1156 会えていない
「おやすみなさいませ」
寝室から侍女全員が下がり、リーナは一人だけになった。
ようやく……。
リーナの側には常に誰かがいる。
それが王族妃や王宮生活における常識だ。
最初は慣れなかったが、段々と慣れて来た。
よくよく考えれば、両親と一緒に生活していた頃と同じ。
乳母や召使いや家庭教師が侍女や騎士になっただけだ。
夜、寝るためにベッドに入った時だけが一人の時間というのも同じ。
寒さをしのぐ部屋やふかふかのベッド、暖かい服があることを幸せに感じられるようになって良かったとリーナは思った。
そして、
今日は……大幸運の日。
ボスに会えた。
美少年が美青年になっていた。
……えーっと、七年ぶり、かも?
リーナは愕然とした。
後宮に就職したのは十六歳。すでに五年だ。
ボスはそれよりもずっと前に孤児院から姿を消していた。
「待って! 本当に?」
それでもボスだとわかった。
確信は持てなかったが、瞬間的にそう感じた。
「ボスは……私のこと、どう思ったの?」
ボスが美少年から美青年に成長したように、リーナも子供から成人女性に成長した。
リーナとしては相変わらず平凡な見た目だと思うが、身長は随分伸びた。
ガリガリに細かった体も健康的になった。
「あれ?」
リーナはおかしいと思った。
ボスは特別過ぎるほどの存在だ。何年経ってもわかる。
大人っぽい姿をしていた時もあっただけに、なんとなく予想範囲内だ。
しかし、リーナは違う。相当見た目が変わった。
リリーやロビンと再会した時も、すぐに気づいて貰えなかった。
「王宮で見たって……」
避難訓練の際、リーナは一般エリアを通った。
その際、ヴェリオール大公妃の姿を見た。
それはわかる。
だが、ヴェリオール大公妃が孤児院にいたリーナだとわかったのだろうかという疑問が沸いた。
ロビンやリリーも通ったが、リーナの側にいたわけではなかった。
「もしかして……ボスは私のことがわかっていないかも?」
クオンはボスがリーナに会いに来たと言っていたが、それはヴェリオール大公妃のリーナであって、孤児院にいたリーナではない。
恐らくは。
「そ、そんな……」
ボスとの再会に浮かれていたリーナは一気に落胆した。
ロビンのおかげで、アスター・デュシエルはボスだとわかっている。
会いたい。そして、伝えたい。
ヴェリオール大公妃のリーナは孤児院にいた曇り色の瞳を持つリーナだと。
「でも、待って。それで……どうするの?」
挨拶するだけかもしれない。
さすがのボスも驚くかもしれないが、そうかで終わりかもしれない。
「でもでも、ヴェリオール大公妃ですよ? 凄くないですか? 大出世というか大幸運というか?」
そう思った瞬間、リーナは思い出した。
ボスにとって身分は関係ない。
ボスを欲しがる者が大勢いたこともまたリーナは思い出した。
「もしかして、公爵家の養子になったとか?」
公爵家の女性と結婚したのかもしれない。
その辺の事情はわからないが、ボスならあり得る。何でも。
そして、デュシエル公爵家はヴェリオール大公妃のことをよく思っていない。
つまり、リーナを嫌いな貴族だ。
ボスはデュシエル公爵家の一員。ヴェリオール大公妃が嫌いかもしれない。
好きになる理由も――ない。
リーナを見て笑ったのは、こんな者が王太子の妻なのかと思ったせいかもしれない。
……ロビンとリリーを呼んだせいだったのかも?
二人に会えると思って喜んだ可能性もある。
「あああああああ……」
リーナとしては寂しい。悲しくもある。非常に。
「私です! リーナですよ! ボス!」
やっぱり会いたい。伝えたい。自分のことを。
後宮に就職したこと。色々あったこと、頑張って来たこと。
クオンという素敵な男性と結婚できたことも全部話したい。
だが、アスター・デュシエルは警戒対象者。
会いたいと言っても、クオンが許可を出すとは思えなかった。
「駄目です。終わってます。そんな………」
リーナは泣きたくなった。
すると、本当に涙が流れ落ちた。
「ボス……」
会えたのに、会えていない。
そもそも、なぜボスがアスター・デュシエルと名乗り、ザーグハルド皇女バーベルナの側にいるのかもわからない。
護衛の仕事をしているのかもしれないが、確証はない。
リーナにとってボスは誰よりも特別な存在だった。
孤児になって呆然としていたリーナを励ましてくれたのも、支えてくれたのも、頑張ろうと思わせてくれたのもボスだった。
ボスは私を救ってくれた人……。
恩人。救世主。神のような存在だ。
そのボスに会えて嬉しいからこそ、リーナは悲しくもなった。
押し寄せる寂しさが涙を溢れさせていく。
「ボス……ボスに会いたい……」
孤児だった頃のように、毛布をかぶりながらリーナは泣いた。
やがて、小さな音が聞こえた。
リーナは身構えた。
就寝時間後、寝室に来るのは一人しかない。
「クオン様?」
おそるおそる毛布をリーナは退けた。
だが、誰もいない。
ドアも開いていない。
お、お化け……?
リーナは怖くなった。自然と体が震え、その心に不安が押し寄せた。
子供だった頃のように。
すると、ドアが開いた。
「寝ていないのか?」
クオンだった。
リーナは安堵の息をついた。
「まだ早いので寝付けなくて。クオン様は……眠いのですか?」
クオンは執務をしてから寝るため、寝室に来る時間は遅い。
リーナが眠ってしまった後が多かった。
「色々あったからな」
クオンはそう言いながらベッドのそばまで来ると、着ていたガウンを脱いだ。
「寒くないですか?」
「寒いのか?」
どちらかというと寂しいとリーナは思ったが、言葉にはしなかった。
「大丈夫です」
「温めてやるが?」
毛布の中に潜り込んで来たクオンにリーナは抱きついた。
「珍しいな?」
リーナから抱きつくのは。
「クオン様が温かいからです」
泣いていた顔を見られたくないせいでもあった。
「どうした?」
クオンは何かありそうだと感じた。
「私は夫だ。何でも言って欲しい」
「ありがとうございます。でも、大丈夫です」
「そうか。では、聞いてもいいか?」
「何でも」
「ボスに会ってどうだった?」
クオンはボスのことをリーナに聞きたかった。
そのために執務を早く切り上げ、リーナが眠ってしまう前に寝室に来た。
「夕食の時はあまり話せなかった」
夕食時は給仕がいる。
クオンもリーナもバーベルナとその同行者アスター・デュシエルのことを話題にしたが、アスターがボスだということを前提にした話は一切しなかった。
「嬉しかったです」
リーナは正直に答えた。





