1120 気になって(二)
「おはようございます」
バーベルナが宿泊している部屋を訪れたリーナは驚いた。
「おはよう、リーナ」
「もしかして、ご迷惑でしたでしょうか?」
バーベルナは着替えていなかった。
厚手のガウンを着ているが、その下は寝間着だと思われるものが見えている。
靴も部屋履き。
くつろいでいる証拠かもしれないが、身支度がまだの状態とも言えた。
「迷惑ではないわ。様子を見に来てくれたのでしょう?」
「そうです。何かお困りのことがないかと思って」
「困っていることならあるわ。リーナに会うのに相応しいドレスがないのよ」
バーベルナは肩をすくめた。
「一般の観光客はドレスや宝飾品を山のように積んだ馬車で移動しないの」
クオンに面会するためのドレスは王都で急遽買い揃えたもので、それまでは一般人に見えるような旅装をしていた。
荷物も最低限。
「こんな姿で悪いわね。そのうちアデレードが適当なものを見繕って来ると思うわ」
「もしかして、後宮の購買部の方に行かれたのでしょうか?」
「まさか!」
バーベルナは冗談だと思って笑った。
「最高級品を扱う仕立屋かデパートよ。既製品になるのは仕方がないわね」
「外出されているのですね」
「そうなの。だから、護衛も一人しかいなくて。心細かったけれど、リーナが来てくれて良かったわ。一緒なら安心できるし」
「お役に立てて嬉しいです」
リーナは素直にそう思った。
「セイフリード様の成人式にご出席されますよね? 必要品は全てエルグラードで買い揃えるおつもりでしょうか?」
「そうよ。多くの荷物を持ってくるのは面倒だし、途中で犯罪者に狙われやすくなってしまうでしょう?」
バーベルナはそう言うと、リーナを上から下までじっくりと見つめた。
「素敵なドレスね。それが今の流行なの?」
「たぶんそうです」
リーナが答えると、バーベルナは眉を上げた。
「たぶんですって?」
「衣装は担当の者に任せているので」
「なんですって!」
バーベルナは驚きをあらわにした。
「自分で選ばないの?」
「そうです」
「どうして?」
「専門家に任せた方がいいと思って」
「駄目よ。あり得ないわ!」
バーベルナはわかっていないというように首を振った。
「リーナはヴェリオール大公妃なのよ? エルグラードの流行を作るのはリーナの役目だわ!」
女性は衣装や宝飾品に興味を持つ。
その流行を作るのは高貴な身分を持つ者の役目。
リーナは積極的に衣装や宝飾品を選び、それを公式行事や社交の場で披露することで流行を生み出し、自身の立場を固めて行くべきだとバーベルナは主張した。
「私も皇女として女性の衣装や宝飾品の流行を生み出すのが務めなの。興味がなくても、皇女であるからにはしなければならないことなのよ」
「そうでしたか。皇女は大変なのですね」
「ヴェリオール大公妃にも同じ務めがあるわ。王太子の妻でしょう?」
「私がそのような務めを果たす必要はありません」
リーナは公務を担うことになっているが、自分の好きなことや興味を持つことで構わないと言われている。
そこで慈善活動に関係することを公務に選んだことを伝えた。
「私は孤児院で育ったので、いずれは孤児院に関係するような支援をしていきたいと思っています。それに、エンジェリーナ様も流行についてのお話をされていました。エンジェリーナ様が流行を作っていると思うので大丈夫です!」
……夕食の時も思ったけれど、平凡な見た目以上に賢そうだわ。
王太子の妻は一人しかいないが、国王の妻は四人いる。
夫の生母である王妃は最悪の出自であるリーナをよく思っていないため、王妃と張り合う立場にある第一側妃エンジェリーナと手を組んでいるのだろうとバーベルナは考えた。
「第一側妃とは親しいの?」
「普通に親しいと思います」
「第二側妃は?」
「同じです」
「第三側妃は?」
「同じです」
「王妃は?」
リーナはすぐに答えられなかった。
「……普通だと思います」
嘘が下手ね!
