1184 馬車内講義
王太子領は王都から南東の方向にある。
古エルグラードは西の国の一つを最初に併合し、その次に北の国の一つを併合した。
その併合は戦争の勝敗で決まったわけではない。
数多くの小国がひしめく中、より大きな国になることで自国を守ろうとした王達が話し合い、婚姻によって王家と国をまとめることにした結果だった。
他の国が婚姻や同盟だけの結びつきを作る中、婚姻と併合を同時にすることによって王家と国を一つにしてしまうエルグラードの選択は珍しかった。
歴史的に見るとその選択は正しかったと言える。
王家の力が各段に強まり、併合によってエルグラードの国土は広くなった。人口も増え、軍事力も経済力も強くなった。
複数の民族が共存するために、それぞれの文化を尊重することで多様性と寛容性を育み、同じ国民として一つになれるような国策が次々と導入された。
この二カ国との併合とその成功こそが、多民族国家エルグラードの礎になり、大国への道を切り開いた。
西の王家がウェストランド大公家として西を護り、北の王家がノースランド大公家として北を護った。
必然的にエルグラードの視線は南や東へ向く。
海を目指したいという野望もあった。
その結果、南東方面に取得した領地を王太子領に定め、ここを拠点に南や東への進出を狙うことにした。
エルグラードは小国が乱立し合う時代を勝者として乗り越え、広大な領土を手に入れた。
現在の王太子領はエルグラードでも屈指の優良領になっている。
領地が豊かなのは代々の王太子が拠点としての発展に取り組み、自給自足ができるようにしたからだ。
戦争になると物資が不足しやすい。
他の領地から輸送するには手間がかかるが、王太子領で何でも用意できればすぐに調達できるという発想だ。
天然資源が豊富なことも有利に働いた。
海に面する領地を手に入れることはできなかったが、海に通じる川は持っている。
その川を通しても他国とつながっており、その一つがデーウェン大公国だった。
現在の王太子とデーウェンの大公子は友人同士。
末永くデーウェン大公国との交流が深まると思われていたが、経済同盟が結ばれたことによってデーウェンを通した貿易はますます拡大され、重要性を増していく。
中継地点としても、周辺地域の治安を守るためにも、王太子領の担う役割は非常に大きい。
「という感じです。わかりましたでしょうか?」
「はい!」
リーナは馬車の中で講義を受けていた。
これから訪れる王太子領についての説明は王宮でも受けていたが、限られた時間で詰め込める知識は多いとは言えない。
そこで馬車で移動中の時間が、王太子領に対する講義時間に割り当てられた。
「人が変われば講義の仕方も違うというか……歴史を感じる説明でした!」
「歴史も得意です」
そう答えたのはヴィクトリア・ノースランド。
ノースランド公爵家の者で、第二王子の側近ロジャーの姉。
ヴェリオール大公妃を私的に支える月明会の会長であり、各種学校の非常勤講師を務めている。
様々なことを考慮した結果、馬車内の講師役として抜擢された。
「オペラの中には歴史上の人物や出来事を取り上げた作品もあります」
ヴィクトリアは無類のオペラ好き。非常勤講師としての担当教科は芸術。
やっぱりオペラの話になったとリーナや同乗者達は思った。
「歴史の授業や試験では戦争のことが多く取り上げられます。ですが、婚姻もまた重要です。昔の王家や貴族はほぼ政略結婚だったので。試験に出ることもありますし、論文の課題になることもあります」
「今でも政略結婚は多いのですか?」
「少なくはありません。ですが、昔とは事情が違います」
昔は政略結婚のために本人同士が我慢するのが当たり前だった。
現在は本人同士の相性を考えるようになった。
「婚姻条件も身分差も緩和されています。ただのお見合い結婚です。そもそも、本人同士が相手を選べるのであれば、政略よりも個人的嗜好の要素が強いでしょう」
「そうですか」
「王太子殿下は女性の地位向上にも興味を持っているようです。今回の視察において、査察官には女性も抜擢されています。リーナ様もそうですが、私もまた専門分野においては査察官を務めます」
「知っています。学校の視察が楽しみですよね!」
「非常に楽しみです」
王太子領の孤児院は孤児院内で義務教育をしていない。
孤児院はあくまでも生活を保護するための場所で、義務教育は学校に通学して受けることになっている。
子供達が王太子領でどのような生活をするかを把握するため、リーナは孤児院以外にも様々な場所を視察することになっていた。
学校もその一つ。
ヴィクトリアも学校の視察に同行し、王太子領の教育現場を監査することになっていた。
