1170 色塗り
屋敷に戻ったアスターはデュシエル卿の朝食に同席した。
「おはようございます。お疲れではありませんか?」
「大丈夫だ。やはり領地の空気は素晴らしい! 最高だ!」
それは田舎で空気が良いということではない。
自らの領地に戻った支配者としての言葉だ。
「途中、何か問題はありましたでしょうか?」
アスターは宿泊の手配をするために先行しているため、デュシエル卿と同じ日に同じ宿に泊まることはない。
宿に泊まったデュシエル卿がどのようだったかを確認するのは領地に到着した後というのが定番だった。
「問題はない。アスター以上の手配をできる者はいないだろう」
アスターが側近に加わったことで、デュシエル卿は定宿を変えた。
その結果、これまでよりも領地へ行くのが早くなり、居心地の良い宿に泊まれるようになった。
特に気に入ったのは領地に向かう道中でも気分が良くなる歓待を受けること。
領地へ行くのがますます嬉しく楽しみになっていた。
「出迎え役の子供が相変わらず可愛かった」
デュシエル卿が定宿に到着した際、プラチナブロンドと空色の瞳を持つ子供が歓迎の花束を渡す役目をしている。
デュシエル卿を喜ばせるためにアスターが手配していることの一つ。
単純だが効果は覿面。
これまではそういった細やかな手配をする側近もいなければ、自動的にサービスとして行う宿を使ってもいなかった。
「ヤーヌと会いましたでしょうか? 閣下にお会いできるのを喜んでいました」
「会った。男前になって来た」
ヤーヌは森の中にある瀟洒な隠れ家ホテルの従業員で、デュシエル卿を部屋まで案内する役目を務める金髪碧眼の美少年だった。
「将来が楽しみだ」
「いずれ案内長になれるよう必死で資格を取る勉強をしているようです」
「ほう。頭は良いのか?」
「地元の学校では優秀な成績だったようです。閣下があの宿を利用することで、ヤーヌの給与が上がりました。閣下へのご恩を返すためにも、懸命に勉強して働きたいそうです」
「良い心がけだ。次に会った時はチップを多くしてやろう」
「寛大で慈悲深い閣下の名声がますます広まることでしょう」
「定宿を変えて良かった。領地に行く途中においても名声を高めることができる」
「おっしゃる通りです」
朝食中のデュシエル卿は終始機嫌がよかった。
王都でも同じように過ごせればいいが、そうはいかない。
食事の席には社交が大好きな妻と娘がいる。
ゴシップの多くは悪口。流行の衣装や宝飾品の話の後は、必ずねだられる。
息子の口からは爵位がないことや職場への不満と文句ばかり。
食事の時間を心からくつろいで過ごせるのは、アスターと二人だけの時だけ。
デュシエル卿としては、甥であるアスターこそが自身の息子であればと思わずにはいられなかった。
朝食後、アスターはデュシエル卿による領都の視察に参加することになった。
デュシエル公爵領の領主はデュシエル公爵だが、高齢だけに王都を離れない。
長男であるデュシエル伯爵も同じ。田舎嫌いだ。
領地に来るのは次男のデュシエル卿だけで、領民にとってはデュシエル卿が領主同然だった。
「デュシエル万歳!」
「公子様、万歳!」
「心から歓迎いたします!」
「我々の領主様がお戻りだ!」
「おかえりなさいませ! 領主様!」
沿道に溢れる領民達から歓迎の言葉を受けながら、視察としてのパレードが続く。
デュシエル卿の気分は高まるばかり。
「やはり領地はいい。最高だ!」
デュシエル卿は豪奢な馬車から手を振った。
馬車が通り過ぎていく。しかし、領民達は帰らない。
なぜなら、その者達にとってデュシエル卿の馬車は先導車と同じ。
本当に出迎えたいのはデュシエル公爵の孫であるアスター。
公爵家の私兵と共に来るのを今か今かと待っていた。
やがて、黒馬に乗る男性の姿が見えた。
その周囲には公爵家の者を守る特別な制服を着用した騎兵団がいる。
黒馬に乗る男性がアスターであるのは間違いなかった。
「アスター様!」
「おかえりなさい!」
「心から歓迎いたします!」
「アスター様、万歳!」
高貴な血筋に相応しい美貌に酔いしれながら、領民は懸命に声を張り上げ手を振った。
デュシエル公爵領は豊かな部類に入る領地だが、厳然たる格差がある地域。
貴族か平民かの差、金持ちか貧乏かの差はどこにいっても存在するが、デュシエル公爵領には瞳の色や髪の色による差別が極めて強かった。
数年前から、それを救済するかのような取り組みが始まった。
差別によって低い給与の職しかつけなかった人々を雇用する領営施設が作られ、給与や待遇が各段に良くなった。
その影響で領内の生産物が増え、商業の活性化につながった。
教育や医療の施設も増設され、新規の施設においては色による差別を禁止した。
それらの施策は全てデュシエル卿の名の下に行われていたが、デュシエル卿が身分血統主義者であることは知られている。
施策の考案及び実施の指揮はデュシエル公爵の孫アスターであることが口伝によって広がった。
