1178 特区構想(二)
「いかがでしょうか?」
セイフリードはリーナの相談役として定着していた。
王宮と後宮でそれぞれが手掛けることについて話し合うため、顔を合わせる機会が増えた。
「相変わらずお前は突拍子もないことを考える」
リーナのアイディアノートを見ていたセイフリードはそう言った。
「兄上の真似だな?」
「わかりますか?」
「王宮も王都も特区の話題で持ち切りだ。そこへ福利厚生特区だ。同じように感じるに決まっている」
リーナが考えたのは後宮内に福利厚生特区という名称の場所を作ることだった。
王宮と後宮は行き来がしやすいよう緩和されるはずだったが、不穏な事件があったために警備が厳重になってしまった。
王宮の警備は一旦厳しくなると、なかなか元に戻らない。
後宮に福利厚生特区を作ることで警備を緩和させ、王宮と後宮の出入りがしやすいようにしてはどうかとリーナは考えた。
「この案に一番文句をつけそうなのは警備だろう」
福利厚生特区は検問なし。出入りが自由。
警備をしなくていいのは楽だと考えるか、あり得ないと感じて文句をつけるかだ。
「王宮にも後宮にも出入りするには厳しいチェックを受けています。なのに、またチェックするのは意味がないと思います」
「検問はいくつもあるのが普通だ」
「福利厚生特区を利用するのは、王宮や後宮に雇用されている人々です。警備の者も利用しますし、ついでに不審者がいないかチェックすればいいのでは?」
「ついでなどあり得ないと言われるだろう」
セイフリードは甘いと思った。
「そもそも、福利厚生特区を手掛けるのはお前だ。ヴェリオール大公妃が出入りするというのに、ついでの警備をするわけにはいかないだろう?」
「対策は考えました」
「どんな対策だ?」
「私付きの侍女と護衛騎士を増やして貰います」
後宮全体の警備を強化するのではなく、リーナの警備だけを強化することで対応するということだ。
「というか、すでに増えています」
「ロビンとリリーだな?」
「私のためだけに、後宮全体警備を厳重にするのは無駄だと思います」
リーナが頻繁に後宮へ行っているのは確かだが、後宮中を歩きまわっているわけでもない。
限られた場所にしか行かないため、後宮全体を厳重にする意味はないとリーナは思った。
「そろそろ退任の時期を考えてもいい気がします」
「退任だと? まさか」
「後宮統括補佐です」
セイフリードは驚愕した。
「馬鹿を言うな! お前がいなければ後宮改革は進まないぞ!」
「必要そうなものは作りました。今後は私が直接指揮をしなくてもいいと思うのです。宰相だって後宮統括なのに、全然後宮に行きません」
「それはそうだが、指示は与えているはずだ」
「私も王宮から指示を出すことに慣れてきました」
買物部や軽食課のことはこのまま継続して様子を見つつ、収益を高めるような努力を担当者達が積極的に考えながら進めればいい。
新規に何かするということであれば後宮に行くが、単に順調かどうかを確認するだけなら王宮で報告を受ければいいとリーナは思った。
「以前と違って、皆が私の意見に耳を傾けてくれるようにもなりました。後宮統括補佐でなくても、ヴェリオール大公妃として提案すれば、後宮の担当者に検討して貰えるのではないかと思うのです」
現在の後宮に出入りしている王家の人間はリーナしかいない。
そのリーナがいなくなれば、後宮にいるのは雇用されている人々だけになる。
雇用者しか住んでいない宿舎のような場所を、厳重に警備する必要はないという理由ができる。
「私の存在が後宮改革の邪魔にならないようにしたいのです。王家の者が後宮で食事をしないことに変更したら、食品関係の無駄と予算が大幅に減りました。それと同じです」
「次は警備の無駄と予算を大幅に削減するわけか」
王家の者であるヴェリオール大公妃がいないという理由を作れば、警備の変更ができる。
そのために、あえて後宮統括補佐の地位の返上することも考えているということだ。
「警備費が驚くほどかかっているらしいのです」
「だろうな」
「後宮の警備を緩和するのに合わせて、後宮警備隊の人員を減らしたいです。今なら王宮地区警備隊や王宮騎士団に転属できます。王都警備隊も求人中です。転職の大チャンスです!」
それはセイフリードもわかっていた。
王宮も王都も求人が溢れている。
転職の好機に乗じて人員削減をするのは悪くない。むしろ、利口だ。
リーナが後宮について手掛けているのは、後宮にいる人々を守るため。
一方的な強制解雇については反対だが、借金があっても転職でき、すぐに衣食住を確保できるのであればいい。
今よりも条件のいい就職先であれば歓迎だということだ。
「だが、さすがにこれは……」
リーナの案は福利厚生特区や警備のことだけではなかった。
後宮のほぼ全員を王宮に転属させるという案もあった。
なぜ、そのようにするのかはわかりきっている。
王宮も求人をしているのが一つ。