バーベルナは微笑んだ。
「王妃は厳しい女性だから大変でしょう? 身分や出自のことを気にしていない?」
「気にしています。ですので、一生懸命勉強しないといけません」
わかってないわね。どれほど勉強しても駄目なのよ。生まれつき持っているかどうかだもの。
バーベルナはあわれむような視線をリーナへ向けた。
「リーナは学校にも行ってないのよね?」
「そうです」
「義務教育だけなのでしょう?」
「中学校卒業程度の資格はあります。試験を受けたので」
「ああ、飛び級テストね」
懐かしいとバーベルナは思った。
「まあ、あれは簡単だから」
「私には難しかったです。でも、なんとか合格できました」
「家庭教師がいたのでしょう?」
「そうです。過去の試験問題を沢山解いて、重要そうな部分を暗記しました」
「だったら楽勝だわ。満点でしょう?」
ヴェリオール大公妃であれば裏で試験内容を取り寄せることが可能なはずだ。
リーナ自身はわかっていなくても、周囲や家庭教師がなんとかして手に入れる。
それをさりげなく予想として教え込めば、合格はほぼ間違いなし。
それがバーベルナの予想だった。
「満点なんて絶対に無理です! でも、なんとかなったといいますか」
「時期的に婚姻した後よね?」
「そうです」
「ヴェリオール大公妃が落ちるわけがないわ」
「え?」
リーナは驚いた。
「身分は関係ありませんよね?」
「あるに決まっているでしょう?」
「でも」
受験の際には身分がわからないようにした。
あくまでも一般人と同じ。合格しても、ヴェリオール大公妃としての名前は載らない。
そもそも、中学校卒業程度の資格を得る試験を受けたことも合格したことも一部の者しか知らないということをリーナは思い出した。
「すみません。このことは秘密にしてください。試験を受けたのは実力を試すためで、公にはしていないのです」
「あら、そうなの?」
「はい。不合格だと王家に迷惑をかけてしまうかもしれないので、身分は隠して受験したのです。結果的には合格しましたが、だからといって発表されることもありません」
「そう」
本当に実力で合格したということ? そう思わせるためのアピール?
バーベルナは考え込んだ。
「でも、受けて良かったです。今からでも勉強すれば、試験に合格できることがわかりました。ただ、本当に優秀な方は高校や大学に入ります。本当に凄いです。あの試験よりももっと難しいことを学ばれるわけですから」
その通りだとバーベルナは思った。
バーベルナの留学は未成年の間だけ。成人するまでに結婚相手を探すことになっていた。
しかし、ザーグハルドに帰ってしまえば、皇女の務めを果たすだけの一生しか選択できない。
バーベルナは勉学に励んで飛び級試験を受け、未成年の内に大学へと入学した。
そうすれば大学を卒業するまでは留学できる。滞在期限を延ばせると考えた。
だというのに、中退させられてしまった。
「卒業したかったわ」
悔しさをたっぷりと含めたバーベルナの本音が漏れた。
「もう少しだったのに」
だが、大学の卒業には価値があるといって支援してくれた兄はいない。
シュテファンは多額の留学費用を削減したがっていた。
結局、無理だったのだとバーベルナは思った。
「学歴は誇れるものの一つです。卒業できなかったのはとても残念ですね」
「そうね。一生この思いは消えないわ。何もかも消えてしまった。私の人生で最も輝いていた時間が」
リーナはバーベルナの気持ちを理解できるような気がした。
学校に通った経験はないが、突然の喪失感を味わったことはある。
目覚めると、孤児院にいた。
両親も、幸せも、夢のように消えてしまった。
苦しくて悲しくて堪らない日々のことを、リーナは今もはっきりと覚えている。
思い出すと辛かった。
それでも。