格差に喘いでいた人々は、アスターを救世主だと感じた。
一方、元々優遇されていた人々も、人手不足の影響で給与が若干上がった。
領都には裕福な者を対象にした商品を扱う店が作られ、地元で贅沢な気分を味わえるようになった。
多くの移動費をかけ、犯罪に遭遇しないよう祈りながら王都へ行く必要もなければ、王都から高い送料を払って贅沢品を取り寄せる必要もない。
年を重ねるごとに、デュシエル公爵領は豊かになり、人々の満足度は増えていく。
その功績が全てアスターのものであることは、公然の秘密になっていた。
領都の視察が終わると、デュシエル卿は執務室に向かった。
領地運営を担っている者達を集めた挨拶式のためだった。
「閣下はしばらく領地に滞在して執務を行う。そのつもりで対応しろ」
挨拶式の進行役はデュシエル卿と共に王都から来た側近の一人。
純然たる身分や階級における差が厳しいのはデュシエルの常識。
だが、領地運営を補佐する側近は、王都から来た側近を傲慢だと感じ、快く思っていなかった。
何よりも許しがたいのは、デュシエルの領民ではないこと。
王都生まれの王都育ち。王都民だ。
古き時代は領主に選ばれた領民のエリートが王都に同行し、領主が戻るのに合わせて戻った。
しかし、だんだんとデュシエル公爵家の者は王都に留まる期間が増え、なかなか領地に戻らなくなった。
その結果、王都に留まり仕え続ける者と領地に留まり仕え続ける者に分かれ、差が生まれた。
どちらが上かと言えば、王都で当主一家に仕えている者の方。領地で仕えている者は下だ。
デュシエル公爵家の定めたルールだけに仕方がない。
とはいえ、なぜ領民よりも王都民が上なのか。領主にとっては領民こそが最優先ではないのかと思う気持ちが、領地で仕えている者の心に積もっていた。
「アスター、何かあるか?」
デュシエル卿はアスターに声をかけた。
アスターの仕事はデュシエル卿が領地に向かう際の手配をすることで、すでに完了している。
しかし、当主の孫の一人。デュシエル公爵家の一員だ。
アスターが領地にいる側近達に軽視されないよう配慮すべきことをデュシエル卿は理解していた。
「少しだけよろしいでしょうか?」
「許す」
「閣下の英断により、デュシエル公爵領の税収は年々増加傾向にあります」
アスターの優秀さを試すため、デュシエル卿はアスターの考えた施策をするよう命じた。
すると、デュシエル公爵領の運営状況はみるみる好転し始め、税収が増えていった。
「王都の情勢は不安定な時期を繰り返しています。投資市場は荒れ、金相場も大きく揺れました。このような状況を考えますと、手堅く自領に投資しておき、税収をさらに増やしたほうが得です。危険を冒すことなく着実に富を増やせます」
「そうだな」
デュシエル卿は頷いた。
「領内への投資を増やそう。良い方法はあるか?」
「あります」
アスターは領地運営を支える側近達の方を向いた。
「領内をよく知る者を活用することです。閣下が良いと感じた案を推し進めれば、必ずや成功します。成果次第では、案を出した者に報酬を与え報いれば良いかと」
「領内に詳しいのはアスターではないか?」
アスターは領地生まれの領地育ち。
現在のデュシエル公爵家の多くは王都生まれの王都育ちが当たり前だった。
「デュシエル公爵領は私の生まれ故郷。母の墓標もあります。詳しいのも気に掛けるのも当然のことです」
アスターの言葉は、領地で生まれ育ち側近にまで昇りつめた者の心に強く響いた。
「ですが、私には王都の仕事もあります。現地に詳しい側近達にも活躍の機会をお与えください」
「そうだな」
デュシエル卿は頷いた。
「現地に詳しい側近達に活躍の機会を与えてやろう。良い案を出せ。成果次第で給与を上げてやる。待遇もよくしてやろう」
「御意」
側近達の返事には強いやる気が込められていた。
それを感じ取ったデュシエル卿は良いことをした、これでますます領地が発展するだろうと感じた。
「仕事にかかれ」
アスター以外の者達は一礼すると、それぞれの席や仕事部屋へと向かっていく。
「アスター、昼食は何時がいい?」
「申し訳ありません。新しくできた施設を確認するために外出します。戻るのは遅くなりますので、昼食への同席はできません」
「茶の時間なら間に合うか?」
「無理です」
デュシエル卿の表情が曇っていく。
残念だという気持ちを通り越して、不満と不機嫌になっているのが明らかだった。
「夕食までには戻ります」
「食前酒までに戻れ」
「そうなるよう努めます。ところで、甘いものはご入用でしょうか? 新しい施設では特別なケーキを作っておりますが?」
アスターが尋ねた途端、甘党のデュシエル卿は目を輝かせた。
「当然ではないか! 美味なものを持ち帰れ!」
「御意」
アスターは深々と一礼すると部屋を退出した。
アスターは新しい施策によって作られた場所をいくつか視察した。
どこも問題はない。万事順調だった。
最後に訪れたのは領都外れにある孤児院。
アスターの姿を見た子供達は喜びの声を上げた。
