1163 森林宮での避難生活
王太子による森林宮への招待という名目で一時的に保護された孤児の数は約六百名。
各孤児院に赴いたリーナや査察官が判断し、子供達を保護するかどうかをその場で決定した。
運営状態に余裕がある孤児院はほとんどなく、緊急と判断された避難者の数は想定以上だった。
それでも多くの貴族が支援のために動いたおかげで物資の不足はすぐに解消。
対応する人員についても後宮からの派遣を増やすことで解決。
当分の間、保護された子供達が森林宮で避難生活を続ける目途がたった。
森林宮に多くの子供達が来てから一週間が経っていた。
最初はどこに連れていかれるのは不安だった子供達だったが、巨大で立派な建物、身なりが整った大勢の人々、清潔な部屋や衣類、温かい食事に出迎えられたことに驚き、心から喜んだ。
しかし、あくまでも一時的な避難。いつまた他の場所へ連れて行かれるかわからない。
子供達の緊張と不安を解き、心身を休ませる期間が必要だと感じたリーナは、避難及び招待期間を長くして欲しいことをクオンに伝えた。
クオンが王都の最新状況を確認した結果、すぐにまた別の孤児院に入れることで誹謗中傷や悪意によって子供が傷つけられる恐れがあるため、避難及び招待の期間を一カ月間に設定した。
「ご飯ですよー!」
リーナは大声で叫んだ。
食事時間になると各孤児院におけるリーダーと副リーダー、通称ボスと腹心が子分の食事や配給物を受け取り、年長の者も手伝ってそれぞれに行き渡るような体制を整えていた。
「今日はシチューだよー! マグカップ配給だからこぼさないようにねー!」
ジゼが声を張り上げた。
「勿体なくてこぼせるかっつーの!」
「そうだそうだ!」
「温かいものが出るなんて夢みたいだし!」
「湯気まで美味しそう!」
次々と食事がワゴンに載せられていく。
「今日も会議があります! 十五歳以上は全員参加なので、食事の後は会議室に来てください!」
リーナはパンを配りながら声を張り上げた。
「十五歳以上?」
「十五歳も?」
「ボスと腹心だけじゃなくて?」
「十五歳、十六歳、十七歳の人は全員です! 留守番は十四歳の人に頼んでください!」
「各孤児院同士で協力し合ってください!」
「積み木の奪い合いは駄目だよー!」
「本は借りたら返しなさい! 行方不明にならないようにね!」
リーナだけでなく、リリー、ジゼ、ハイジも声を張り上げた。
真珠の間の侍女達は何も言わずせっせと配給及び支援作業を続ける。
やがて、子供達が配膳用のワゴンと共に行ってしまうと、真珠の間の侍女達はぐったりとしたようなため息をついた。
「……毎度のことながら、配給だけで疲れます」
「ですよね」
「子供達はしっかりしているのになぜなのか」
「不思議です」
「慣れですよ」
リーナは答えた。
「後宮では礼儀正しく静かに生活していますよね? 子供達が元気なのは良いことなのですが、普段とは違う雰囲気なので気を遣うのだと思います。人混みに行くと疲れるのと同じです」
「なるほど」
「確かに人が多いと疲れますね」
「自然と気を遣っているわけですね」
侍女達は納得した。
「今日は子供会議がありますので、その間は年下の子供達のサポートをお願いします。喧嘩をしていたら必ずすぐに止めてください。怪我をしないようにすることが最優先です」
「はい」
「わかりました」
「子供相手の職種の方を尊敬します」
「同じく」
侍女達はもう一度大きなため息をついた。
「では、会議を始めます!」
リーナは会議に集まった年長の子供達を見渡しながら声を張り上げた。
「今日は素晴らしい知らせがあります。受け入れてくれる孤児院が見つかり始めました!」
子供達の表情は一気に曇った。
ため息も出る。
嬉しくないというのがありありとわかる状態だった。
「嬉しくなさそうですね」
「当たり前だろ!」
「ここにずっといたい!」
「戻りたくない!」
子供達が叫び出した。
「静粛に」
カンカンカン。
会議はいつも騒がしい。
メリーネは裁判官が使用するガベルと呼ばれる木槌を用意して使用した。
「リーナ様の説明を聞きなさい」
子供達は不満そうな表情でありつつも黙り込んだ。
「森林宮を気に入ってくれてありがとう。でも、ここは一時的な避難所です。ずっといることはできません。この先住む場所を決めないといけません」
森林宮に招待された子供達がいた孤児院は廃院や閉鎖の手続きを申請している。
そうではない場合もあるが、酷い状態だったために強制閉鎖や強制廃院の対象になった。
元の孤児院には戻れない。他の所へ行くしかない。
「ここにいるのは普通食を食べられることが条件ですので、そうではない子供達は別の場所にいるのは知っていますよね?」
ミルクや離乳食などの特別食が必要な子供は国王に懇願して後宮の方へ移した。
