1183 王太子領に向けて
リーナが王太子領への出張公務を了承すると、早速森林宮にいる子供達の移住話が正式に説明され、受諾者を移送するための計画と準備が進んだ。
その際、森林宮で雇用した者、年長の孤児達の扱いをどうするかについても話し合われた。
森林宮での雇用者は王都に新しくできる孤児院のための採用だったが、希望者が非常に多くいた。
このままだと全員を孤児院の職員にするのは難しいが、途中で希望を変える者がいるかもしれないということを前提に全員を下働き見習いとして採用した。
当初は幸運のように思えた採用だったが、下働き見習いは王太子領への移住ができない。
年齢的に王太子領の義務教育については対象外になってしまう者、あるいはすぐに対象外になってしまう者ではあるが、王太子領には他領にはない労務制度がある。
王太子領の労務制度は衣食住が保証された状態で現場での職業訓練ができるのと同じ。
関連する資格が取れるようになっているため、労務後の就職にも役立つ。待遇の良い専門職につく道も開ける。
そのような点も検討された結果、森林宮で採用された下働き見習いも子供達の世話役として同行。王太子領の孤児院や生活環境を自分の目で見た上で、将来の進路を決めることになった。
王太子領への出発日が決定した。
同時に多くのことが公表され、詳しい内容を知らなかった人々は驚いた。
ヴェリオール大公妃の遠方視察に、第四王子も同行することになっていた。
セイフリードが兄の治める王太子領に行ってみたいと言い出したからだった。
同行する側近にパスカルも加わった。
第四王子付きとヴェリオール大公妃付きを兼任しているだけに、当然の人選でもある。
しかし、ほとんどの人々は思っていた。
絶対に偶然やなりゆきではないと。
パスカルの時間を確保する最大の勝者は、ヴェリオール大公妃と第四王子になった。
予定日になった。
王都から王太子領へ向けて、遠方視察の第二団が出発した。
「予定外過ぎる」
セイフリードは移動中の馬車の中で不貞腐れていた。
「リーナと別とはな!」
「仕方がありません」
答えたのはパスカル。
「同行できるだけでもましでは?」
「別日に出発するというのに、同行だと言えるのか?」
「王太子領では合流できます」
セイフリードは視線を窓の方へ移した。
「退屈だ」
原案ではリーナと一緒に移動することになっていた。
だが、王族と王族妃がいる一団といない一団では警備の差があり過ぎる。子供達への配慮や安全度にも差がついてしまうだろうと思われた。
身分を考慮した案に修正され、先発が第四王子の一団、後発がヴェリオール大公妃の一団になった。
しかし、王太子が派遣したいのはリーナの方で、セイフリードではない。
リーナの存在を存分にアピールする機会なだけに、セイフリードの同行をしぶる者が多かった。
はっきりいって邪魔、別の機会に視察して欲しいというのが本音というわけだ。
そこでパスカルが調整した。
先発がヴェリオール大公妃の一団、後発が第四王子の一団にした。
最初に到着したヴェリオール大公妃は王太子の代理ということで大々的に歓迎を受ける手はずを整える。
遠方視察はヴェリオール大公妃の公務。主役はあくまでもリーナ一人。
第四王子は王太子の意向を汲み、ヴェリオール大公妃の公務を後方支援。王太子領へ移住する子供達への配慮が行き渡るよう監督役をするための同行だ。
また、リーナが側妃のせいで王太子領の人々に軽視されないかをセイフリードは心配している。
兄に代わって支えたい。力になりたい。守りたいからこそ一緒に行きたい。
王族が王太子領へ行くなら、そのための準備をしっかりと整える。ヴェリオール大公妃が軽視されるようなことにもならないはずだと考えてのこと。
パスカルはそのように説明することで関係者を納得させ、遠方視察の計画内容や準備、手配案をまとめた。
それによってパスカルの評価はますます高くなった。
