1112 誕生会
「リーナ様、おはようございます。そろそろお時間です」
二度寝を堪能していたリーナは侍女長のレイチェルに起こされた。
「……おはようございます」
「急いでお支度を」
リーナの誕生日会は後宮で開かれる。
現在は治安が不安定な状態で、慶事をするような雰囲気とは言い難い。
私的行事ということもあり、情報が漏れにくい後宮で行った方が良いと国王が判断した。
「どんなお食事か楽しみです」
朝食を取らなかったリーナはクオンと共に後宮へ向かったが、その頭の中は昼食への興味と期待でいっぱいだった。
「ケーキもあるのですよね?」
「ある」
食事はフルコース。
誕生日ケーキも用意され、デザートとして饗される。
「クオン様は朝食を食べたのですか?」
「食べていない。フルコースだと聞いていたからな」
「私と同じですね。お腹がグーグー鳴っていませんか?」
「その質問には答えられない」
「その答え方は怪しいです。ちなみに、私のお腹の音が聞こえていますか?」
「それらしい音は聞こえない。そして、そういったことは口にしてはいけない」
王家の者は常に王家の者らしくなければならない。
自身の部屋ではともかく、誰が耳にするかわからない廊下での会話は制限があった。
「王宮だったら言いません。でも、後宮では制限があると聞いていません。もしかして、後宮にも制限があるのでしょうか?」
「廊下では王宮と同じようにすべきだろう」
「王家の者らしくなければいけないということですね」
「そうだ。苦労をかけてすまない」
クオンはそう思ったが、
「苦労ではないです。クオン様の側にいることができるのは幸せですよ?」
リーナは優しく微笑んだ。
「私もリーナの側にいることができて幸せだ」
クオンは優しい微笑みを返しながら、リーナの手をしっかりと握り直した。
「今日はリーナの誕生日だ。王家に入って初めて迎える誕生日だけに、大事にしたいと思った」
誕生日会の会場は小宴の間。
王家のメンバーだけでなく、安全上の観点から王宮への居住が義務付けられている宰相のラグエルド・アンダリア、レーベルオードの親子、そしてラグエルドの妻として王宮に滞在中のプルーデンスも招待されていた。
「後宮は側妃の住む場所というだけだと思っていたが、リーナのおかげで王宮や国家行事の運営を陰ながら支えているとわかった。王太子の執務が年々多くなることも懸念していたが、結婚の影響で見直しが入り、効率度が高まったことで休みを取れるようになったと聞いている。国王としてもクルヴェリオンの父親としてもリーナに感謝したい」
国王は出席者をじっくりと見回した。
「今日は全員でリーナを祝う。楽しい時間を過ごすように配慮せよ。では、乾杯だ。リーナに!」
「リーナに!」
復唱する声と共にグラスが掲げられた。
無事乾杯が終了すると、給仕役の侍女達が現れた。
出席者の前に前菜を置いていく光景を見て、国王はまたもや気づいた。
「王宮だと侍従が給仕をするが、後宮だと侍女だな?」
「そうだな」
男性王族の世話は侍従がしているだけに、様々なシーンで周囲に控えているのは侍従だというのが当たり前。
しかし、後宮には王族付きの侍従どころか、給仕を務めるような侍従さえいない。
その結果、王太子兼ヴェリオール妃付きの侍女長であるレイチェルが誕生日会を仕切り、給仕等の担当者も決めた。
「侍従を採用した方がいいのか?」
後宮にいた侍従はほぼ事務職だったが、不正に関わったせいで大量に解雇されてしまった。
その後の業務は侍女に振り替えられてしまい、新しい侍従の採用はしていなかった。
「必要ない」
クオンが答えた。
「侍従の仕事は侍女に振り替えたはずだ。どうしても必要なら、王宮から呼べばいい。レイチェルは侍女長の役職を王宮と後宮で兼任しているが、問題は出ていない。どのみち予算もないではないか」
「その通りだ」
ラグエルドが同意する。
「私も宰相と後宮統括の役職を兼任しているが、特に問題はない。部下達も同じだ」
後宮統括の部下は国王府の官僚から選ばれて来たが、ラグエルドは宰相府の官僚から担当者を抜擢した。
「後宮予算の縮小化は必須だ。不足があれば知恵で補う。そのためにヴェリオール大公妃が後宮統括補佐として様々な取り組みをしている」
「後宮の改善は順調だと思っています!」