表向きはヴェリオール大公妃に子供ができた場合に備えての訓練に協力して貰うためという理由をつけたが、乳児の体調変化に備え、設備が整った医務室の近くにしようと判断した結果だ。
「孤児院にも色々あって、年齢に関係なく受け入れてくれる場合と、年齢制限があることがわかりました」
今回の件でリーナはエルグラードにある孤児院について学んだ。
国は孤児を保護しているが、乳幼児の保護の方に力を入れている。
乳幼児に対する補助金は多く、ミルクの入手についても支援している。
公的孤児院の多くは乳幼児専用。
六歳からは義務教育を受ける学校へ入ることを考慮し、できるだけ早く民間の孤児院へ転院させていることもわかった。
「公的孤児院は対応人数の上限が決まっています。ですので、空きがあればすぐに受け入れてくれるのですが、乳児以外の枠はないも同然のようです」
幼児の枠は乳児が成長して幼児になり、転院させる孤児院が見つかるまでの期間用としてある。
つまり、乳児同士の兄弟姉妹は一緒の公的孤児院に入れるが、年齢差がある幼児以上の兄や姉は一緒に入れない。
兄弟姉妹の下の方だけが公的孤児院に入り、上の方が民間の孤児院に入ることになってしまうということだ。
王都にある公的孤児院は緊急保護用で、健康状態に問題がなければ王都圏内にある公的孤児院に送られる。
乳児が成長した後は受け入れてくれる民間の孤児院を探すことになるが、王都圏だけでなくエルグラード全土の孤児院が受け入れ対象になる。
王都の孤児院にいる兄弟姉妹と再会できることは極めて難しいというのが現状であることをリーナは説明した。
「私も元孤児だったことは話しましたが、最初は地方の孤児院にいました。転院によって王都に来たのですが、逆に王都から地方に転院することもあるわけです」
大きな孤児院はコネがあり、商人達に顔が利く。
荷物を運ぶついでに孤児も乗せ、転院させていることがわかった。
「自分に年の離れた弟や妹がいると仮定してください。別々の孤児院になっても、先に弟や妹を保護して貰った方がいいと思いますか? 自分が赤子や幼児の面倒を見ることになっても、同じ孤児院に入れて欲しいと思いますか? 正直な気持ちを教えてください」
リーナは自分だけでなく周囲の意見、特に子供達の意見を取り入れたいと思った。
だからこそ、森林宮での避難生活についても、リーナや担当になった大人が全てを決めるのではなく、子供達の代表者の意見を会議で聞き、一緒にどうやっていくかを決めるようにしていた。
「皆の意見はここにいない子供達だけでなく、まだ歩けない赤子の対応を決める参考にします。今後どうなるかを決めるのと同じ、適当な意見は困ります。真剣に考えた上で、意見を出してください」
「生きていける確率が高い方がいい」
最初に意見を出したのは十七歳の少年だった。
「本人達は小さくてわからないかもしれない。でも、年齢が上がるほど一緒にいたいと思うはずだ。だけど、小さい子は死にやすい。自分のせいで死んだら嫌だ」
「そうね」
「そうかも」
同意の声が上がった。
「私は自分で面倒を見たいわ。酷い孤児院や職員だったら、ろくに面倒を見て貰えないわ。それこそ死んじゃうわよ!」
別の少女は自身で面倒を見たいと言った。
「ここに来る前は弟でも妹でもないけれど、ずっと赤ちゃんの面倒を見ていたわ。ミルクが手に入りにくくて薄めないといけないし、おしめの交換も大変だったわ。でも、なんとかできていたし、その経験を活かして雇って貰えるかもしれないでしょう?」
「女だからだろう?」
「男には無理だ」
「母乳をあげるわけじゃないのよ? 男にだってできるわ!」
「女に押し付けないでよね!」
「そうよ!」
「適性があるんだよ!」
「力仕事は男にさせるじゃないか!」
「そうだ! 女だって力仕事ができるくせに!」
「手が痛くて大変だ!」
「こっちだって手が痛いわよ!」
「荒れ荒れだわ!」
またしても騒がしくなった。
メリーネが木槌を叩いた。
「静粛に!」
「では、新しく完成した綺麗な孤児院で、国から貰った補助金を全て子供のためだけに使って、ミルクやおむつの支援もしっかり受けられるとします。そこで乳幼児の面倒を指導してくれる人と一緒になって面倒を見ながら生活するということだったらどうでしょうか?」
「新しい孤児院?」
「綺麗なの?」
「食べ物や物資があるのは大事だ」
「金もありそうだな?」
「指導員がいるのも嬉しいよね」
子供達は遠慮なく意見を出し合った。
その結果、サポートがしっかりと受けられる状態であれば、自分達で面倒を見てでも兄弟姉妹と一緒がいいという意見が圧倒的に多くなった。
「わかりました」
リーナは子供達の意見や多数決の結果をノートに書いた。
手が痛い。荒れ荒れだということも。
すぐに軽症用の軟膏とハンドクリームを用意しようとリーナは思った。





