115 相手役
「どういうことですか?」
呼び出されたセブンが執務室に入ると、厳しい表情をしたエゼルバードに質問された。
「何の件だ?」
「リリーナの件だ」
ロジャーの表情も口調も厳しかった。
「オペラでボックス席に連れて行き、そのあとでバラの花を贈った」
「将来のことを考え家族に紹介した。好意を伝えるためにバラの花を贈った」
「ダメだと言ったではありませんか!」
エゼルバードが不機嫌さをあらわにしながら叫んだ。
「私はウェストランドの跡継ぎだ。いずれは婚姻しなければならない以上、相手を探すのはおかしくない」
「リリーナを貴族にしたのはセブンのためではありません!」
「ロジャーをリリーナの相手役に抜擢したのは失敗だ。妻にするかどうかを検討している設定だというのに、ロジャーは別の男性がエスコートするのを簡単に許した」
しかも、はるかに身分が低い相手だった。
王太子側がその点を見逃すわけがないとセブンは指摘した。
「ただの誘いではない。案内役付きの招待だ。後ろに王太子がいる」
「関係ない。断れた。当日になって体調不良になったと伝えればいい」
「別の日に招待されるかもしれない」
「何度も誘ってくるかを確認すれば良かった。王太子の興味がどの程度かもわかる」
エゼルバードの苛立ちはより強くなった。
その理由はセブンの言う通りだと思ったからに他ならない。
「ロジャーがもっとうまく対応しないからです!」
「私は役者ではない。エゼルバードが決めた配役だ」
ロジャーは自分に責任はないと考えていた。
「私が相手役を務める。妻にするかも本当に考える」
セブンが申し出た。
「ダメです!」
「ダメだ!」
エゼルバードとロジャーは即座に反対した。
「なぜだ? エゼルバードが寵愛する女性ではない。王太子も違うと言っている」
「兄上は配慮するよう言われました。注文をつける程度には関心があるということです」
これまで兄がそういったことを口にすることはなかった。
だからこそ、エゼルバードは気になっていた。
「いかに社交をしない兄上であっても、死神の噂は知っています」
「抗議される。セブンの方ではなくエゼルバードの方に伝えてくる」
「ロジャーの嘘が明らかになれば、王太子やその周囲の信用は地に堕ちる。第二王子付き首席補佐官だというのにそれでもいいのか?」
「よくないに決まっている」
きっぱりとロジャーは答えた。
「リリーナは後宮で働かせる。そのあとの面倒はみない」
妻にするかどうかを検討してみたが、本人にその気がない。無理強いするつもりもない。総合的な判断として不合格になった。
それで説明がつくとロジャーは考えていた。
「それでいい。私が面倒をみる」
「リリーナに不幸なことが起きたらどうするのです? 死ぬようなことがあっては困ります!」
「王太子の反応次第だ。特別な興味がないことがわかれば、エゼルバードの興味もなくなる」
「他のことに利用するかもしれません」
「後宮で働いている間に考えればいい。リリーナにバラの花を贈ったのは、私を意識させるためだ。ロジャーの友人の一人というだけでいい」
「友人の一人?」
「顔見知り程度でいいのか?」
エゼルバードもロジャーも怪訝な顔をした。
「今は婚姻相手として検討中というだけだ。すぐに交際や結婚を申し込むつもりはない。私のことを聞いた王太子は考え、何かしらの手を打って来るだろう。パスカルと話をしただけに、パスカルが動くかもしれない」
「パスカルと話したのですか?」
「セシル・ベルフォードがパスカルに助けを求めた。パスカルはリリーナを奪い返すため、黒のボックスまで乗り込んで来た」
王立歌劇場のボックス席は所有者の領域。
よほどのことがなければ様子を見るはずだというのに、パスカルは迷わずボックスの中に入ってきた。
それはセブンのしたことに対し、パスカルが明確に拒否したということ。
「リリーナを妻にすることを検討中だと伝えると、かなり動揺していた。パスカル自身に何かあるのか、王太子のためなのかも注視しなければならない」
「セブンの方がよほど役立ちます。ロジャーよりもね」
ロジャーは顔をしかめた。
「ヘンデルがライバルなのかについても確認したが、知らないと言われた。牽制しておいた」
「そうですか」
「王太子の反応を確認するのにわたしほど適した相手役はいない。エゼルバードたちは静観していればいいだろう」
「わかりました。セブンの手並みを拝見しましょう」
エゼルバードは決めた。
「ですが、一つだけ言っておきます。兄上の方が優先です。兄上が本気で欲しがった場合は諦めなさい」
「わかった」
セブンはすぐに頷いた。
「了承するのはいいことですが、本当に好意があるのですか?」
「エゼルバードや私のために無理をする必要はないが?」
「リリーナのことは本気で検討する。結果がどうなるかはまだわからない」
「結果次第ですね」
「まあ、適当に検討するよりは本気で検討した方がいいだろう」
エゼルバードとロジャーは友人としてセブンを信じることにした。
そのあと、セブンは王太子の執務室に呼ばれた。
王太子の椅子は空席。
セブンは無表情のまま、その視線をヘンデルに移した。
「王太子は?」
「呼んだのは俺だよ」
ヘンデルはニヤリと笑った。
「用件は何だ?」
「パスカルから聞いたよ。リーナちゃんを狙うって宣言したんだって?」
「リリーナ・エーメル嬢に赤いバラを一本贈ったそうですね?」
セブンが花を贈ったことを、パスカルはすでに知っていた。
「どこで聞いた?」