「過去に戻ることはできません。でも、未来へ進むことはできます。人生で最も輝く未来を目指してみるのはどうでしょうか? 辿り着けるかどうかは自分の努力次第だと思います」
バーベルナは驚いた。
そして、リーナの中にある強さを感じた。
「それに、何もかも消えてしまったわけでもありません。だって、バーベルナ様はクオン様の友人ですよね? 学生時代を通じて築き上げた友情は今も残っています。学歴よりも友情の方が大切な気がします」
ああ……。
バーベルナの胸の中に込み上げた悔しさが和らいでいく。
それはリーナの言葉が正しいからであり、優しいからでもあった。
「その通りだわ。私の友人は本当に凄い者ばかりよ。学歴よりもずっと重要だわ!」
「ですよね」
リーナは笑みを浮かべた。
「バーベルナ様は優秀な方なので、きっと沢山の素晴らしい時間があります。人生で最も光り輝くのもこれからです!」
「そうね」
目指したいものも、手に入れたいものもある。
それが叶った時こそ、人生で最も光り輝けるだろうとバーベルナは思った。
「でも、今日は着替えもないし退屈しそうだわ。この部屋で楽しめそうなことはないかしら?」
リーナはキョロキョロとバーベルナの部屋を見回した。
「取りあえず、この部屋の解説を聞くというのはどうですか?」
「部屋の解説? 設備については昨日聞いたけれど?」
「この部屋はミレニアスのキフェラ王女が滞在していた部屋です。他の側妃候補よりも良い部屋です」
「そうなの?」
初めて聞く情報だとバーベルナは思った。
そして、クオンの側妃候補の話ということもあって興味をそそられた。
「以前、後宮には側妃候補は沢山いたのよね? 私の部屋がある辺りは、側妃候補が使っていたということかしら?」
「そうです」
リーナは答えた。
「でも、全く同じ内装ではありません」
「そうね。アデレード達の部屋を見たけれど、内装が違ったわ。どうやって部屋を選んだの? 好みで? それとも早い者勝ち?」
「身分や序列を考慮したようです」
後宮は身分を重視する昔ながらの規則が息づいている。
そのせいで王女の身分を持つキフェラ王女は一番良い部屋になっていたということをリーナは説明した。
「リーナも側妃候補だったし、詳しく知っていそうね?」
「後宮で働いていたので知っていることもあります」
「ああ、そうだったわね」
「後宮には多くの部屋があるのですが、天井画がある部屋は限られています。はっきり言ってしまうと、格が高い部屋にしかありません。つまり、天井画があるこの部屋は格が高い部屋だということです」
バーベルナは天井を見上げた。
「確かに言われてみればそうね。天井に絵を描くのは大変だもの。全ての部屋に天井画を描くのは大変だわ」
「維持の問題もあります。天井画は傷みやすく補修しにくいので、沢山あると大変なのです」
「なるほどね」
「あちらの端にある装飾は、後宮が全盛期だった時代に取り付けられたものです」
バラの装飾は数多くあるが、時代によって特徴がある。
いかにも満開という感じのバラは後宮の全盛期のもの。華々しい感じが好まれていた時代だった証であることをリーナは説明した。
「詳しいのね? まるで美術館の案内役のようだわ」
「たしなみです」
王族付きの侍女としてリーナは様々なことを勉強した。
専門家と比べれば薄弱だが、ちょっとした会話に使える雑学程度の知識を持っておくのがたしなみだと教わった。
「部屋の話は退屈だからいいわ。それよりも女性同士の話をしましょう」
「女性同士の話ですか?」
「クオンは冷たくて怖そうに見えたはずよ。もしかして、リーナはそういう男性がタイプなの? いわゆるクールタイプってこと。違う?」
そういう話ですか……。
リーナはどう答えるかに迷いながら、曖昧に微笑んだ。
 