自分の名前が出たため、リーナも会話に加わった。
「買物部は黒字運営ができています。セイフリード様のおかげで、軽食販売も大成功です!」
「常に完売が確定だからな」
セイフリードも会話に加わった。
「僕の方も助かっている。リーナのおかげで官僚食堂の方も順調だ」
階級別ではなく全官僚共通のセットメニューに絞ることは経費圧縮のためにも必要だったが、発表の段階では不満の声も強かった。
そこでリーナが冬籠りの際に用意した差し入れを参考にしているという情報を流したところ、官僚達の興味は一気に高まり、それならいいと歓迎する声が強まった。
安くて美味しい昼食であることがわかると、官僚達はセイフリードとリーナのコラボ昼食を大絶賛。
官僚食堂の利用者数は大幅に増大。各省庁で利用時間を調整するほど賑わっている。
弁当は日々完売。
食材を可能な限り使い切ることに加え、食べきれる量の提供を心掛けていることもあって、食品廃棄物の量が驚くほどに減った。
食材の仕入れから最終的な廃棄物処理まで全てを見直した結果、現場の負担が激減、大幅なコスト削減によって売り上げも利益率も急上昇した。
「うまくやれる自信はあったが、黒字化は簡単だった。リーナによる後宮や冬籠りの取り組みがなければ、より多くの時間がかかっただろう」
「二人を担当者に抜擢して良かった」
国王も上機嫌。
リーナとセイフリードの活躍を喜んでいた。
「伝統を理由にして改善を阻む風潮を改善できた。新しい時代に合わせていくのは統治だけではない。王宮や後宮も同じだ。無駄を省きながら、良い部分を守っていきたい」
国王はエゼルバードに視線を向けた。
「エゼルバードもわかってくれるな?」
「なぜ、私を名指しするのですか?」
「木星宮を壊したことを怒っていそうだと思った」
エゼルバードは眉を上げた。
「怒っていません。事前に芸術的価値が高いものがあるかどうかの調査はしています。木星宮と土星宮と厩舎は取り壊しても問題ありません」
エゼルバードが後宮に対して最も価値を見出すのは建物ではあるが、その中に王家の歴的な栄華を反映させているかどうかが重要になる。
太陽宮、月光宮、火星宮は王宮に匹敵する芸術品の宝庫だが、それ以外の宮殿は見劣りする存在だった。
「水星宮と金星宮は駄目だということか?」
「納得できる理由があれば構いませんが、水星宮はセイフリードが気に入っているようです」
「いずれ僕が貰う。王宮は手狭だ」
将来的にセイフリードは水星宮の管理権を貰い、居住しようと考えていた。
「情報が漏れやすく、拡散しやすいのも気に入らない。プライベートな時間は静かな場所で過ごしたい」
「わからなくもない」
レイフィールもまた会話に加わった。
「私は視察で地方に行くが、王宮に戻ると騒がしいと感じる。森林宮に住むのかどうかと思ったが、エゼルバードも狙っているのだろう?」
「今はそれほどでも」
エゼルバードも王宮から離れた場所に居住場所を移すことを考えていたが、条件に合う宮殿がなかった。
歴史や芸術面で見れば後宮がいいが、莫大な維持費がかかってしまい、エゼルバードの予算だけでは不可能。
レイフィールと同じく森林宮に目をつけたが、厨房などの水回りの施設が貧弱だとわかった。
「快適な居住空間にするためには、施設の改良工事費用が必要です。見積もりの額が多くて興味が失せました」
「私も試算させた。単独で捻出するのは難しいな」
レイフィールも森林宮の設備には不満を感じており、工事費用の見積額に納得できないでいた。
「王宮地区内には多くの建物がありますが、どれも王宮や後宮の施設をあてにしています。月光宮に最新式の厨房ができるのは心強いですね」
エゼルバードはリーナが参加できる話題に戻した。
「リーナ、食事の後で月光宮を見に行こう」
クオンが誘うとリーナは喜んだ。
「はい! ぜひ!」
食事会では無言で食事に専念する者もいたが、全体的には和気あいあいとした雰囲気で進んだ。
そして、デザートの順番が来ると、チューリップの形をした誕生日ケーキが用意された。
「とても可愛らしいです。春らしくもありますね!」
「誕生日会のテーマはチューリップだからな」
春らしさ感じられるような趣向にすべく考えられた結果、選ばれたのがチューリップ。
