1117 仕方がない
エゼルバードは苛つく気持ちを抑えながら国王の執務室へ向かった。
その原因は突然エルグラードに来たザーグハルドの皇女バーベルナにある。
中等部時代から王太子の友人の座を保持している女性だが、エゼルバードが嫌悪してきた女性だった。
「どうぞ」
国王付きの護衛騎士がドアを開けると、エゼルバードは国王の執務室へと入った。
国王、王太子、軍務統括、宰相がいる。
首席補佐官であっても同席は許されていなかった。
「ザーグハルドの皇女が突然来たそうですね。その件でしょうか?」
「成人式に出席するそうだ」
親書を確認した国王が憮然とした表情で答えた。
「式典が終わるまで王宮に宿泊させて欲しいと言って来た」
「無理です。国賓であっても宿泊はできません。そのことは招待する際に通知してあります」
「その通りだが、親書に特別な配慮の要望とその理由が記されていた」
バーベルナは皇女だが、長期間に渡ってエルグラードへ留学していたため、ザーグハルドでの知名度と人気が低い。
一方、夫のシュテファンは優秀で人望も厚く、前皇太子とルエーグ大公の息子アルフォンスとは強い友情で結ばれていたこともあって、知名度も人気も高い。
バーベルナとシュテファンの婚姻は政略的に最高の組み合わせに思えたが、シュテファンは帝国を建て直すことに注力してばかり。
バーベルナは政務を手伝おうとしたが、シュテファンは余計なことをするなと激怒した。
シュテファンの父親である宰相も重臣もシュテファンの味方で、若手貴族や官僚もシュテファンを全面的に支援している。
帝国の財政が良くならないのは、バーベルナの長期留学によって生じた債務が多いせいでもある。
帝国を疲弊させる要因の一つを作ったばかりか、帰国後も内情をわかっていないバーベルナはエルグラードにいた頃の感覚で贅沢三昧だという噂が広がった。
このままではバーベルナが政治的にも精神的にも潰されてしまう。
ザーグハルド皇帝は娘を守るため、成人式の特使としてエルグラードに派遣することにした。
そして、エルグラード側に娘の保護を含めた特別な配慮を要望として親書にしたためたということが説明された。
「つまり、セイフリードの成人式に皇女が出席するのはエルグラードへの祝辞ではなく、ザーグハルド皇帝家の都合ということですね?」
「そのようだ。まったくもって不快な親書だ」
国王は苦々しい表情を浮かべた。
「まあ、皇帝家の内情はわかった。取り繕っても無駄。国外に出す良い理由になると思ったのだろう」
「亡命については?」
「それは書いていない。こちらも何かと騒がしいことがあった。そういった話が出るとすれば、成人式が終わった後ではないか?」
「兄上には申し訳ありませんが、非常に厄介な女性が来てしまいました。問題を起こさないよう密かに監視をつけるべきです。セイフリードの成人式に影響しては困ります」
「その通りだ!」
セイフリードのためにも外交のためにも成人式は成功させなければならない。
国王とエゼルバードが一致団結するのは喜ばしいことではあるが、友人への対処はまた別。
クオンはため息をつかずにはいられない気分だった。
「バーベルナの同行者は三人しかいない。侍女が一人、騎士が二人だ。しかも、手持ちの資金が少ないらしい」
「所持金を確認すべきです」
エゼルバードは容赦なかった。
「バーベルナはエルグラードに留学していました。突然の帰国だっただけに、資産を残しているのでは? 身分証さえあれば銀行から引き出せます。それで当面の資金は賄えるのではありませんか?」
「ヘンデルに確認させている」
クオンもバーベルナの資金がどの程度あるのかは気になっていた。
「学生時代に使用していた銀行口座の残額については判明するだろう。だが、何もかも教えろという訳にはいかない」
「状況を把握するための情報収集は当たり前です。ザーグハルドはエルグラードにとって迷惑な国です。大陸の東方面がいつまでたっても不安定なせいで、新しい同盟を作ることにしたのはご存知のはず」
それはクオンもわかっている。
東方面の陸路や交易を安定させるため、ザーグハルドの国内情勢が落ちつくことを願う国は多い。
だが、皇帝と弟のルエーグ大公が対立を続けているせいで政情は不安定。経済も疲弊し、重度の財政難に陥っている。
バーベルナの兄である前皇太子はそれをなんとかしたいと思っていたが、志半ばにして急死してしまった。
