1109 描き直し
王太子夫妻の新婚旅行が中止されることは発表され、エルグラードの国民はレーベルオード伯爵家を狙った事件の重要性を実感した。
王家の新婚旅行はエルグラード国内の経済を活性化させる起爆剤の効果があるだけに、それがなくなってしまったことを嘆く者は非常に多かった。
とはいえ、純白の舞踏会から国外に対する懸念が膨れ上がっていたこともあり、王太子が王宮に留まることを選択したのは英断だと思う者も多かった。
王宮では多くの官僚が新婚旅行に合わせて休みを取っていたこともあり、セイフリードは王宮と後宮における工事を進める好機だと捉えた。
新婚旅行の警護のために招集されていた部隊を工事に投入すれば、当初の計画よりも進行予定を大幅に短縮できる。
月光宮の一部及び木星宮の爆破が終わると、すぐに配管工事が始まった。
リーナがいた孤児院跡地に水道管を引く工事を担当した部隊が中心になって配管工事をする間に、別の部隊が瓦礫の仕分けと撤去作業を行う。
厨房の増改築工事はリエラ宮の工事を担った者達が担当することになった。
月光宮は補強工事だけでなく、王太子の組んだ予算で内装工事も追加され、急ピッチで工事が進められていた。
「困りました」
エゼルバードは完成した絵を見つめながらため息をついた。
「何度見ても素晴らしい絵です。私が描いたので当然ですが」
エゼルバードは王宮で誕生日を迎えることになったリーナに特別な贈り物をしたいと考えた。
心から敬愛する兄はリーナのためにカフェ作りに協力しており、誕生日までに内装工事を仕上げるよう指示を出した。
高価な品よりもカフェ作りの協力を選んだ兄を見習い、エゼルバードもカフェに飾る絵を贈ることにした。
最初に描いたのは王太子夫妻の絵だったが、あまりにも出来が良すぎて、贈りたくなくなってしまった。
エゼルバードは王太子夫妻の結婚式の絵を描いたが、国王命令で王家の所蔵品にされてしまった。
個人的に所有する二人の絵が欲しいと前々から思っていただけに、自分のものにしてしまおうとエゼルバードは思った。
再度筆を取って描いたのはリーナの絵。
肖像画ではあるが、リーナの持つ柔らかな雰囲気を感じられるようパステル調の色合で仕上げた。
見ているだけで幸せになれる絵だとエゼルバードは感じ、またもや贈りたくなくなってしまったというのが現在の状況だった。
「別の絵を描くしかありません」
「この絵を贈れ」
断固たる口調でロジャーは言った。
「非常に忙しい状況なのを知っているはずだ!」
「欲しい」
絵をじっくり見つめていたセブンが言った。
「これほど素晴らしいパステル調の絵は見たことがない。譲ってくれないか?」
「駄目に決まっています」
エゼルバードは厳しい口調で答えた。
「この絵は兄上にも見せません」
兄はエゼルバードが描いた結婚式の絵を欲しがっていた。
絵を見せたら最後、私室に飾りたいと言われてしまい、その申し出を断れないこともまたエゼルバードは予想していた。
「どこに飾るか迷います。隠しておいた方がよいかもしれませんね。もし見つかってしまったら、純白の舞踏会のドレスにしてしまったのでやめたということにしましょう。騒がしい事件を思い出したら困るという配慮です。兄上も納得するでしょうし、欲しいと言わないかもしれません」
エゼルバードは都合の良さそうな言い訳を考えた。
「遅い。まだなのか?」
ジェイルが様子を見にやって来た。
「贈り物の絵は完成したはずだろう? 会議はいつ始まるんだ?」
「別の絵にします」
ジェイルはロジャーとセブンの表情を順番に確認した。
「……なるほど。それで怒っている者と欲しそうな者がいるわけか」
「とにかく会議だ。全員、エゼルバードが来るのを待っている」
「今はそれどころではありません」
「私も同じ気持ちだ。絵を描くどころではない! 国際情勢の行方がかかっている!」
多忙を極めているロジャーの気迫は凄まじい。
セブンもジェイルもなんとかしてエゼルバードを説得しなければと思った。
「会議の後にした方がいい。時間をより多く取ることができる」
「ゆっくり考えることもできるだろう」
「今、考えたいのです」
「王太子夫妻やヴェリオール大公妃の絵は駄目だとわかった。カフェに飾るのであれば、静物画がいいのではないか?」
王太子夫妻に関連する絵にすると、また描き直しになる可能性がある。
ジェイルは別のテーマで絵を描かせようと思った。
「静物画ですか」
エゼルバードは考え込む。
さっさとテーマを決めてしまいたいとロジャーは感じた。
「花にすればいい」
「ありきたりです」
「果物でもいい」
「私に普通の絵を描けと?」
「グリッシーニの絵はどうだ?」
セブンの案にエゼルバードは反応した。
「……あれはリーナのものです」
グリッシーニはリーナが考えた特別な贈り物だ。
絵だとしても、リーナのアイディアを奪うことになるのではないかとエゼルバードは感じた。
「別のものがいいですね」
「花でいい気がする。一年中楽しめる花として喜ばれるのではないか?」
ジェイルの言う通りだとロジャーは思った。
「やはり花がいい」
「セブン、何かありませんか?」
セブンは思いついた。
「はちみつパンを気に入っていただろう? あの絵はどうだ?」
「パンか」
「カフェらしい」
ロジャーもジェイルも早く決めたいからではなく、本心からそう思った。
「リーナは食べることが好きだ。一生なくならない美味なパンがあれば喜ぶのではないか?」
「リーナの手柄を絵で表現することができる」
「功績と賛美を暗示する絵になる」
ロジャーとジェイルはセブンの案を推した。
「そうですね。はちみつパンの絵にしましょう」
自身が美味と認めたものだけに、描く対象として相応しいパンだとエゼルバードは思った。
「早速はちみつパンの絵を描かなければ」
「待て」
ロジャーが制止した。
「はちみつパンを食べてから日が経っている。曖昧な記憶で描くべきではない」
「私は覚えています。問題ありません」
「パスカルに頼んではちみつパンを用意して貰う。それを見て描けばいい。はちみつパンを味わいながら、それをどのようにして絵に込めるかを考えることもできる」
ロジャーの提案は時間稼ぎに他ならない。
エゼルバードは不満そうな表情を浮かべた。
「パスカルに何をするかがわかってしまうではありませんか」
「リーナに言うはずがない。贈り物を先に教える意味などないだろう」
「兄上には言いそうです」
「どんな絵にするかについては教えないよう言えばいい。そうだな、セブン?」
「パスカルに伝えて来る。さすがにすぐには持って来れないだろう。エゼルバードは会議で時間を潰せばいい」
セブンの言い方は絶妙だった。
「……そうですね。会議で時間を潰しましょう」
ロジャーとジェイルは、エゼルバードの同意を引き出したセブンを心から賞賛した。
 





