1166 二枚の調査書
アスター・デュシエル。二十六歳。
身分・血統主義者の代表格デュシエル公爵家の一員。
母親は現当主であるデュシエル公爵の娘ステラ。
父親はフィリオット・レイズ。デュシエル公爵領の平民。
出生地はデュシエル公爵領。
父親は乳児の時、母親は幼児の時に他界したため、デュシエル公爵領にある修道院に預けられて養育された。
義務教育の修了後は修道士見習いになる。
そのまま修道士にはならず、王都にある神殿に入って神官見習いになる。
神官見習いをやめ、フリーのコンサルタントに転身。
現在、母親の実家デュシエル公爵家を含め、多くの顧客を抱えている。
クオンはアスター・デュシエルの調査書に目を通した後、別の調査書を手に取った。
ボニファス・レザン。二十五歳。
両親を失い、十一歳で孤児院へ入る。
十八歳になる少し前に行方不明。
「ヘンデル」
「何?」
「一歳違うが?」
「自己申告で少なくしたんじゃん? 誕生日がまだかどうかでズレたとか」
ヘンデルは何でもないというように答えた。
「孤児が本当の名前や年齢を言っている保証なんかない。でも、孤児院はそれで登録する。むしろ、孤児院が勝手に違う内容で登録することもある。リーナちゃんのところはそうだったじゃん?」
「そうだな」
つまり、ボニファスの基本情報はあてにならない。
「おかしくないのか?」
「何が?」
「行方不明になったままになっていることだ」
「普通らしい」
通常、未成年者が行方不明になると、保護者が届け出をする。
ボニファスは孤児。家族はいない。
行方不明を届け出るのは孤児院のはずだったが、補助金を少しでも長く受け取るために届け出をしなかった。
成人すると納税の義務が生じるが、役所は滞納者であるボニファスが行方不明であることを警備隊に届けなかった。
なぜなら、警備隊は探してくれない。重罪事件が優先。
ずっと行方不明のまま。死亡していれば、税を納めることはできない。
たとえ生存中であっても元孤児。税金を支払えるほどの収入があるかもわからない。
結局、放置状態になっていたことをヘンデルは説明した。
「どこかで発見されたら、未納の税金が一気に請求される。ボニファスは頭が良さそうだし、見つからないよう一生過ごすだろうね」
「発見されているが?」
クオンはアスター・デュシエルの書類を叩いた。
「本人だって証明できない。リーナちゃんやロビンの証言だけじゃ、デュシエル公爵家の壁を突破できないよ」
アスター・デュシエルはデュシエル公爵の孫だ。
孤児院にはいなかったと主張するに決まっている。
アスターの経歴を見ると、修道院がある。
デュシエル公爵領にある修道院だけに、デュシエル公爵家の言いなり。
ずっと修道院にいたと証言する。
王都の神殿はデュシエルとは関係がない。神官見習いとして短期間在籍していたことは確認済。
コンサルタントとしての仕事も本当にしており、納税もしている。
様々な契約書、仕事の成果、報酬の支払いといった書類も証拠になる。取引相手もアスター・デュシエルは孤児のわけがないと証言する。
その結果、十七歳で行方不明になったボニファス・レザンとは無関係。
どことなく似ているだけではないかという程度で終わりだ。
「アスターとボニファスに共通しているのは空色の瞳ってことと美人なことだけだしね」
他にも該当者がいそうな理由しかない。根拠が極めて薄い。
「エルグラードの国民登録制度は甘すぎる。簡単に別人になれる」
「仕方がないよ。身元不明の孤児を無国籍にするわけにはいかない。エルグラード国民として保護して、補助金を出さないと生きていけないじゃん?」
それはクオンもわかっている。
制度を悪用する者が悪い。それに尽きる。
「領主特権で偽造できる方がよっぽど甘いよ。孤児院が提出する書類の方がましだと思うね。一応、役所で本人確認はするしね?」
領主特権は極めて強い。
領地にいない者をいるように仕立てるのは簡単だ。
「アスターの方は偽造していないということか?」
「本物としかいいようがない。当主の孫だし、仕事もしているしさ? コンサルタントをしているようだし、俺も相談してみようかな?」
ヘンデルが笑った。
「それを口実にして呼び出してみる?」
「余計な情報を与えるだけだ」
「まあねえ」
ヘンデルはため息をついた。
「バーベルナもそれでと思ったのに、違うのが意外」
バーベルナはエルグラードにおける資産を増やすために様々な投資をしている。
そのせいでコンサルタントをしているアスターと知り合ったのではないかと思われたが、顧客ではなさそうだという調査結果が出た。