前皇太子の志を継ぐ親友のシュテファンがバーベルナと結婚し、ルエーグ大公の息子アルフォンスと協力して財政再建に着手しているが、目立った成果が出ていない。
増税につぐ増税で国民の負担もかなりのものになってしまった。
客観的に見るほどザーグハルド帝国の状況は危うく、もはや末期と感じている者もいる。
皇女のバーベルナだけでも国外に逃がそうと皇帝が考えた可能性もあった。
「バーベルナは友人だ。何かと狙われやすい理由も抱えている。成人式まで安全な場所に匿うという方向で調整するのはどうだろうか?」
「兄上は心底慈悲深い」
黙っていたレイフィールがようやく口を開いた。
「だが、私も厄介な相手だと思う。長期滞在を見据えた準備は自身でさせるべきだ。取りあえず、今夜だけは安全な場所に泊めればいいのではないか?」
「安全な場所とはどこだ?」
国王が尋ねた。
「真っ先に思いつくのは王宮だが」
「絶対に駄目です!」
エゼルバードは譲らなかった。
「別の場所にしてください。同盟国の王族でさえ宿泊させないというのに、ザーグハルドの皇女に格別な配慮を示すわけにはいきません!」
「厳戒体制になった以上、新たな宿泊者は増やせない。しかも、他国人だ」
宰相も反対。
「やはり大使館がいいんじゃないか?」
レイフィールが提案するが、クオンは首を横に振った。
「駐在大使はルエーグ大公派らしい。毒を盛られるかもしれないと言っていた。実行犯がエルグラード人であれば、責任を追及して来るだろう」
「エゼルバード、ウェストランドのホテルを抑えることはできないか?」
国王は王宮に近いウェストランドのホテルが良さそうだと感じた。
「無理です。すでに満室状態だと聞いています」
「成人式までまだあるというのに、すでに満室なのか?」
「純白の舞踏会の件で謝罪に来た国々が、成人式が終わるまで部屋を確保しているのです」
純白の舞踏会の件で謝罪する特使を送る国々は、こぞってウェストランド系列のホテルを予約した。
立地・安全・サービスに加え、ウェストランドへの謝罪と誠意を含めた選択かもしれないが、謝罪が終わった後も成人式まで部屋を確保する確率が高かった。
その影響で二月からウェストランド系列のホテルは他国人の利用客が多くなっているという報告がセブンから上がっていることをエゼルバードは伝えた。
「二月と三月はデビュタントの催しが多く、四月からは社交シーズンが始まります。地方から来る貴族も王都内に宿泊場所を確保しているので、条件が良い場所を探すのは難しいでしょう」
「ラーグ、どこかないか?」
困った時の盟友頼み。
だが、ほとんど王宮から出ることがない宰相が王都の宿泊事情に詳しいわけがなかった。
「私の専門ではない。プルーデンスなら詳しいかもしれないが」
国王の執務室に呼ぶわけにはいかない人物だけに、誰もが沈黙した。
「おお! 良い場所があった!」
突然、国王は閃いた。
「どこだ?」
「どこですか?」
「本当に良い場所なのか?」
息子三人は怪しむ視線を向けたが、父親には自信があった。
「後宮だ! 側妃候補達が使っていた部屋があっただろう?」
安全で監視もしやすく警備しやすいという点においては合格。
だがしかし。
「丁度良くなどない!」
真っ先に反対の声を上げたのは後宮統括でもある宰相だった。
「後宮は客間ではない! 他国の者を宿泊させるなどもってのほかだ!」
「国王の許可があればどうとでもできる。ミレニアスの王女も滞在していただろう?」
「予算が激減した。高位者用の食事も出ない。部屋付きの侍女も解雇されている。帝国の皇女を宿泊させれるわけがない!」
宰相の言う通りかもしれないが、他に良さそうな選択肢がないと国王は感じた。
「皇女を野宿させるわけにはいかないだろう。取りあえず、一泊だけなら問題ないのではないか? あくまでも内密に匿うためで、歓待は一切しないということで話をすればいい」
「食事はどうするのです?」
エゼルバードが尋ねた。
「皇女はクルヴェリオンの結婚式に来ていない。リーナを紹介するためにも、クルヴェリオンが夕食に招待すればいい」
「朝食は?」
「パンと茶でも出しておけ。勝手に来た以上、最低限でも仕方がない。嫌なら自分で宿泊先を探させろ。野宿になっても自己責任だ」
「昼食は出さないでください。居座られると困ります」
現在の状況としては仕方がない。
誰もがそう感じ、内密に後宮へ宿泊させることが決定した。





