1144 化粧室で
今回の視察にリーナ付きの侍女としてリリーが同行していた。
リーナは王族付きの侍女に見えるような服装にしたが、そのリーナに年上の侍女が付き添うのはおかしく見える。
だが、リリーであれば同年齢の侍女同士で行動しているように見える。
リリーが孤児院出身で事情を理解しやすく、リーナも安心できる相手だということも考慮されていた。
「びっくりしました!」
化粧室に行くとリーナはリリーに話しかけた。
「全然違いますね!」
「私もそう思いました!」
同僚に見えるよう付き添っていたリリーも、自分達がいた孤児院との違いに驚愕していた。
「ここはエルグラードで一番の孤児院だと思います!」
「そうだと思います!」
二人は誰もいないことをいいことに、遠慮なく感想を言い合った。
「ここに入った子供達は幸運だと思います!」
「中等教育を受けられるなんて凄いですよね!」
「職業訓練も受けられます。礼儀作法まで教えて貰えるし、就職先もすぐに見つかりそうですよね」
「そうですね。住み込みの仕事を探すのは大変ですから」
孤児は自分で住む場所を確保しなければならない。
孤児院を出た後は住む場所もお金もないため、住み込みの仕事をしながらお金を稼ぐのが二人の知る常識だった。
「でも、廊下の飾りはちょっとやりすぎです」
リーナは廊下に飾られたトロフィーのことが気になっていた。
「トロフィーですよね?」
すぐ側にいたリリーも同じだった。
「王妃様は驚いていましたけれど、凄いという意味ですよね? おかしいとか怪しいではなく」
「見た目で誤魔化そうとしていることに、気づいてなさそうです」
「リリーもそう思いましたか」
「元孤児ですから!」
「私だって同じです!」
コン。
小さな音が聞こえ、リーナとリリーは瞬時に身構えた。
「今、音がしましたよね?」
リーナはリリーに囁いた。
「ねずみでしょうか?」
こんな立派な孤児院にいるわけが!
そう思ったリリーはすぐにリーナの手を引いてドアの方へと向かった。
「すぐに来て!」
ドアを開けたリリーは廊下に待機していたロビンを呼んだ。
「問題が?」
鋭い視線と口調で尋ねたのはユーウェイン。
今回の視察ではヴェリオール大公妃がいることがわからないよう第一王子騎士団の護衛は最低限。
顔がよく知られていないだろうということでユーウェインとロビンが選ばれていた。
「音がしました! たぶんですが、掃除道具入れです」
「ねずみ?」
ロビンの反応はリーナと同じ。
「やっぱりそう思います?」
「違います! 絶対!」
リリーはねずみではないと思った。
「掃除道具入れは小さめだったから」
三人が話している内に、ユーウェインは化粧室の中へと入った。
待合室のようにソファがあり、化粧直しに使用するカウンターや鏡もある。
掃除道具入れは目立たないよう壁際にあった。
「掃除道具入れの中にいる者に警告します。五秒以内に出て来なさい。さもなければ、不審者として処刑します」
怖い!
ユーウェインの冷淡な口調に、リーナとリリーだけでなくロビンもそう思った。
掃除道具入れの中にいた者にとっても同じ。
すぐにドアが開き、小柄な少女が出て来た。
「ごめんなさい」
洋服は孤児が着用している制服。
どう見てもこの孤児院にいる孤児だった。
「なぜここに?」
ユーウェインは警戒しながら尋ねた。
「急にお腹が痛くなって、一番近い化粧室を使っていました。誰かが来たみたいだったので、慌てて掃除道具入れの中に隠れました。ここは特別な化粧室なので、使っていたことがわかると怒られると思いました」
「嘘です」
ユーウェインは断言した。
「女性達が入る前、ドアを静かに開け、中の様子を伺いました。慌てて隠れたのであればわかります。ずっと隠れていましたね?」
少女はうなだれた。
「ごめんなさい。孤児院の評価が気になって」
「盗み聞きするよう指示を受けたのですか?」
「孤児院は関係ありません!」
少女は必死で孤児院のせいではないと言い張った。
だが、質問に答えるのがあまりにも早く、流暢だった。
発見されてしまった場合に備え、答えを用意していたとしか思えなかった。
「孤児院の指示を受けて情報収集をしていたのであればわかります。ですが、外部の者に指示されているとなれば大問題です。正直に話せば見逃すこともできますが?」
「孤児院の指示です! 外部の者ではありません!」
孤児院としては視察に来た者がどんなことを考えているのか知りたい。
上辺ではともかく本音はわからないため、化粧室で話を盗み聞きする役目を少女に与えたことがわかった。
「ここは素晴らしい孤児院だと言われています。凄いとか立派だという話をしているはずです。それを聞きたかっただけです」
「だそうです。こちらでどのような話をされたのでしょうか? 私に言う必要はありませんが、守秘義務に関係することだと困ります。個人的なことを話していませんか?」
リーナとリリーは顔を見合わせた。
「ええっと……」
「普通のことしか話していないと思います」
リリーはすぐに答えた。
「孤児院は凄いという話だけでした」
「本当ですか?」
ユーウェインに見つめられ、リーナもコクコクと頷いた。
「はい! そうです! 身分とか名前」
リーナはハッとした。
「ああ、言ってしまいました……リリーって」
はっきり言ってしまった。今まさに。
「出自のことも少しだけ」
「待ってください。メモ用紙はありますか?」
出自という言葉にユーウェインはすぐさま反応した。