「フェリーチェ・デュシエルが紹介した賃貸物件の実務担当だって言ってたよね?」
「そうだな」
フェリーチェ・デュシエルもデュシエル公爵の孫の一人。
実務を有能ないとこに任せたというのはおかしくない。
バーベルナに取り入るため、美青年のアスターを動かしている可能性もある。
「社交場でフェリーチェ・デュシエルと会ったのかねえ」
バーベルナの社交範囲は広い。そこで知り合う全員を把握することは不可能だった。
ヘンデルは時間を確認した。
「そろそろ面会時間」
「わかった」
クオンは極秘ファイルに書類をしまうと、鍵のかかる引き出しにしまった。
「処分しないの?」
「まだしない」
クオンは答えた。
「リーナに見せるか検討する」
「アスターとボニファスの年齢は違うからなあ」
ヘンデルが一番気にしているのはその部分だった。
応接間にいたのはクオンの学友だった二人。
デーウェン大公子のアイギスとカルナッド王国の王子クリシュナだった。
三人が会うのは新同盟の発足によってデーウェンを仲介したエルグラードとカルナッドの貿易に変更があるからだった。
「アイギスは大儲けだ」
クリシュナは新たに作られた書類を見て言った。
「お前のために大口の取引先を見つけてやった恩をもう忘れたのか?」
アイギスはご機嫌だった。
「直接貿易ができない以上、仕方がない」
エルグラードとカルナッドは隣り合っていない。それどころか遠距離だ。
陸路は途中で問題が起きる可能性が高く、海路の方がまだまし。
エルグラードはデーウェンに莫大な金を支払うことになってしまうが、クオンが定期航路を作ることへ投資している。
それが成功すれば、投資の成功益が入る。
支出が多いほど投資の成功益も増えるというわけだ。
「もっと茶葉を送れ」
「わかっている。だが、次に運ぶのは私ではない」
クリシュナは当分の間はエルグラードに滞在し、貿易事業の拡大と販路拡大に努めるつもりだった。
「アイギス次第だ」
「船次第だ」
アイギスは正式な新同盟や貿易の契約締結などの手続きを終え、デーウェンに帰国する。
「治安があまり良くない。気を付けろよ?」
「大丈夫だ。エルグラードに残していく」
クオンは眉をひそめた。
「何のことだ?」
「札束だ。相当儲けたらしい」
クリシュナが言った。
「クリシュナに言われたくない。クリシュナの方が儲けたはずだ!」
アイギスも遠慮なく暴露した。
「おかげでエルグラードの滞在費に困らない」
「投資か?」
「金塊だ」
社会情勢が不安定になると、金の相場が上がる。
エルグラードで何度も大きな事件が起きたため、金相場はどんどん上がっていた。
成人式や新同盟の発表で少しは落ち着くかと思われたが、孤児院の事件発生でまたもや社会不安が増大。
より金の相場が上がったため、アイギスとクリシュナは手持ちの金塊を売ることにした。
その後、クオンがヴェリオール大公令を出したことで王都の混乱は確実に収束に向かうと思われ、一気に上昇した金相場は反転して急下降。
最高値付近で売った二人は差額で大儲け。高笑いをしていることがわかった。
「私が悩んでいる間に稼いでいたわけか……」
「これからもっと大きな取引をする。船が沈んだ時に備えて資金を用意しておくだけだ」
「縁起が悪い」
「バーベルナも儲けたらしい。留学時代に買い込んだ金塊を売ったと言っていた」
クオンの表情が厳しくなった。
「そのために余計なことをしたわけではないだろうな?」
「売ったのは成人式の前だ」
二人がバーベルナと話をしたのは成人式の時。
バーベルナはエルグラードに滞在する費用を捻出しなければならず、留学時代に買い込んだ金塊があることに気づいた。
エルグラードは威信をかけて第四王子の成人式を行う。
治安も順調に回復。金相場は上がらないと感じ、売ることにした。
だが、孤児院のことで王都が騒がしくなり、金相場が急騰した。
早く売って損したというのがバーベルナの気持ちだろうというのがアイギスとクリシュナの見解だった。
「私達と同じようにしていたら、金相場を動かすために行動したと思われかねない。むしろ、先に売っておいて良かった」
「悪運が強い。さすがバーベルナだ」
「喜べない。どちらにしてもだ」
顔をしかめるクオンにアイギスとクリシュナは励ましの言葉をかけた。
「沢山茶葉を運ぶ。リーナもエルグラード国民も喜ぶ。待っていてくれ」
「私はエルグラードに滞在しながら儲けた金を落とす。ほんの少しは王都の経済に貢献できるかもしれない」
「アイギスは気を付けて帰れ。クリシュナは気を付けて遊べ」
クオンの言葉にアイギスとクリシュナは笑顔を返した。