「アスター様!」
「アスター様だ!」
「おかえりなさい!」
誰もがアスターを歓迎した。
その騒ぎを聞きつけ、孤児院の職員が慌ててやって来た。
「アスター様!」
「変わりないか?」
「良い意味で変わっています」
職員は嬉しそうに答えた。
「アスター様のおかげで、色による差別が目に見えて減りました。日々、アスター様の凄さを実感しています」
「そうか」
アスターはマントの内側から分厚い財布を取り出した。
「寄付する」
「ありがとうございます。しっかり管理して、大切に使うことを誓います」
職員はうやうやしく受け取った。
「子供達はすでに恩恵を得ているようですね」
アスターが手土産に持って来たイチゴのケーキを年長者が配り、子供達が嬉しそうに頬張っていた。
「美味しいよ!」
「甘い!」
「おかわりしたい!」
「一人一つだ! アスター様に感謝するんだぞ!」
年長者が注意すると、子供達は再度アスターにお礼を伝えた。
「アスター様、ありがとう!」
「アスター様、大好き!」
「アスター様、毎日来て!」
そうだそうだという声が続き、笑いが起きた。
「アスター様はどこへ行かれても人気者です。お忙しいのでは?」
「色を塗り直しているだけだ。色とりどりの方が美しい」
深い言葉だと職員は思った。
時代が進むほどデュシエルが望む色は減っていく。
領民達は良い待遇と生活を求め、本当の色を隠した。
だが、アスターの施策は領民の意識を変えた。
もうデュシエルの望む色でなくてもいい。
デュシエル公爵の孫であるアスターが認めてくれる。守ってくれる。どんな色でも。
髪を金色に変えていた人々は続々と本当の色へ戻し、アスターの作った新しい場所で働くことを選んだ。
その方が給与も待遇もいい。生活が楽になる。
髪を金色にする意味もなければ、そのために使う金銭もまた不要だった。
「アスター様は救世主です。ですが、大丈夫でしょうか? 金髪の者が減りました。上の方がよく思っていないのでは?」
職員は心配だった。
「見ていない」
デュシエル公爵領は厳格過ぎるほどの格差がある。
そのせいで上の方の人々ほど、下の方の人々に興味がない。
上の方の人々の目につく部分を整えておけばいいだけだった。
「子供達を導け。デュシエルの未来を担う光になれる」
「はい! 必ずや!」
職員は決意を示すよう力強く頷いた。
その者はかつてアスターと同じ修道院で裏の者になるためのエリート訓練を受けていた。
今はアスターが決めた新しいトップの意向に従い、自分と同じく両親のいない子供達を生活苦や孤独から守るのが務めになっていた。
「帰る」
アスターがそう言うと、子供達は全力で嫌がった。
だが、アスターは自身を引き留める者が多くいるのに慣れていた。
「イチゴのケーキを届けなくてはならない。お前達はすでに食べただろう?」
子供達は仕方がないと思った。
誰だって美味しいイチゴのケーキを食べたい。
アスターがケーキを届けてくれるのを待っているはずだと。
「またアスター様に来て欲しいな」
「お土産はなくてもいいよ!」
「アスター様に会いたい!」
「待っているから!」
「わかってないな」
年長者が呆れたように言った。
「アスター様が来てくれることに頼るな! 一生懸命勉強して役立てるようになって、アスター様の所へ行くんだ! その方がいいに決まっているだろう!」
「そうだね!」
「そうする!」
「勉強を頑張る!」
「絶対、アスター様の所へ行くね!」
子供達の声に見送られながら、アスターは孤児院を後にした。
デュシエル卿への土産はイチゴのケーキ。
ふわふわのスポンジに新鮮な生クリームとイチゴがたっぷり使われているケーキは非常に美味だと大評判。
最初の施策で作られた農園や農場で生産されるものを、新しい施策で作られた菓子店が仕入れ、裕福な人々が好むスイーツを作って売っている。
他領品に依存しない完全なる地産地消は、デュシエル公爵領を着実に富ませていた。
――好きな食べ物は?
――イチゴのケーキ。生クリームたっぷりの。
かつて、生きる気力が感じられない少女のために、アスターはケーキを手に入れたことがあった。
――これをやる。生きていれば良いこともある。
パウンドケーキを切り分けたものが紙袋に入っていた。
――無理しなくていいのに。
――お前の分しかない。さっさと食べろ。
――でも、お皿もフォークもナイフもない。
――手で掴んで食べろ。
――ケーキなのに? クッキーみたいに食べるの?
曇り色の目を丸くして少女は驚き、マナーと違うと言った。
早く食べるよう急かすと、少女はパウンドケーキを二つに割った。
――半分。
――毒見して欲しいのか?
――ケーキは一個でも分けることができるから。ありがとう。とっても嬉しい。
差し出されたのはケーキだけではなかった。
感謝の気持ち、相手を想う優しさもまた。
そのせいでいらないとは言えず、少女と二人でケーキを食べたことを、アスターは思い出していた。
 