「あります!」
リーナとリリーはポケットからメモ用紙を取り出した。
「気になる発言があったのであれば、口にするのではなく書いてください。それを見て判断します」
リーナとリリーは思い出しながら気になる発言を書き、ユーウェインに見せた。
二人が気になった発言内容は三つ。
リリー。元孤児。私も同じ。
メモの内容を確認したユーウェインは眉をひそめた。
「念のため、この女性を馬車へ連れて行きなさい。同行している医者に診て貰います」
要確保と判断されたということだった。
「わかりました」
ロビンは緊張した面持ちで答えると、少女に近づいた。
「僕と一緒に特別な馬車へ行こう。お腹が痛いと言っていたよね?」
「嘘です。本当は痛くありません」
「それは良かった。でも、少しだけ調べることがある。すぐに終わるから、怖がらなくて大丈夫だよ」
少女を安心させようと思い、ロビンは優しく話しかけた。
「すぐに終わるって、さっさと殺すってこと?」
「まさか! 違うよ!」
ロビンは驚いた。
「そうじゃない。ここにいない者に調べて貰うだけだ」
「調べるって、体とか? お医者様だし?」
「えーっと」
「話の方です」
ユーウェインが教えた。
「ここで聞いたことを確認します。急病者として医者が待機している馬車の方へ行き、そこで質問をして再度判断します。特に問題ないことを確認できればすぐに解放されます。わかりましたか?」
「問題があったら牢屋ですか?」
ユーウェインは答えない。
少女は恐怖を感じて青ざめた。
「ごめんなさい!」
リーナはすぐに少女のところへとかけつけた。
「絶対に大丈夫です。牢屋になんか入れません!」
「そうです! 大丈夫です!」
リリーも少女に駆け寄った。
「本当にごめんなさい! 私のせいで!」
「いいえ、私のせいです! 気が緩んでいました!」
「連れていきなさい」
ユーウェインが冷たい口調でロビンに命じた。
「すみません。連れていくので」
「丁寧にお願いします。悪いことはしていません。私が悪かったのです!」
リーナは必死だった。
「こんなに凄い孤児院にいることができるなんて幸せです! なのに、私のせいでここにいられなくなったら大変です!」
「そうです! 孤児にとってどんな孤児院にいるかで人生が変わります!」
二人の言う通りだと思ったロビンは表情を曇らせた。
「落ち着いて欲しい。大したことは言っていないと思う。この子はここで暮らせるよ」
「あの」
少女は恐る恐る声を出した。
「別の孤児院に入れて貰えませんか?」
誰もが驚くような発言だった。
「どうしてですか?」
「ここ以上に立派な孤児院はないと思うけれど?」
「もしかして、いじめられている?」
リーナ、リリー、ロビンが質問した。
「ここは立派な孤児院じゃありません」
少女は勇気を振り絞るように口にした。
「全部、見せかけだけです」
孤児院にいた三人はすぐに少女の言葉が意味するものを察した。
「視察が来る時だけちゃんとしているのですね?」
「普段は酷い待遇ってこと?」
「ちゃんと授業をしていないとか?」
「そうです。補助金が欲しいから、凄いことをしているように見せているだけです」
見た目は綺麗で立派で何もかも揃っているように見えるが、実際にはそうではないことを少女は話した。
孤児は常に蔑まれ、暴言と暴力で支配されている。
孤児はエリートとそうでない者で区別される。
エリートの孤児は良い生活を送れるが、他の孤児の待遇は悪い。
誰もがエリート孤児になりたがるよう、あえて待遇差を大きくしていることも説明された。
「教室は大きくても、中等教育を受けれる者はわずかです。職業訓練も。豪華な食事の者もいれば、食事抜きの者もいます。職員には絶対服従で、失敗したり反抗したりすると体罰です。それが伝統だって。怖い職員や体罰がない孤児院に入りたいです」
少女は泣きそうな顔で訴えた。
「助けてください! 孤児はお金を集めるために利用されているだけです!」
リーナは愕然とした。
そして、自分のいた孤児院と同じだと感じた。
誰かが視察に来る時だけ、いかにもちゃんとやっているように思わせる。
大人の都合を一方的に押し付けられるだけの状況に孤児は耐えるしかない。
孤児院にいられるかどうかは、生きるか死ぬかの問題に直結するからだ。
「……食事を抜いたり体罰をするなんて酷いです! この孤児院は優良どころか問題があるのに隠しています!」
リーナはそう思った。
「ちゃんと調べて、問題を改善しないと駄目です!」
問題発生だとユーウェインは思った。
孤児院についてというよりは、ヴェリオール大公妃について。
「お願いします! でも、職員は狡賢い人ばかりです。孤児も協力させられます。そうでないと余計に酷い扱いを受けるとわかっているからです。こっそり調べないと、わからないかもしれません」
「証拠がないとですよね。騎士団の方で調べることはできますか?」
リーナはユーウェインに尋ねた。
「騎士団の管轄は王家や王宮関連。孤児院の内部の事情については管轄外です。通常的な事件は警備隊の管轄、あるいは孤児院を管轄する公的組織の担当ではないかと」
「それもそうですね……」
リーナは考え込んだ。
「現在は王妃の公務に同行中です。まずは予定通り視察を終えてください。対応はその後でしかるべき者と相談すべきかと」
その時、
「何をしているの? ここは女性用の化粧室でしょう?」
バーベルナがドアの側から睨んでいた。





