1169 デュシエル公爵領
アスターは王都を離れた。
デュシエル公爵の次男であるデュシエル卿が領地へ帰って仕事をする予定に合わせ、自らもまた領地へ短期間戻る。
アスターがデュシエル卿に同行して領地へ戻るのは、道中の手配や雑用をこなすためであり、デュシエルへの忠誠を示すため。
ほとんどの人々はそう思う。
だが、アスターにとっては違う。
領地へ帰る時は可能な限り急ぎたい。そこでデュシエル卿を利用する。
疾走する馬車よりも先行するために単騎で飛ばし、デュシエル卿のための手配をしながら別の仕事もこなす。
領地の城に到着した後はデュシエル卿を迎える準備をするよう通達し、猶予時間を自分のために使う。
アスターは墓参りのための帰省。
道中の手配と到着準備の通達をすれば、デュシエル卿に対するアスターの仕事はほぼ完了だった。
早朝、アスターは公爵家の墓地へ来た。
デュシエル公爵家の者はデュシエル公爵領にある専用の墓地に埋葬される。
アスターもまたデュシエルを名乗る以上、死ねばその墓地に埋葬される。
アスター・デュシエルとして埋葬してくれる者がいれば。
「おはようございます」
アスターに挨拶をしたのは墓地で働く墓守りだった。
「何か御用は?」
「花がない」
アスターは母親の墓標に供える花を持って来なかった。
「大丈夫です。いくらでもご用意します。礼拝堂の花壇にあるものでもよろしいでしょうか?」
「頼む」
「かしこまりました」
墓守りは深々と頭を下げると歩き出す。
アスターはその後に続いた。
墓守りが向かったのは公爵家専用の墓地を見守る礼拝堂。
デュシエル公爵家の葬儀は最も格式が高い寺院で行われるが、最終的にはこの墓地の礼拝堂に棺が到着する。
それはつまり新旧のデュシエル公爵や葬儀に参列する一族が集まる場所ということ。
それだけに礼拝堂はデュシエル公爵家の威信を示すよう立派なものになっており、歴代の当主の墓が内部にある。
だが、巨大な礼拝堂にはひと気がない。
この礼拝堂が利用されることは滅多になく、アスターのように墓参りに来る者も極めて稀だ。
とはいえ、壮麗で巨大な礼拝堂を廃墟のようにするわけにもいかない。
一族以外の者が敷地内に立ち入らず、付近の森にいる獣が棲みつかないよう管理人が置かれていた。
「花を用意してきます」
墓守りが立ち去ると、アスターは礼拝堂の中へと入った。
広いホールを埋め尽くすのは静けさと寒さ。
ステンドグラスから差し込む光は弱く、礼拝堂内はかなり暗い。
人によっては不気味に思えるほどの雰囲気だった。
「アスター様」
声が響いた。
現れたのは墓守りではない。別の男だった。
足音がしないのは、石造りの床の上を歩いても響きにくい特殊な布靴を履いている証拠だ。
「お元気そうでなによりです」
礼拝堂を管理するため、修道院から派遣されている修道士だった。
そして、その修道院はかつてアスターが特殊なエリート教育を受けていた場所でもある。
「修道院はどうだ?」
「大変です」
高齢に見える修道士は寂しげな表情で答えた。
「人が減りましたので」
数年前、修道院のトップが変わった。
強制的に特殊なエリート教育を施されていた子供達は自由になった。
「管理が楽だろう?」
「静かです」
怒声、罵声、体罰の音が消えた。
「若い者は明るく華やかな場所を好みます。都会の喧騒が魅力的に見えるのです。田舎に引きこもるのは年老いてからで十分と思うのでしょう」
「逆だ」
アスターは答えた。
「若い時ほど田舎の方がいい。都会は狭くて窮屈だ」
「アスター様らしい答えです」
修道士はゆっくりと頷いた。
「金はいるか? 欲しいなら寄付する」
「羽振りが良いのであればぜひとも」
アスターはマントの内ポケットから財布を取り出すと、修道士に向けて放り投げた。
修道士は素早く動き、財布を床に落とさぬよう受け止めた。
「修道士らしくない。昔なら落第だ」
「申し訳ありません。ですが、床に落ちたものを拾うのは面倒……腰が痛くなりますので」
修道士は答えながら財布の中身を確認した。
「ギニーでなくて良かったです」
ギールの札束が入っていた。
「何かと物入りだろう。人がいなくても金で解決できることもある」
「全くもってその通りでございます」
修道士は財布を懐にしまうと、うやうやしく頭を下げた。
「寄付をありがとうございます。アスター様に神の御加護があらんことを」
アスターは踵を返すと礼拝堂の外へ出た。
墓守りが素朴な花束を持って待っていた。
「こちらでいかがでしょうか?」
「墓に置いておけ。財布は中にいる修道士に渡した。チップを貰っておけ」
「わかりました」
墓守りは頷いた。
「ですが、あの方はドケチでして」
「知っている」
墓参りは終わり。
アスターは墓地を後にした。
アスターを見送った墓守りは礼拝堂に入ると、修道士に話しかけた。
「アスター様からチップを貰うように言われた」
「いくらだ?」
「聞いていない」
「仕方がない」
修道士は財布から札束を取り出した。
「おお!」
「勘違いするな」
札をまとめている紙を破り、数枚の紙幣を墓守りに差し出す。
「一枚でなくて良かった」
「さすがに面子がある」
ボスであるアスターの。
「一束だけか? 結構分厚いようだが?」
「働けということだ」
指示書入り。
「花を置いてくる」
墓守りはそう言うと踵を返した。
「帽子を取って礼を言え。墓守りだろう?」
「アスター様ならそうするが、アンタじゃなあ」
「まあ、それもそうか」
「じゃあな」
小遣いを貰った墓守りは嬉しそうに墓地へと向かっていく。
修道士はため息をつきながらボリボリと頭をかいた。
……このかつらは洗おう。なんだか痒い。
つけひげも同じ。くたびれた修道服も全部。
高齢の修道士に変装した者はかつてデュシエルの裏の者であり、今ではアスターに仕える裏の者だった。
墓守りをしている者も同じ。デュシエルからアスターへ鞍替えした裏の者だった。