「教えるわけがありません」
「セブンのために言う。リーナちゃんはやめときなよ? 絶対不味いから」
「王太子のせいか?」
「周囲の不興を買うのは得策じゃない」
「第二王子とロジャーにも伝えた。最初は止められたが、私が本気と知って理解を示した」
ヘンデルは驚いた。
第二王子は王太子からリーナに配慮するよう言われている。
セブンが近づく許可を出すことはないと思っていた。
「マジで惚れたってこと?」
「気になっているのは本当だ」
「いつから?」
「王立歌劇場だ。清楚な白いドレスを着た女性を遠目に見た。誰なのか調べさせると、リリーナ・エーメルだった」
「偶然見初めたってこと?」
「リリーナ・エーメルの名前や情報は知っていたが、本人に会ったことはなかった。あの女性がリリーナ・エーメルなのかと思った」
「へえ?」
「ノースランド公爵家に用事があって行った時にも会った。近くから見ると、余計に好ましく感じた。だが、リリーナは社交界にデビューしていない。身分も低い。王宮や社交の場で顔を合わせることもないだけに、機会がありそうなら家族に紹介しようと思った」
「容赦なく奪っていったと聞いたよ」
リーナのエスコート役はセシル。
そのことを知っているにもかかわらず、黒のボックス席にリリーナだけを連れていくのは強引に奪ったとしかいいようがなかった。
「セシル・ベルフォードは広報官、ただの案内役でしかない。リリーナは黒のボックスで楽しそうに笑っていた」
「自分がどこにいるか知らないからに決まっているじゃん」
「私の名前は知っている。ノースランド公爵邸で会った時にウェストランドだと伝えた。勉強中なら必ず耳にする名称だ」
エルグラードの歴史は古エルグラード王国が西の国と併合したことで大きな転換期を迎える。
西の国の王家が臣籍降下してウェストランドになったことを知らない貴族はいない。
「家族の反応も悪くなかった」
「妹は違うよね?」
「関係ない。当主や跡継ぎがどう思うかだ」
正論だった。
「互いに知り合ったばかりだ。知らないことが多くある。まずはロジャーの友人の一人として、名前と顔を覚えて貰えるだけでいい」
「それだけ? 本気って言ったくせに?」
「本気だからこそ、時間をかける。ウェストランドが徹底的に素性調査をする時間も必要だ」
「ああ、まあ、調査する時間は必要だろうね」
「調査がどの程度かかるのかわからない。その間に私もじっくりと検討するが、期間が長いとリリーナが私のことを忘れてしまうかもしれない。そこでバラの花を贈った。女性が好きな花としては定番だ。問題ない」
「大あり」
ヘンデルは即答した。
「リーナちゃんはすごく良い子だ。死神にうろつかれたら困る」
「その呼称は不本意だ。抗議する」
「セブンの噂を知ったら怖がるよ。親しくなろうなんて思わない」
「すぐに親しくなれるとは思っていない。だが、リリーナは誠実だ。誰かが無責任に流した悪い噂によって私が迷惑していることを知れば理解してくれる」
「クローディアとの噂もあるじゃん?」
「クローディアをエスコートするのは、第二王子の命令だ。命令に従っているに過ぎない」
「恋人が死んでもすぐに次の恋人を作るような男性だよ。リーナちゃんはよく思わない」
「エゼルバードに近づけないためだった。恋人になれば、第二王子に近寄るなと言う資格ができる」
エゼルバードに想いを寄せる女性は多くいる。
役に立つ女性であればいいが、邪魔な女性は必要ない。
一番面倒なのは役に立つ女性から邪魔な女性になった時で、エゼルバードから遠ざけるために友人たちでその方法を話し合った。
その結果、誰かが恋人役を務め、エゼルバードに近づかないよう管理することになったことをセブンは説明した。
「一定期間だけでいいと言われた。適当な理由をつけて別れるはずが、女性自身やその実家の安全対策が不十分なせいで命を失った者もいた。それを私やウェストランドのせいにするのはおかしい。迷惑だ」
有力な貴族の関係者は目をつけられる。
ことによっては命の危険にかかわるようなこともありえる。
交際を受け入れた女性やその家族は安全対策に気を使うべきだったが、それを怠った。
自業自得というのがセブンの考えだった。
「はっきり言うねえ」
ヘンデルは苦笑した。
「リーナちゃんをこんな冷たい男に任せるのは不味いって思っちゃうなあ」
「ならば、王太子が引き取るか? それともヘンデルか? パスカルか?」
「セブンよりはいいよね」
「ヘンデルの女性関係は派手だ」
「本当に大事な女性はちゃんと扱うよ?」
「私も同じだ。だからこそ、時間をかける。互いの気持ちが通じ合うようにしたい。一方的な愛も政略結婚もうまくはいかない」
セブンの身近にその例があった。
「祖父母や両親のようになりたくない。リリーナが私ではない者を伴侶に選ぶのであればそれでいい。私は身を引くつもりだ。エゼルバードにも約束した」
「そうなんだ?」
「但し、私にもプライドがある。相応の相手でなければ許さない。リリーナが選んだ者がろくでなしで、不幸になるのが目に見えているような相手であれば論外だ。本気でリリーナを幸せにする気がある者、そのための努力を惜しまない者でなければならない。それが最低条件だ」
「セブンとこんな話をすることになるとは思わなかったなあ」
ヘンデルはため息をついた。
「でも、俺が直接警告したことについてもちゃんと考えてよ」
「考えるとは答えておく」
「じゃあ、話は終わり」
セブンは空いている王太子の椅子を見てから部屋を退出した。





