116 許せない
パスカルはドアを閉めるとすぐに鍵を掛けた。
「もういいよ」
ヘンデルが声をかけると、執務机の下からクオンが出て来た。
「もしかすると、バレたかも?」
王太子の側近であるヘンデルやパスカルには、第二王子の側近であるセブンを強制的に呼び出す権利がない。
そこで、王太子の呼び出しだと思わせるために王太子の執務室に呼び、必ず来るように仕向けた。
第二王子が過敏に反応しないよう側近同士で話し合いをして様子を見ることになったが、報告の手間を省くという理由でクオンは机の下に隠れていた。
「王太子が机の下に隠れているなんて、国家機密以上の秘密だよ」
「緊急時に備えての訓練だ」
完全な言い訳だとヘンデルは思ったが、不機嫌なのが明らかなクオンを刺激しないためにも否定はしなかった。
「で、どうする?」
ヘンデルは尋ねた。
「リーナちゃんはずいぶん大物を釣っちゃったね?」
「ロジャーよりも不味い」
クオンは苦々しい表情で答えた。
「セブンは本気だと口にした。家族にも紹介している。責任が生じることをわかっているはずだ」
「でも、気に入ったって周囲に伝えて、牽制しているだけだよ?」
正式に交際を申し込んでいるわけではない。
現時点における状況報告と同じだとヘンデルは思った。
「しばらくして、やっぱり興味がなくなったって言えば終わりだよ。バラの花を一本贈ったぐらいで騒ぐことでもない。社交辞令で済む。というか、パスカルもよくそんな情報を仕入れて来たね?」
「あのような話をされ、何も手を打たないわけにはいきません。行動を監視する程度のことは指示するのが当然です」
「突然だったのに、手駒が豊富で羨ましいなあ」
「ご謙遜を」
「セブンについての担当だが、どうするか迷うところだ。お前達の考えを聞く」
「俺が担当する」
ヘンデルがすぐに答えた。
「これまでだってそうだ。担当を変えるのは変だよね? パスカルにも手伝っては貰うけれど、補佐でいいよ」
「わかった。それでいいが、ウェストランドとの直接的な衝突は避けろ」
ヘンデルもセブンも王族の側近で大貴族の跡継ぎ。
その二人が堂々と衝突すれば、周囲に与える影響は大きい。
「それはわかっている。でも、俺がどんな対応をするかはクオンがどうするかににかかっている」
「私がどうするかだと?」
「王宮の新規雇用を凍結したじゃん」
クオンはリーナが王宮に就職するかもしれないと聞き、エゼルバード側の事情や面倒な問題に巻き込まれるだけだと感じた。
そこでクオンは王宮の新規雇用数が適切かを調査すべきだと指摘する書類を作らせ、王太子府から国王府に提出させた。
それによって国王府は王宮内の新規雇用数が適切かどうかを調査することを決定し、調査が終わるまでの間は新規の募集をかけないことになった。
「新規雇用をする前に、本当に補充が必要なのかどうかを調査した方がいいと思っただけだ」
「リーナちゃんが王宮に就職させない目的も含まれているよね?」
「王宮は危険な場所だ。身を守る術がない女性は、もっと安全な場所で働いたほうがいい。ただの善意だ」
「どう考えても善意だけとは思えない。パスカルもそう思うよね?」
「王太子殿下がどうされたいのかは、はっきり示していただきたく思います。でなければ、側近の対応も判断も難しくなってしまいます」
「そうそう。リーナちゃんを欲しがる者が増えちゃうよ?」
クオンは机の引き出しの中にしまった書類を取り出した。
「考える時間が足りない。先に溜まっている書類を片付ける」
保留案件。判断は先送り。
書類が溜まっているのも本当だった。
「……最近、頭痛が続いているよね?」
医者には過労だと診断され、休むよう言われている。
しかし、クオンは書類を溜め込むわけにはいかないといって執務を続けていた。
「忙しいのはどうしようもない。王太子が暇なわけがない」
「それはわかっているけれどさ」
……リーナちゃんのことが気になるせいだったら困るなあ。
ヘンデルはため息をついた。
「書類が溜まるのは困るけれど、倒れる方がもっと困る。倒れないためには休むことも大事だよ?」
「わかっている。無理はしない。今夜も早めに寝る」
すでに頭痛がしているのだとヘンデルは察した。
「頭を使い過ぎている。薬を飲んでさっさと寝て!」
「今夜はここまでにされたほうがよろしいのではないかと。お疲れになられているのがわかります」
パスカルもヘンデルの味方をした。
クオンはポケットから頭痛薬を取り出して飲んだ。
「少し休む」
「たくさん休んでいい。パスカル、クロイゼルに言って。謁見はなし。緊急案件は俺が対処する」
「はい」
「隣にいる。何かあったら起こせ」
クオンは執務室の隣にある部屋に行くと、ベッドに寝転んだ。
昔は内密の話をするための部屋だったが、今では王太子の仮眠室になっている。
目を閉じたまま数分。
大きなため息が漏れ、クオンが目を開けた。
……眠れない。
眠気が酷くてどうしようもなくなってから寝ることが多いせいで、眠くもないのに寝るのがすっかり苦手になってしまった。
執務室にはヘンデルがいる。クオンが戻らないように見張るためにも退出しない。
……戻るに戻れない。
クオンは少しでも頭を休ませるため、仕事以外のことを考えることにした。
すぐに思いついたのはセブンのこと。
本人のせいではないとしても、その相手は不幸になるか死んでしまう。
ウェストランドという巨大な闇がつきまとうせいだと思われた。
セブンのせいでリーナが不幸になってしまうではないか!
自分の側にいればエゼルバードが余計なことばかりを考える。リーナのためにならないと思ってクオンは遠ざけることにした。
だというのに、セブンがリーナに近づいた。
クオンはリーナがオペラを観て泣いている姿を思い出した。
許せない……許してはいけない!
クオンはリーナが平穏に暮らせるよう願っていた。
だというのに、邪魔をする者がいる。
……リーナは後宮の侍女見習いになる。予定通りに。
エゼルバード側が食いつくように、クオンは後宮雇用の特別枠については凍結するよう指摘せず、わざと残しておいた。
後宮は警備が厳重で男性の数も極端に少ない。出入できるのは許可がある者だけ。
後宮に入れておけば、リーナの身辺は王宮にいるよりもはるかに安全だとクオンは判断した。
クオンはもう一度考え始める。
眠るための時間は、邪魔者を遠ざける方法を考える時間になった。





