1167 他国人の社交場
バーベルナは社交活動にいそしんでいた。
中等部から留学していただけに、エルグラードにおける社交界がどのようなものかはわかっている。
年月が経っていることによる違いはあるが、古くから脈々と受け継がれている社交の場は不動だ。
最も権威も影響力もあるのはその国の王族を頂点とする公式な社交界。
より具体的に言えば、公式行事や催事を中心に据えた王宮社交界のこと。
王宮社交界はその国の王族と貴族の関係を強化するためにある。
諜報活動を警戒される他国人は王宮への入場許可が出にくく、通常時は蚊帳の外。
だが、エルグラードは大国だけに社交の場は至る所にある。
エルグラード貴族だけの社交界があるように、エルグラードに滞在する他国人だけの社交界もあった。
酒を飲みながらバーベルナは不機嫌な表情を隠そうともしなかった。
つまらないわ……。
同じことの繰り返しだと思っていた。
バーベルナがエルグラードにいる目的は社交をすること。
有益な持つ者と会い、情報収集をしながら協力や支援を引き出す。
最初はチヤホヤされていたこともあって気分も上々だったが、社交の場の話題は移り変わるのも早い。
孤児院事件の話題はすでに下火どころかまったくない。
最も強い興味を引いているのは新同盟によって同盟国との取引が増えること。
この機会に莫大な利益を得られそうな話を探す者が多かった。
バーベルナはザーグハルドの皇女。ザーグハルドは新同盟に参加していない。
参加予定がないことも知られてしまい、この話題については踏み込みにくかった。
とはいえ、バーベルナも資産を増やしたい。
多くの人々と同じように社交場で情報を仕入れ、新同盟に関係する美味しい話がないかを探していたが、思うように見つからないのが現実だった。
「バーベルナじゃないか」
声をかけて来た人物を見て、バーベルナは顔をしかめた。
「まだエルグラードにいたの?」
カルナッド王国の王子クリシュナだった。
「アイギスは帰ったのでしょう? 一緒じゃなかったの?」
「私はまだいる」
「そう」
「ザーグハルドとも取引したくはあるが、難しそうではある」
「そうね」
ザーグハルドはコーヒー大国。
紅茶や緑茶は好まれていない。
そのせいでザーグハルドを経由した陸路での販路拡大が難しかった。
「何か面白い話はないか?」
「ないわ」
「まあ、そうではないかと思った。つまらなさそうな顔だったからな」
「お茶が好きな男に会ったせいかもしれないわ」
バーベルナの嫌味にクリシュナは笑った。
「クオンは茶が好きだが?」
「クオンとはお茶の話をしないわ。ワインの話ならするけれど」
「エルグラードはワイン大国だ。滞在中に味わっておかないとだな?」
「そうね。もっと味わってくるわ」
バーベルナはクリシュナから離れようとして、立ち止まった。
「新しい護衛?」
バーベルナが視線を向けたのは空色の瞳を持つ護衛だった。
浅黒い肌に黒髪。
ターバンから垂れている布で目元以外は隠されている。
長身だけに威圧感もあった。
「新しくはないが、側にいるのは珍しいかもしれない」
「そう。社交の場なのに、貴方の護衛はいつも顔を見せないわね」
「これが正装だ。会話も飲食も禁止だとわかりやすいはずだが?」
「私より狙われているのだから、気をつけなさいよ」
バーベルナはそう言うと、ワインを楽しむために立ち去った。
「男性よりも酒の気分らしいな」
クリシュナは笑うと、護衛達を連れて別の場所へ移動した。
夜中。
クリシュナは護衛達と共に屋敷へ戻った。
エルグラードには長期に渡って滞在することを考え、売りに出ていた物件を購入した。
ホテルには不特定多数の者が出入りするため、安全度が低いせいもある。
側に置くのも自国から連れて来た信用できる者達ばかりで固めている。
とはいえ、カルナッド人の風貌はいかにも異国人。何かと目立つ。
エルグラード人を活用するのは当然で、古くからの知り合いに頼み、信用のおける者を雇っていた。
「刺激的な夜だったか?」
クリシュナが声をかけたのは護衛の一人。
空色の瞳を持つ者だった。
「刺激的?」
「バーベルナに会っただろう?」
「それが?」
「つれないやつだ」
クリシュナは笑うしかない。
「まあ、気づかなかったと思うが」
「気づかせたかったのか?」
「いや。昔のように取り合うつもりはない」
クリシュナはニヤリと笑った。
「それとも、お前がどちらかを選ぶか?」
留学時代、クリシュナはかなり派手に遊んでいた。
お気に入りの新聞配達員を指名するために大金をつぎ込んでいたが、ライバルの中にバーベルナもいた。
互いにそのことを知った時は大喧嘩。
大学内で会っても不穏な状態が続き、仲裁に入った友人達によってなんとか収まったということもあった。
「俺の顧客はお前だ」
「その通りだ。で、どうだ? 成果はあったか?」
「気になることはあった」
「儲け話か?」
「裏の者がいた」
クリシュナの表情が陰った。
「兄上の刺客か?」
クリシュナは腹違いの兄達に命を狙われていた。
「違った。参加者の護衛、監視役、情報収集だった」
「いつ知ったんだ?」
「お前と合流する前だ」
クリシュナを狙う者が潜んでいないかを確認する際に見つけた。
「裏の者と直接話すのか? 社交場で?」
「声をかけるのは造作もない。互いに素性は隠している。情報交換するかどうかも本当のことを話すかどうかも任意だ」
社交場にいる者のやることは似たり寄ったり。表も裏も関係ない。
「あそこは安全だと思っていた」
「安全な方ではある。社交場内での殺傷は禁止というのが暗黙のルールだ」
「ルールに従う理由があるのか?」
「他の参加者に迷惑がかかる。多くの国やその裏を敵に回すのは利口ではない」
クリシュナは何とも言えない気持ちになった。
「暗殺者のコンサルティングまでしているのではないだろうな?」
「合法だけで十分稼いでいる」
「お前は何でもできるからな。それこそ暗殺者にもなれそうだが」
「なりたくない。命を奪うよりも、助ける方がいい」
「そうだな。で、他には何かなかったか?」
「茶葉の取引に興味があれば、連絡するよう伝えておいた」
「そうか。ちゃんと仕事をしていたか」
クリシュナは頷いた。
「お前の本業だからな。しっかり、私の事業を拡大してくれ」
「わかっている。お前が稼ぐほど俺も稼げる」
今回の仕事は成功報酬制だった。
「エルグラードを茶葉大国にしてやる! 動くのは私ではないがな!」
クリシュナは笑みを浮かべたが、コンサルタント兼護衛の表情は全く変わらなかった。





