1153 手合わせ
「すみません!」
伝令としてパスカルの執務室に急行したロビンは深々と頭を下げた。
「僕のせいで大変なことになってしまいました! お叱りは後で受けます。王太子殿下がユーウェイン様をお呼びです!」
「簡潔に状況の説明をして欲しい」
そう言ったのはパスカル。
「リーナ様にザーグハルド皇女が会いに来ました。同行者が二人だったので、僕とリリーが部屋に控えるよう指示されました」
ロビンとリリーが?
パスカルとユーウェインは指示の内容が気になった。
通常であれば侍女長や護衛騎士が控える。
そうでないのはリーナ自身の指示ということだ。
「王太子殿下が来ました。護衛の話になり、皇女に同行した者の実力を確かめることになりました」
皇女の同行者は双剣術を使う。
通常の騎士では相手をしにくい。
ヘンデルがロビンを指名したが、絶対に勝てないと感じてユーウェインの名を出したことをロビンは説明した。
「すみません! でも、ユーウェイン様は剣も短剣も凄腕なので、大丈夫かもしれないと思って!」
「王太子殿下が呼んでいるなら行かないとだね」
ユーウェインは仕分け中の書類を未整理の山に戻した。
「私の代わりに護衛する騎士が必要です。ロビン、交代できますか?」
現在、パスカルの護衛はユーウェインだけだった。
「僕も戻らないとですので、別の者を呼びに行きます」
「いや、一緒に行くよ。双剣術の使い手が気になるしね」
「わかりました」
「本当にすみません!」
三人はヴェリオール大公妃の応接間へと急いだ。
手合わせは第一王子騎士団の訓練室で行われることになった。
部外者を王族エリアの奥へ入れるわけにはいかないため、王太子専用の訓練室を使用することはできないと判断された。
そして、
「ぜひ、僕に。双剣術は専門です。ユーウェインは違います」
アスターを見たパスカルが申し出た。
僕。つまり、個人的な要望。
やる気に満ちていた。
「ぜひ、私に。護衛同士で手合わせをするのが筋かと」
ユーウェインも申し出た。
嫌な予感がした。
パスカルが申し出たのを見て、アスターが浮かべた笑みに強い警戒心が沸き上がったせいでもある。
どちらの希望を優先するかはクオンの判断次第。
「王太子殿下、お願いします! ぜひ、僕に手合わせの機会を! 双剣術の使い手は滅多にいません!」
駄目押しの一言。
「……わかった。パスカルにしよう」
アスターと手合わせをするのはパスカルに決まった。
双剣術による手合わせ。
対戦式。
使用するのは訓練用の木刀。
パスカルもアスターも同じものを二本ずつ受け取った。
「不味いです。非常に不味いです……」
リーナの気持ちは言葉になって漏れ出た。
「危ないことはやめて欲しいのに」
リーナは対戦自体に反対したが、バーベルナの護衛を務める人員としての適性を見るため。
対戦といっても時間制限は短く、勝敗も関係ない。
ただ、相応の技能があることを示せばいいだけ。
問題はないとクオンが判断した。
「お兄様、絶対に無理はしないでください。怪我をしたら大変です。絶対に絶対に気をつけてください!」
「心配してくれるなんて嬉しいな。気を付けるよ」
リーナの応援もパスカルの答えも普通に見ればおかしくない。
だが、ヘンデルはおかしいと感じた。
特にパスカルの方が。
やけに気合が入っている。警戒もしている。
アスターとは初対面のはずだというのに。
「クオン」
「後で聞く。開始しろ!」
手合わせが始まった。
だが、どちらもすぐに動くことはない。
構えてはいるが、構え方が違った。
パスカルは中段。
どのような攻撃にも対処しやすいことを意図しての選択なのは間違いない。
アスターは下段。
下方の攻撃を抑制し、できるだけ上の方の攻撃を呼び込むことで対応しやすくするという選択。
「どうしようか?」
先に声をかけたのはパスカル。
「どうぞ遠慮なく」
微笑みながらアスターが答えた。
攻撃を促す言葉だ。
「顔はやめるよ」
ただの手合わせゆえに危険部位を狙うことはない。当然、顔も狙わない。
暗黙の了解だが、確認ということで言葉にする時もある。
しかし、パスカルの言い方はどう考えても挑発だった。
パスカルは攻撃を仕掛けるために前へ出た。
素早く間合いを詰め、木刀を繰り出す。
アスターはそれを受け流した。
打ち合いが始まった。
双剣術は二本の剣を使用する戦法だけに、左右交互による連続攻撃が主流。
上級者ほど剣さばきが速くもなる。
木刀の合わせる音が響き渡り続けた。
「速いなあ」
どちらも負けていないとヘンデルは思った。
ただの手合わせならそれでいい。
だが、パスカルはやる気を見せていただけに、勝ちにいくだろうとヘンデルは睨んでいた。
やがて、音が変わった。
打ち合う場所や速さが変化したことを意味していた。
アスターが下がった。
「不味い」
呟いたのはロビン。
ユーウェインは聞き逃さなかった。
「何がです?」
「……なんとなく?」
ロビンの予想は当たった。
パスカルの攻撃によってアスターが押されていく。
互角に思えた打ち合いが変化し、アスターの防戦へと傾いた。
パスカルは攻め時と感じ、激しい攻撃を仕掛けた。
強い攻撃に耐えきれなかったのか、アスターの持つ木刀が揺れた。
それを見逃すパスカルではない。すかさず追撃を入れる。
アスターは後方にのけぞるようにして避けた。
体勢を戻す際にも容赦なく攻撃をするのは当然のこと。
アスターはしのいでいたが、完全に押されていた。
パスカルの攻撃に耐えながらも、じりじりと後退していく。
「ああ……」
ロビンは頭を抱えた。
「不味い!」
「どちらの味方ですか?」
ユーウェインにはロビンの言動がアスターの味方をしているように感じた。
「ああっ!」
ロビンが叫んだ。
その瞬間、アスターはまたしてもパスカルの攻撃を後ろにのけぞるようにして避けていた。
先ほどと同じ。
その後、体勢を戻しにいく。
それもまた先ほどと同じ――ではなかった。
前へ出ている。
パスカルは驚愕した。
普通はあり得ない。
その場で堪えても元の位置に戻るだけのはずだった。
突破された!