料理だけなく、食器やテーブル付近の飾りつけについてもチューリップが取り入れられていた。
「言い忘れたが、チューリップの花はミレニアスから届いた。インヴァネス大公家からリーナへの贈り物だ」
「そうでしたか!」
リーナはなぜチューリップがテーマになったのかがわかった。
それはリーナの実の家族と出自に配慮したから。
そして、ミレニアスにおいてチューリップは愛をあらわす花だった。
「素敵な誕生日を迎えることができて幸せです」
「良かった。だが、まだまだこれからだ。そうだな、パトリック?」
「では準備を。パスカル」
「はい」
国王に名前を呼ばれたレーベルオードの親子は席を立った。
廊下につながる扉の方へと歩いていく。
「えっと?」
誕生日のケーキが用意されたばかり。
ナイフで切り分けてもいない。
デザートが終わっていないというのに、どこへ行くのだろうとリーナは思った。
「すぐにわかる」
クオンはリーナを安心させるために声をかけた。
レーベルオード親子が両扉を開けると、巨大な台車に乗せられたグランドピアノが運び込まれた。
その上にはヴァイオリンも置かれている。
「もしかして!」
リーナの表情に驚きと期待が宿った。
「誕生日だからな」
騎士達がピアノを設置。調律師が音色の確認を行えば、いよいよ特別な余興の始まりだ。
ピアノの椅子に座ったのはレーベルオード伯爵、ヴァイオリンはパスカルが担当だった。
「では、ヴェリオール大公妃であり家族でもあるリーナのために」
レーベルオード伯爵がそう言うと、ピアノの伴奏が始まった。
曲目は誰もが知っている誕生日の歌。
主旋律をパスカルがヴァイオリンで演奏し、レーベルオード伯爵はピアノで伴奏をしながらより華々しく仕上げていく。
レーベルオード親子による特別な誕生日プレゼントだった。
だが、それ以外にも驚くべき演出があった。
演奏が繰り返され、部屋の中にいた出席者、騎士と給仕の侍女達も一緒になって誕生日の歌を歌った。
リーナの胸は嬉しさでいっぱいになった。
「演奏ばかりか歌まであるとは思いませんでした!」
食事とケーキだけだと思っていたリーナは突然な演出に感動するしかない。
「凄いです! 王家の方々が歌っているところを初めて見ました!」
国歌でさえ王家の者は歌わない。
黙って聞くだけだというのに、リーナのために王家の全員が誕生日の歌を歌ってくれた。
「まだある。ロウソクをつけないとだろう?」
クオンは席を立った。
「一緒に行こう」
クオンは太いロウソクを二本、ケーキに差し込んだ。
「成長の証は自分でつけるといい」
「わかりました!」
リーナは小さなロウソクを一本、ケーキの中央に差し込んだ。
「完成です!」
「火をつけろ」
ロウソクに火がつけられると、再度ピアノとヴァイオリンの演奏が始まった。
「いつでも吹き消していい」
「いきますよ!」
リーナは大きく息を吸い込むと、一気にロウソクの火を吹き消した。
「大成功です! 一気に消えました!」
「小さいロウソクが二十一本でなくて良かったな?」
「そうですね。さすがにそれだと、一回では消えない気がします」
給仕の侍女がロウソクとその周囲を取り除き、穴の開いた部分を生クリームで補修した。
「あっという間に綺麗になりましたね!」
「そうだな。だが、特殊な形だけにどう切り分けるのかも気になる」
「確かにそうですね」
「リーナ様、最初の一刀をお願いいたします」
「一緒にしよう」
リーナの手にクオンの手が添えられ、二人は一緒にケーキを半分に切った。
「クオン様、ハートに見えませんか?」
チューリップ型のケーキを中央から縦に切り分けた結果、二つのハートがぴったりと寄り添っているように見えるとリーナは思った。
「二つ見える。寄り添い支え合う愛を象徴するかのようだ。父上の選んだテーマは大正解だ」
「良かった!」
国王は喜びと満足の笑みを浮かべた。
「では、皆で愛のケーキを味わおう」
チューリップの形をしたケーキは綺麗に切り分けられた。
「主役は得だな」
ケーキは追加の生クリームとチョコレートソースで飾り付けられたが、リーナのものだけはハッピーバースデーのメッセージになっていた。
「本当に素敵なデザートです!」
リーナは愛がこもったケーキをじっくりと味わい、主役特権でおかわりをした。
 





