生産技術が上がり、昔よりも安定的に大量の農産物を作れるようになった。
小麦は主食だけにエルグラード全土で作られており、近隣諸国でも生産されている。
つまり、どこにでもあるごく普通の農産物だった。
「近年は安価な小麦が多く市場に流通しています。王太子領内に小麦畑が多いほど、他の農産物を作る場所が減ります。一部は小麦から別の農産物の畑に切り替えるべきだという意見も出ているのですが、ヴェリオール大公妃はどのように思われるでしょうか?」
リーナは考えた。
「小麦の生産者はどのように言っているのですか?」
領首相はとっては意外な言葉だった。
「小麦の生産者ですか?」
「領首相の質問は、小麦はあちこちで作っているので儲かりにくい、もっと儲かる農産物にしたらどうかということですよね?」
「おっしゃる通りです」
「でも、それは領首相や官僚の意見では? 恐らく、税収を見てもっと上げたいということだと思います。違いますか?」
「違いません」
「その視点だけでは駄目です。最も重要な小麦生産者の視点がありません」
リーナは断言した。
「小麦を作っている人はずっと小麦を作ってきたはずです。突然、別の農作物にするよう言われたら困ります。別の農作物がうまく育たなければ、収入が減ってしまいますよね? 変更した農作物を元々作っている生産者、多くの農産物を扱う商人にも影響が出ます」
小麦の生産者が減り、別の農産物の生産者が増えることで、農産物の価格が変動する可能性がある。
そうなると、王太子領全体の税収も変わる。
必ずしも良い変化とは限らない。逆に減ってしまう恐れもある。
「熟考することなく判断できることではありません。きちんとした報告書と関係書類、調査資料を添付して提出してください。セイフリード王子殿下が到着後、監査業務を開始しますので」
「わかりました。ですが、このお話については大丈夫です。一般的な話題としてお話しただけですので」
「そうですか」
リーナは頷いた。
「ところで、王太子領の小麦の品質はいいのですか?」
「最高品質です」
「国内では安価な小麦の方がよく売れていて、最高品質の小麦は高価で売れにくいのでしょうか?」
「そうです」
「では、私も一般的な答えを言います。王太子領はこのまま最高品質の小麦を生産すべきでしょう。なぜなら経済同盟で輸出上限が増えるからです」
エルグラードの小麦は輸出品の代表品目。特に富裕層向けの最高品質の人気が高い。
王太子領で生産される最高品質の小麦は他国に売ればいい。喜んで買ってくれる。
「エルグラードはデーウェンと取引しています。デーウェンは国土が狭いので、小麦よりも高く売れる農産物、キウイなどの果物栽培に切り替えています。そのせいで余計にエルグラードの小麦を沢山買ってくれるそうです」
王太子領はデーウェンへ向かう途中にある。小麦を輸出する相手として向いているはずだとリーナは思った。
「今後、デーウェンは多くの茶葉を船で運んでくれます。空っぽの船で帰るよりも、小麦を積んで帰ったら丁度良いかもしれません」
同じ船では運べないのかもしれない。販売先によっては陸送の方がいいかもしれない。輸送業者、海運業者の情報も集めた方がいいだろうとリーナは答えた。
「クオン様とアイギス様は親しいです。王太子領との取引を優先してくれるかもしれません。デーウェンとはすでに取引をしているのでしょうか?」
「しております」
「でしたら、今後は経済同盟の輸出上限を想定してより多くの取引をするための案を考えるべきでしょう。周辺国の状況調査や資料作りも大切です。王太子領にとって条件の良い取引先を選定すべきだからです」
「そうですね」
「エルグラードが経済同盟の恩恵を得るのはこれからです。最高品質の小麦は必ず売れゆきが伸びます」
国外へ輸出する小麦が増えれば、国内における小麦の在庫総量が減る。
小麦は主食。価格が不安定では困るため、国が調整をかける。
だが、それは多くの人々が欲しがる一般品に対してで、高級品は違うかもしれない。
他国が欲しがる最高品質の小麦の在庫量が減れば、取引価格が引き上げられる。あるいは、より多くの輸出に対応できるよう国が増産を奨励するかもしれない。
王太子領の小麦なら信用度も高い。他領の最高品質の小麦よりも必ず売れる。
最高品質の中の最高級品としての王太子領ブランドを確立し、エルグラード最高価格で売ることも可能だ。
生産量を減らすのは大損だろうとリーナは主張した。
「税収の問題は官僚が考えますが、そのすべてを細かく官僚が考える必要はありません。最高品質の小麦をいかに高く多く売って大儲けするかについては、やり手の商人に考えさせればいいでしょう。有能者や専門家をうまく活用していくことも、官僚の仕事かもしれません」
経済同盟による輸出上限の拡大や最高品質の小麦の需要が高まることについては、領首相も重臣達もわかっていた。
リーナがどの程度の知識や情報を持っているか、考察力があるか、単純で安易な考えに飛びつくかどうかを知りたかったが、予想以上の答えが返って来た。
側近のオグデンには何も知らせていないため、事前に質問の答えを用意しておくことはできない。
リーナだけで考えた答えの素晴らしさは、側近に守られた飾りの領主代理ではないことを証明していた。
「もしこれが一般的な話題ではなく王太子領の重要な案件だということであれば、しっかりと調査してください。領収入が減って困るのはクオン様ではありません。王太子領民ですから!」
領首相達はより驚かされた。
「王太子殿下ではなく、ですか?」
「そうです。クオン様は王太子領の収入が一切なくても生活に困りません」
クオンは第一王子。莫大な個人資産があるだけでなく、国王がその身分や立場に応じた生活を保証する。
それを考えると、王太子領の収入が減って困るのは、税収の活用で様々な恩恵を得ている王太子領民だとリーナは指摘した。
「極論かもしれませんが、お金があっても食べ物が買えなければ生きていけません。小麦を沢山作っておけば、王太子領民が飢えないようにすることができます。高く売れるからといって、小麦を売り過ぎないように」
小麦は長期保存が可能で、不作や飢饉の緊急時に備えることができる。
税収を増やすのはいいとしても、領民が必要とする食料を常に確保できていることが前提でなければならない。
歴代の王太子が王太子領の自給率を高めて来たのは、領民が必要とする食料を常に安定的に確保するためだった。
そして、その考え方によって王太子領は支えられ、食料だけでなく富と豊かな生活を手に入れて来たことをリーナは伝えた。
「王太子領民は歴代の王太子と現王太子であるクオン様を見習い、熟考することで英明な判断を心掛けてください。私がお話できるのはこの程度です」
「十分ではないかと」
リーナのお目付け役であるオグデンは誇らしげな表情で答えた。
「素晴らしいご見識に感服いたしました!」
「ヴェリオール大公妃こそまさに王太子殿下に代わる領主代理です!」
「官僚としても商人としてもやり手です!」
「領民が飢えないよう思いやる慈悲深さに感動いたしました!」
「さすが王太子殿下が選ばれたお方としか言いようがありません!」
王太子領の重臣達はもれなく感動した。
 