王宮と雇用条件を揃えられるのが一つ。
それに合わせて後宮内のルールを改定すれば、後宮で働いていても王宮に行ったり休日に外出したりすることができるようになる。
「無理だとは思うが、許可が出たとする。そうなれば、休日にほとんどの者が外出するだろう。王都で買い物を楽しむようになると、購買部や買物部の売り上げが減るのではないか?」
「大丈夫だと思います!」
リーナは自信満々に答えた。
「人間は近くて便利なことに弱いのです!」
官僚はかなりの不満を感じていたにもかかわらず、官僚食堂を利用していた。
王宮の購買部は定価商品ばかりだが、価格への不満は強くない。
「王宮や後宮にいる者にとって、一番重要なのは近くて便利なことなのです!」
「そうだな」
だからこそ、王宮購買部の支店が沢山ある。
どんどん便利になるよう増やした結果だ。
そのせいで経費がかかるようになってしまったため、現在はセイフリードの方で見直し、不必要と思われる王宮購買部の支店は潰しているところだった。
王宮の方もセイフリードの手で着々と改革が進められていた。
「購買部や買物部より安いものは王都中にあると思います。でも、買いに行くには交通費がかかります。時間も労力もかかります。総合的に考えた結果、購買部や買物部の方が得であればいいのです」
リーナは重要な部分をわかっているとセイフリードは思った。
「私としては後宮全てを福利厚生特区にしたいのですが、さすがに駄目だと言われます。王族用の部屋があるからです。なので、一部で妥協するという感じで話してみるのはどうかと思うのですが?」
セイフリードは考え込んだ。
「……福利厚生特区にできるかどうかはともかく、エリア分けならできるはずだ」
後宮はエリア分けされているが、宮殿ごとや各階など設定が大まかだ。
王宮の方がより細かいエリア設定がされている。
「後宮内のエリア分けを見直すことで警備の無駄を省き、一部の人員を他の警備組織に転属させたらどうだ?」
「ぜひ、そうしたいです!」
「僕とパスカルの方でエリア分けを考えてもいいか?」
「はい! でも、セイフリード様が大変になってしまいますよね?」
「お前の方の仕事でパスカルが僕の方に来ない方が困る。さっさと片付けた方が僕にとっても都合がいい」
「兼任のお兄様も大変ですよね。本当に申し訳ないです。私の担当になってしまって」
お前の担当になって、一番喜んでいるのはパスカルだが?
セイフリードはそう思ったが、あえて言わなかった。
はっきりいって、パスカルのことは奪い合いだ。
王太子、第四王子、ヴェリオール大公妃の側近を兼任しているだけでなく、第一王子騎士団の役職もある。
王太子府、王子府、第一王子騎士団の者は、仕事のことでパスカルの時間が欲しい。
エゼルバードはパスカルを堂々と自分の所へ呼びつけて時間を取らせ、レイフィールはパスカルの執務室にわざわざやって来て居座ろうとする。
父親のレーベルオード伯爵や友人知人達もパスカルとの時間を欲しがる。
いかにパスカルの時間を自分のために確保するかにおいて、王宮では熾烈な争いが繰り広げられていた。
「なかなかお兄様と会えないのです。縄跳び大会に来てくれてびっくりしました」
セイフリードも驚いた。
わざわざ森林宮まで行き、縄跳び大会のために時間を取るのかと思った。
「セイフリード様のところには毎日来ているのでしょうか?」
セイフリードは黙っていた。
正直に言ってしまうと、ほとんど来ない。
パスカルはセイフリードの側近としての仕事をどんどん他の者に割り振り任せていた。
兼任だけにそうするしかないのはわかっている。
だとしても、ただでさえ少ない時間がより少なくなっている。
僕の筆頭側近だというのに!
セイフリードの苛立ちが表情に反映された。
「すみません。聞いてはいけないことでしたでしょうか?」
「パスカルは兼任だけに僕の知らない仕事もしている。わからないこともある」
「それもそうですね」
「会議がある。また何かあれば言え。このノートはしばらく預かってもいいか?」
「どうぞ。そろそろ二冊目なので、返却が遅くなっても大丈夫です!」
ヴェリオール大公妃の至宝と噂されるアイディアノートを持って、セイフリードはリーナの執務室を出た。
良いものを手に入れた!
リーナのアイディアが満載のノートは極めてプライベートな品だ。
適当な者に託して返すわけにはいかない。
ノートを理由にしてパスカルを呼ぶことができる。
ただの用件ではなく、セイフリードとリーナの用件にすることで重要度が増す。
後宮のエリア分けのことは第四王子付きだけの者に任せることはできないため、兼任であるパスカルが来るしかない。
パスカルが兼任であることを逆に利用すればいいだけだ。
セイフリードは嬉しそうに会議室へと向かった。
同行する護衛騎士達は、暴君と言われていた王子を上機嫌にしてしまうヴェリオール大公妃は本当に凄いと思っていた。
 