自分の筆頭側近が高く評価されるのはセイフリードにとっても得になる。
成人式で問題が生じたパスカルの責任分を取り返すこともできる。
セイフリードはリーナと別に出発することを了承した。
だが、本心ではしぶしぶだった。
「何か面白い話でもないのか?」
「殿下は童話を読みますか?」
セイフリードは眉を上げた。
「読まない」
「児童書は?」
「読まない」
「私は子供の頃に多くの童話や児童書を読みました。ここだけの話ですが、実は今でも時々読みます。子供の頃に気に入っていた本を読み返すことがあるのです」
「どんな本だ? タイトルは?」
「教えません」
セイフリードは不満げな表情になった。
「なぜだ? 勧めたいのではないのか?」
「少々恥ずかしいのです。こんな本をまだ読んでいるのかと」
「お前の読む本であれば面白そうだ。有名なのか?」
「いいえ。童話や児童書は限られた者しか読みません。子供が読むためのものですので、内容がわかりやすくなっているのが特徴です」
「そうだな」
「他にも特徴があります。何だと思われますか?」
セイフリードは考えた。
童話や児童書というよりも、文字を覚えるために読んだ本のことを思い出す。
「……正義感が強い。そのくせ、嘘が多い」
いかにもセイフリードらしい答えだった。
「綺麗ごとばかりを並べている。現実とは違うことが多くある。魔法など使えない。竜と仲良くなれることもない。そもそも、竜などいない。妄想だ」
「それは夢です」
パスカルは答えた。
「現実かどうかで考えれば、嘘になってしまうこともあるでしょう。綺麗ごとだと感じるかもしれません。ですが、理想や想像とはそういうものでは? あらゆる可能性をあらわしているだけかもしれません」
「魔法が使えるようになる可能性があるとでもいうのか?」
「魔法のような技術が生まれるかもしれません。そのきっかけが、魔法という発想なのです」
「竜と仲良くなれるのか? その前に人間は竜を発見するか、生み出す必要がありそうだ」
「自分とは違う存在、意思疎通が難しい相手と仲良くなることでは? 友人になれそうな者を見つけたり、友人を作ることならできます」
セイフリードはじっとパスカルを見つめた。
「僕にもっと友人を作れ、その中から側近を選べと言いたいのか?」
「将来のために意識して欲しくはあります。私が全力で支えても、一人では無理です。王族の側近は何人いると思いますか?」
一人ではない。多くいる。
それだけ王族の抱える責務が多く、重要だからだ。
王太子も側近の枠数を増やした。
側近補佐からの登用だが、側近に昇格することを目指しての選抜をした。
パスカルの後輩が誕生する日も近い。
そして、第四王子付きの側近になるかもしれなかった。
「私は一生殿下の側にいます。ですが、今は殿下を喜ばせるような話をすることができません。許可をいただけないでしょうか? 少しばかり休みたいのです」
「僕の側で働くのではなく休むということか?」
「そうです。殿下が遠方視察に行きたいと言い出したせいで、仕事が増えました。ほとんど寝ていません。連日、残業につぐ残業でした。馬車の揺れは正直辛いのです。眠くなります」
セイフリードは呆れた。
正直すぎる。
だが、パスカルの気持ちは理解しやすかった。
セイフリードも同じで、このままだと眠くなってしまうと感じていた。
「無理をさせて悪かった。寝ていろ」
「本当に申し訳ありません。ですが、この馬車には私と殿下だけです。安心して眠れます。このように過ごすことを知るのは私と殿下だけだからです」
パスカルはにっこり微笑むと、収納場所からクッションを取り出した。
枕にするつもりなのは明らかだった。
「では、しばし側近業を休みます」
座って寝るわけではなかった。
完全に座席の上に横たわってしまった。
……狡い。
セイフリードはそう思った。
側近の仕事の中には主君との話し合い、世間話を含めた会話もある。
退屈しのぎを考える役割も。
だが、重要とは言えない場合もある。
