1180 二人でなければ
勤務時間終了後、ベルは自室でシャペルと待ち合わせをした。
互いに忙しく、恋人らしい時間を過ごせていない。
そのことについて、何か話がありそうだとベルは感じていた。
「時間を取らせてごめん」
シャペルは急ぎ足で部屋に来ると内鍵をかけ、ベルとまっすぐに向き合った。
「愛している。僕の気持ちはずっと同じだ。変わっていない」
突然、ベルはシャペルに告白された。
だが、愛の告白のために呼ばれたわけがないとベルは思った。
「もしかして……予定変更?」
「ごめん」
やっぱり。
そして、何の予定変更なのかもわかりきっている。
結婚式だ。
カミーラは出産に向けての準備が始まる。忙しい。
ベルはカミーラに変わって担当する仕事が増え、日々苦労していた。
その中で婚約発表を正式に行い、両家で話し合い、結婚式や披露宴の内容を決めるといった様々なことをこなすだけの余力も時間も全くない。
自分以上に忙しいシャペルは余計に大変だろうとベルは思っていた。
「王太子殿下に結婚や子供のことについて質問された」
六月の花嫁は幸せになると言われていることを考え、シャペルは六月に結婚式を計画していた。
但し、それはシャペルの一方的な計画で、ベルやシャルゴットの意向はまったく反映されていない。
シャペルもベルも多忙過ぎて、結婚式の話し合いをする時間が取れていない。
ベルやシャルゴットのことを考えると、延期した方が良さそうだとシャペルは思っていた。
「内密だけど、ベルにはまだ退職しないで欲しいって。任意だって言われたけれど、わかるよね? 皆のためだ」
カミーラが妊娠してしまった以上、出産時期に合わせて退職するしかない。
ベルまでいなくなるのは困る。
ベルの結婚や妊娠は来年にして欲しいというのが関係者の本音だった。
シャペルは第二王子付き。本来ならエゼルバードから話すべきだが、友人関係への影響を懸念した王太子がその役を務めた。
「去年の婚活ブームの影響で今年は結婚式も多い。スケジュールもきついし、冬には死にそうなほど忙しくなる」
年度末。
財務担当者が忙しくないわけがない。
「来年、カミーラが出産を終えてからにするのがいいと思う。どうかな?」
「ウェズロー子爵夫人の出産もあるものね」
「王太子殿下がこっそり教えてくれた。しばらくは子供を作らないつもりだって。自分の子供も大切だけど、エルグラードや未来を担う子供達のことも大切にしたいって」
ベルは感動に震えた。
エルグラードの王太子は偉大なだけではない。寛大で慈悲深い。
自分の幸せも子供も望むのが当然だというのに、エルグラードや未来を担う子供達のことを優先した。
その子供は森林宮で預かっている子供達だけのことではない。カミーラやベルの産む子供のことも含まれている。
「僕は王太子殿下のことを心から尊敬している。同じ未来を目指し、支える忠臣でありたい。でも、ベルの気持ちも大切にしたい。どうしたい?」
「来年にしましょう。婚約期間は一年ほど取るのが普通だもの」
そう考えれば、結婚は来年の二月以降。
「春にすれば? 六月でなくてもいいわよ」
「候補日を考えておくよ。でも、婚約発表会については予定通りにしたい。僕の方で手配したままになってしまってもいいかな?」
「私は構わないわ。でも、当主伺いはしないと。おじい様の許可が必要よ」
「王太子殿下が力になってくれるって」
シャペルからシャルゴット侯爵夫妻やイレビオール伯爵夫妻に伝えると角が立つ可能性があるため、王太子から婚約や結婚については話をしてくれることになった。
王太子の言葉は極めて強い。
王宮にシャルゴット侯爵夫妻とイレビール伯爵夫妻、ディーバレン伯爵夫妻を呼び出し、シャペルとベルの婚約を喜び、結婚が楽しみだ、二人の意志を最大限に尊重するようにと言えばいい。
王太子の意向に従うため、シャペルとベルの意志が最大限に尊重される。
「さすが第二王子兼ヴェリオール大公妃付きの側近ね! でも、わざわざ婚約発表会をする必要があるのかしら? 貴族新聞に告知するだけでもいい気がするけれど」
婚約発表会を盛大にするのはシャペルやディーバレン伯爵家の希望だった。
「第二王子派と王太子派が交流する機会になる。大事なんだよ」
「派閥に関係なく交流するきっかけを増やしていくためよね?」
「そうだね」
「大丈夫かしら?」
ベルの生まれた時、すでにシャルゴットは王太子派だった。
王太子派の貴族と交流するのがベルにとっての当たり前。中立派の貴族はともかく、第二王子派や第三王子派との交流は家の意向でしにくかった。