双剣は攻守のラインが同じになる。
その中へ入られるのは自身の勝利が遠のくに等しい。
アスターが持つのは木刀だが、パスカルは咄嗟の判断で短剣使いへの対応と同じように動いた。
激しい音を立てて木刀が合わさった。
ギリギリと音を立てる。
パスカルの目の前には木刀。そして、アスターの顔が迫っていた。
「ぬるい」
アスターによる挑発。
パスカルの挑発に対する返しだ。
「遊びですか?」
遊ぶようなことはしていない……。
なぜなら、ボスだから。
パスカルはアスターが誰かをわかっていた。
変装していた時ではあるが、顔を見た。
正反対の性別。装いも違う。
それでも目の色や形は変えられない。挑発的な笑みも同じだった。
パスカルは全力で勝利を掴みにいった。
しかし、アスターはパスカルの攻撃をしのいだ。
簡単には勝てない相手だとパスカルは実感していたが、ぬるいと言われるほどとは思わなかった。
自分の攻撃は甘くなかったはずだと。
木刀が離れる。
次の音が響くのは早かった。
アスターが攻撃に転じた。
パスカルはアスターの攻撃に合わせるが、木刀を動かすのがやっとだった。
次々と繰り出される連続攻撃はパスカルが攻撃を仕掛けた時よりも圧倒的に速かった。
その理由は距離にある。
剣の間合いではない。短剣の間合いだ。
そして、アスターの攻撃は木刀の下部を使っていた。
それについていくには、パスカルも木刀の下の方を当てるしかない。
二人が持っているのは木刀だったが、剣を交えるというよりは、木刀を合わせることで音を鳴らしているようなものだった。
……遊ばれているのか?
パスカルの表情が歪んだ。
攻撃は重くないが、とにかく速い。止まらない。
パスカルの得意とするのは双剣であって、二刀流の短剣ではなかった。
手にしているのは双剣だというのに、その戦い方を完全に封じられてしまっていた。
自分の武器が双剣、相手が短剣という想定で訓練したことはあるが、いかにして間合いを詰められないかが重要だった。
今は間合いを詰められている。しのぐしかない。
勿論、パスカルはしのぐ訓練もしているが、目前にいる使い手の技能が普通をはるかに超えていた。
木刀が再び合わさった。
力強く。二本と二本。
「顔はやめます」
アスターは鋭い視線をパスカルに向けながら言った。
「本気も。手合わせなので」
妖艶な笑みが浮かぶ。
パスカルは後悔した。
軽率な言葉だったと思うしかない。
木刀が離れた。
ただただ遠くへ。
アスターが一気に下がったのだ。
パスカルに視線を向けたまま片足かつ連続で下がる身のこなし方はロビンと似て非なるもの。
はるかに上だ。
どのタイミングで突如前進するかを警戒していたパスカルは追わなかった。
本心を言えば、離れて欲しかった。
アスターはすぐに詰めることができない距離まで下がると片膝をついた。
「申し訳ございません。時間です」
誰もがハッとした。
二人の勝負に夢中になるあまり、制限時間を考えていなかった。
クオンは腕時計を確認する。
確かに時間だった。
アスターは戦いながら、体感で時間を把握できることも示した。
「凄いわ、アスター!!!」
バーベルナの高揚した気分が賞賛の言葉になった。
「これほど剣が使えるなんて知らなかったわ!」
「恐れ入ります。ですが、さすがはレーベルオード子爵です。勝てませんでした」
「ただの手合わせだもの。勝負をつける必要はないわ」
バーベルナはそう言いつつも、パスカルへと視線を向けた。
「制限時間がなければ勝てそうだったけれど」
後半は攻撃するアスターが優勢に見えた。
双剣術を知らない者でも、見た目でそう感じる。
判定で勝負をつけるなら、引き分けかアスターの勝ち。
どう転んでも、パスカルの勝利という判定は選択肢になかった。
「凄かった……そうとしか言えないよ」
パスカルはにっこりと微笑んだ。
「またいつか手合わせできると嬉しい」
「その機会はないかと」
アスターは否定するように答えた。
「身分も立場も違います。私が剣を向けるべき相手でもありません」
それはどういう意味なのか。
深く考えてしまうからこそ、パスカルは次の言葉を言えなくなった。
「これでわかったでしょう? 私の護衛は大丈夫よ、気にしないで」
クオンはため息をついた。
アスターの技能は護衛として十分。
それについては反論の余地がなかった。
「護衛がいれば何をしてもいいということではないからな?」
「わかっているわよ」
「本当かなあ?」
ヘンデルが疑うような視線を向けた。
「私は皇女なのよ? ヘンデルは貴族でしょう? そろそろ無礼って言ってもいいかしら?」
「本音が出てきた」
「いつでも出せるのよ?」
「やめろ。王宮で騒ぐ気か?」
クオンが間に入ることで、その場は収められた。
ユーウェインとアスターの対戦を楽しみにしていた方、ごめんなさい!