より重要な役目を務めるため、休める時に休んでおく方が優先だ。
その判断は間違っていないだけに、セイフリードは文句が言えなかった。
「ああ、そうだ」
パスカルは閉じていた目を開けると、急に起き上がった。
「どうした?」
「忘れていた」
パスカルは独り言のように言いながら、収納場所からクッションをもう一つ取り出した。
より寝心地をよくするためだろうとセイフリードは思ったが、
「僕以外にもほとんど寝ていない者がいた」
セイフリードが寝ていないことをパスカルは知っていた。
だが、セイフリードから眠い、馬車で寝るとは言わないことも。
そんなことを言えば、出発前日だというのに夜更かしをしていたことがわかってしまう。
旅行にどの本を持って行くかを調べながら、結局読み続けてしまったというパターンであることもパスカルは把握していた。
「眠っておいた方がいい。昼食のために立ち寄る町へ着くまでは」
パスカルはクッションをセイフリードに渡した。
「昼食後、少しだけ町を散策しよう。本や菓子を買うのはどうかな?」
セイフリードは驚いた。
「そんな時間があるのか?」
「昼食時間は子供達のために長く取ってある。立ち寄る場所にお金を落とした方が喜ばれるからね。リーナはきっと子供達に菓子を買って差し入れている。子供達の監督役ならそういったことも考えないといけない」
その通りだとセイフリードは思った。
ミレニアスへ行く時も、リーナはメイベルと一緒に菓子を買っていたことを思い出す。
セイフリードのことを考えて選んでもいた。
自分のためだけでなく、相手のことを考えて行動する優しさを持っているのがリーナだった。
「セイフリードが子供達のことを心配しているのは本当だ。自分も子供の頃に辛い思いをしたからね。そうだろう?」
「わかった。休んでおく」
「寝ているけれど、何かあったら言って欲しい。いつでもね」
パスカルは優しく微笑むと、再び座席の上に横になった。
セイフリードはクッションを見つめた。
そして、ため息をつく。
パスカルと何を話すか、どう過ごすかをセイフリードは考えていたが、考え過ぎていたことに気づいた。
楽にしていい。自分らしくあればいい。
愚痴を言うこともその一つ。会話でもいい。眠いという本音を見せ、無防備に寝てしまってもいい。
どんなセイフリードでも大丈夫だ。
パスカルにそう言われた気がした。
セイフリードは枕代わりにクッションを置くと、座席の上に横になった。
無理に起きている必要はない。話し相手にしようと思っていたパスカルは寝てしまった。
熟睡はしていない。目を閉じていても、起きている。
セイフリードが呼べば応える。
側近業が休みでも側にいる。自分を僕というパスカルが。
セイフリードは安心した。
昼食後の外出が楽しみだと思った。
自分の持っていない本があるか探す。子供達が馬車の中で読みそうな本でもいい。童話や児童書でも。
菓子も買う。リーナ以上に美味な菓子を見つけたい。
そんなことを考えていたセイフリードは、夜更かしの影響もあってすぐに寝てしまった。
……毛布を出すのを忘れた。
パスカルは目を閉じながら思った。
やはり自分はまだまだ。完璧には程遠いとも。
だが、寒い季節ではない。逆にかけると、暑くなってしまうかもしれない。
セイフリードの眠りは浅い。パスカルが毛布を出すために起きると、そのせいで目覚めてしまう可能性が高かった。
セイフリードは用心深い。そのせいで常に気を張ってしまう。
もっと気を抜き、楽に過ごせる時間を増やすこともまたパスカルの役目だった。
ゆっくり休む時間やよく眠る時間でもいい。それも方法の一つ。役立つ。
勤務のためやセイフリードのためになる。
僕のためにもなる……お得だな。
そう思ったパスカルはリーナのことを思い出した。
お得だと言って喜ぶ妹。その兄である自分も同じだと感じた。
パスカルは目を閉じたまま微笑み、しばしの休息を取ることにした。