「大丈夫だよ。僕も派閥に関係なく交流している者が多くいる。黒蝶会も二蝶会も政治的な派閥は関係ない。白蝶会もそうだよね?」
「そうね。ワルツ派とカドリーユ派はいるけれど」
「ダンスと同じだ。一緒に楽しく踊ればいい。ワルツでもカドリーユでも。相手だって自分の好きな相手を選べばいいだけだよ」
「そうね」
「銀行関係者へのお披露目は別日になる。そっちもかなり派手にしないとだから、ベルは気になるかもしれない。でも、そういう業界なんだ。ごめんね」
ディーバレン伯爵家はお金があることを示さなければならない。
銀行は絶対に潰れない、うまく事業をやっているというアピールになり、信用につながる。
「大丈夫。そっちの方はあまり気にしていないわ」
「少しは慣れた?」
「知らない間に有名人になっていてびっくりしたわ」
ベルはシャペルと一緒に銀行関連のパーティーに何度か出席したことがある。
最初はベルのことを知らない者がほとんどで、シャペル狙いの女性達から睨まれたことが何度もあった。
しかし、愛の日のプロポーズを了承して貰ったシャペルは、正式な婚約者ベルーガ・シャルゴットの情報を流した。
おかげで銀行業界においてまたたくまにベルのことは有名になった。
「シャペルの方が玉の輿なんて思ってもみなかったし」
シャペルに見初められたベルを玉の輿だと思うのは金銭的な部分しか見ていない証拠。
爵位や血筋による貴族としての家格はベルの方が上。
そして、ベルの兄は王太子の首席補佐官、姉の夫も王太子の側近でゆくゆくは公爵。宰相候補筆頭でもある。
王太子の左右を固める二人の義弟になれることを考えると、シャペルの方が玉の輿だった。
「僕にはお金しかないも同然だ」
「そんなことはないわ」
「いや。いいんだ。お金だって役に立つ。だから、婚約祝いについては孤児院への寄付にして欲しいって伝えたい」
多くの招待客が来るだけに、寄付を呼び掛けるのにもってこいの機会。
善行だけに、胸を張って呼びかけたいとシャペルは思った。
「王都は孤児院問題の影響で寄付の支援が相当少なくなっている。チャリティーハウスやその側に作る孤児院への寄付をしている者も多いし、またかって思われるかもしれない。でも、子供達のために呼びかけたい。僕とベルの連名で寄付もする。それでもいいかな?」
「とても素晴らしいことだと思うわ」
ベルは笑顔になった。
「実は私もそうしたいって思っていたの」
王太子夫妻は結婚の際、結婚祝いとして寄付を呼び掛けた。
ベルもそれを見習いたいと思っていた。
「でも、すでに沢山の寄付をしている人達にまたかって思われそうで……」
ベルの友人の多くは貴族だが、裕福かどうかは別だ。
普通に貴族らしい生活を送ることができていたとしても、多額の寄付を気前よくできるような者はほとんどいない。
シャペルやその友人知人を目当てにしていると思われないか、ベルは心配だった。
「私、貴族としては割といい生活をしている方だと思うの。でも、ゼロが沢山並んだ小切手を寄付できるほどの余裕はなくて……少しになってしまうけれど」
「わかっているよ。ベルが王宮生活で苦労しているのは知っているから」
両親に頼らず、自分の給与だけでなんとかやっていこうと頑張っているベルをシャペルは凄いと思っていた。
あえて豊かな生活から離れたのは、両親の薦める縁談や束縛から逃れるため。
反対されているシャペルとの交際を続けるためでもある。
「婚約発表会の後は僕に生活費を出させて欲しい」
「またその話?」
ことあるごとに、シャペルはベルの生活費を自分が出すと申し出ていた。
だが、結婚するまでは自分で出すといって、ベルは頑なに拒んでいた。
「結婚したら僕が全部出すのは理解してくれたじゃないか。当主としても銀行業をする者としても譲れないことだしね。それが少しぐらい早まってもいいと思う」
「お金の話はやめましょう。シャペルには別のことで頼っているもの」
ベルは答えた。
「そうかな? あんまり頼られていない気がする」
「私のダンス相手よ。全面的に頼り切っているわ。婚約発表会のダンスだってシャペルとしか踊らないわ。交流目的なのはわかっているけれど。駄目かしら?」
「駄目じゃない! 全然、駄目じゃないよ!」
シャペルはベルを抱きしめた。
「僕にはベルしかいないよ!」
「私もそうよ。シャペルしかいないわ」
愛し合う二人でなければ駄目なこともある。
それは一緒にダンスを踊ることだけではない。
唯一のダンス相手として独り占めすること。
愛情をたっぷり込めた口づけをすることもだった。
 