「王太子領が最も賑わうのは夏です。それまでに主要な公的施設の視察を終えておかないと。体調にはくれぐれも気を付けてください」
リーナは不思議そうな顔をした。
「もう少し詳しく説明して貰えませんか?」
「どの辺を?」
「夏までに視察を終える理由です。王太子領が賑わうからですか? 警備しにくいというか?」
ヴィクトリアはそうかと思った。
「夏は長期休暇のシーズンなのです」
「あちこちがお休みになるわけですね」
「学校は夏休みですし、公的機関も交代で休みを取ります。人員が少なくなるので、何か言っても対応が遅くなってしまうかもしれません」
王都は小刻みに休みを取る者が多い。週末前後に休みを追加して長くする者が多い。
貴族は社交シーズンに合わせ、自分が参加する催しのために休みを取るのが常識。
王太子領はどちらかというと、仕事の繁忙期や閑散期といった時期に合わせて長期の休みを取るのが常識になっていることをヴィクトリアは伝えた。
「長いお休みを取れるのはいいですね」
「そうですね。旅行に利用する者が多いそうです」
「王太子領は凄いというような話しか聞きません。逆に駄目なことってないのでしょうか?」
ヴィクトリアは考えた。
「……難しいですね。他に比べると圧倒的に恵まれているので」
「そうなのですね」
「強いて言えば、税金が高いです。ですが、潤沢な財源があるからこそ、領民への支援策が豊富です。しかも、その支援策の効果が領民に行き渡っています」
「王太子領に行くのが本当に楽しみです。今晩の宿泊も!」
リーナはそう言うと、隣に座っているリリーの方に顔を向けた。
「よろしくお願いしますね!」
「わかりました。でも、私に務まるかどうか」
三日目の宿泊については、リーナとリリーが入れ替わることになっていた。
宿泊所は一つだけでは収まりきらないため、町中にある場所を利用する。
その中には一定の条件を満たした客間を提供できる一般家庭もあった。
子供達は引率の大人と一緒に様々な宿泊場所へ行って一泊する。
リーナも引率役の上級侍女として、子供達と共に町長の家に泊まる予定だった。
「リリーの方が美人ですから大丈夫です! ヴェリオール大公妃らしいですよ!」
「そういう問題ではないと思います。誰にも会う予定はありませんし」
「これも勉強です。訓練でもあります」
メイベルがそう言った。
「何かあった場合は身代わりをしなければなりません。といっても、危険なことはさせません。私が担当するので大丈夫です」
リーナがお忍びで外出している間の留守番役をリリーが務め、ヴェリオール大公妃がいるよう見せかけることになっていた。
メイベルはリーナに同行して密かに護衛する。
護衛騎士を連れて外泊できないからこその対応だった。
「部屋にいるだけでしょう? 簡単だわ。寝心地の良いベッドに寝れるわよ?」
ヴィクトリアも特に問題はないと思った。
最高の宿泊室に泊まれるのは役得だろうとも。
「でも、部屋に私がいる必要があるのでしょうか? ヴェリオール大公妃に直接面会できる者は限られていますし、上級侍女の方で対処してくれます。ドアの前に護衛騎士が立っているだけで十分なのでは?」
リリーも外出したかった。できればリーナと一緒に。
「万が一に備えてです」
「万が一とは?」
「万が一なので、何がとは言えません」
予想できないような状況のためということ。
「ヴィクトリア様でいいのでは? 高貴な生まれです。いかにも身分の高そうな女性です」
「年齢的に合わないわ。どう見ても公式プロフィールより年上だもの」
「扇で顔を隠せばいいですよね? そもそも、部屋の中ですり替わります。部屋の中に女性が一人いればいいだけですよね?」
「私も外出したいのよ。こんな機会滅多にないわ!」
ヴィクトリアも一般家庭に宿泊する子供達の引率役をする。
リリーはメイベルの方に顔を向けた。
「こういうことは若い侍女が務めるものです。留守番業務は簡単です。私のように護身術を学んでから交代したいというべきよ」
リリーはちょっとだけ不満そうな表情になった。
「私は治安の悪い場所で育ちました。多少は心得があります!」
「そうなの?」
「初耳だわ」
ヴィクトリアとメイベルは驚いた。
「わかったわ! 短剣でしょう? 夫の従騎士は短剣術が凄いと聞いたわ!」
「もしかして、剣術ですか?」
「ほうき術です」
棒術の応用。
「女性でも使いやすい武器ですよ!」
掃除道具でしょうに……。
ヴィクトリアとメイベルは心の中で思った。
「王太子妃候補に選ばれた伯爵令嬢はやり直したい」を投稿しています。(完結済のお話です)
お時間がある時に読んでいただけたら嬉しいです。
よろしくお願いいたします!
 





