1101 事件の余波
パスカル・レーベルオードが襲撃された事件はエルグラードだけでなく、国際的にも大きな影響を与えた。
王家の外戚になったレーベルオードを讃える者もいれば、憎悪する者もいる。
それはヴェリオール大公妃に対しても同じ。
王太子が心からの愛を示し、王家が正式な側妃として迎え入れたとしても、元平民の孤児だった女性を受け入れられない者がいる。
純白の舞踏会における問題に続き、それがはっきりと示されてしまった。
王宮だけでなく王都も厳戒体制。
連日、事件の捜査が行われた。
そして、三日後には暗殺計画の首謀者である貴族が逮捕された。
パスカルに警告をした人物から手に入れた便箋の紋章主だった。
計画者は一人ではなく複数名であることも判明した。
但し、他の計画者や支援者の多くは匿名だったため、誰なのかがはっきりしなかった。
計画及び犯行に関わった者が続々と捕縛され、大重罪の宣告を受けた。
現国王は二度と傀儡にならないため、反逆者を徹底的に排除してきたことを国民は知っている。
平民出自の王族妃が誕生した新時代から、古き冷たき時代に戻ってしまうのではないかと懸念する人々が増えていた。
「重要な話がある」
リーナはクオンと一緒に国王に呼び出された。
同席するのは王家の全員、外戚、極秘情報を知る権利がある重臣だ。
「現在、エルグラードは大事件の余波で治安状態が良くない」
大事件というのはレーベルオード伯爵家を狙った暗殺未遂事件のことだ。
首謀者が逮捕されたことにより、狙われたのはレーベルオード伯爵家の者であること、当主や跡継ぎでなくても、レーベルオードに関係する重要人物でも構わなかったことが判明した。
その対象にはヴェリオール大公妃、つまりはリーナの名前も含まれていた。
「早期に沈静化させるためにも、同じような事件を再発させてはならない。安全確保が難しい予定は全て中止だ」
ただでさえ、純白の舞踏会でのことが尾を引いている。
エゼルバードは各国から訪問する要人から直接謝罪を受ける一方、三月中に経済同盟を構築する予定だった。
だが、事件のせいで要人の来訪が延期される可能性が濃厚で、国際的な情勢の混乱も長引いてしまう。
四月中旬にはセイフリードの成人式もある。
エルグラードとしては、それまでに事態を収拾したかった。
「エルグラード国王として命令する。王太子とヴェリオール大公妃は新婚旅行を中止するように。身の安全を確保するためだ。理解して欲しい」
「御意」
それ以外の言葉は許されない。
クオンとリーナは深々と一礼し、国王の命令に従うことを示した。
「父親として非常に残念に思っている。だが、治安が改善してから再度計画すればいい。クルヴェリオンはともかく、リーナは特に辛いだろう。旅行を楽しみにしていたと聞いた」
「大丈夫です!」
リーナは答えた。
「世の中には危険なことが沢山あります。守っていただけてありがたいです!」
「そうか。だが、しばらくは王宮からも外出できない」
リーナはピクリと反応した。
「もしかして、後宮にも行けないのでしょうか?」
「いや、それは大丈夫だ。」
王宮と後宮の警備体制を厳重にするよう命じた。
クオンやリーナについている騎士の数も増やすことになった。
これは王宮内に不審者が現れたことを考慮した結果でもある。
侵入しやすい経路を考慮し、通行できる場所や人を減らす処置も行われる。
「だが、夜間は部屋から出るな。庭園は昼間でも一部だけだ」
庭園の中にはひと気が少なく、潜みやすい場所がある。
適当に散歩するようなことはできない。
警備の方で安全を確認した場所でなくてはならないことが伝えられた。
「後宮と王宮の出入りについては検問を増やす。当分は許可を得た役職者等に限ることにもした。不自由さが増えるだろうが、仕方がないと思って欲しい」
「確認したいことがあるのですが、よろしいでしょうか?」
「何だ?」
「後宮購買部は愛の日に抽選付きカードを販売しました。賞品は官僚食堂のペアランチ券です。休日に使うよう伝えましたが、官僚食堂に行けるのでしょうか?」
国王も思い出した。
リーナが発案し、大好評だったキャンペーンだ。
「ラーグ」
「許可できない」
王宮と後宮を出入りできるのは仕事をする上で必要な者のみ。
通常は交代制の仕事であっても、可能な限り同じ者が担当し、警備が顔や名前を認識しやすくなるよう通達している。
私用で後宮から王宮に行くのは無理だと説明された。
「困りました。たぶんですが、ランチ券を使っていない者がいると思います。使用期限を新婚旅行の予定に合わせていたので」
「期限を延ばせばいい。セイフリード、構わないだろう?」
「よくない」
セイフリードは憮然として応えた。
「リーナが購入した分は現在のメニューを想定した金額だ。春になれば手に入る食材も違って来る。状況によって仕入れが高くなり、価格に反映される可能性もある。安易に延長を認めたくはない」
「わかった。その分は補填する」
国王は解決策を提示した。
「私の予算から出す。それでいいだろう?」
「別の予算にして欲しい」
セイフリードが提案した。
「王宮厨房部の施設は古くなっている。新しくしたい」
王宮は古い時代からある。
食事の提供を中断できない厨房部の設備更新は難しく、なかなか行われてこなかった。
セイフリードから見ると、官僚食堂だけでなく、旧式の設備にも問題があった。
「後宮の設備も相当な古さだ。新婚旅行に行けないことを考えれば、リーナへの配慮を示すべきだ」
セイフリードはリーナに顔を向けた。
「リーナ、欲しいものがあるだろう? 今ならねだれる」
堂々たる助言。
だが、誰も何も言えない。
新婚旅行が中止になったことを考えれば、何らかの配慮は仕方がないと思っていた。
「でも、後宮にはあまりお金をかけたくないと言われているので……」
「今回は特別だ。新婚旅行が中止になるのは国家行事がなくなるのに等しい」
単に王太子夫妻が旅行を楽しむだけのものではない。
同行者もまた見識を広めつつ経験を重ねる機会になる。
何よりも、新婚旅行で立ち寄る場所に落とされる莫大な経済効果がなくなってしまう。
金がかからなければいいということではない。
国内経済への活力剤として、王家が正当な目的と理由で大金を使用できる機会が失われてしまう。
その影響は大きく、金銭には換算できないほどの損失だった。
「最新式の石窯はどうだ?」
クオンが提案した。
「欲しがっていただろう?」
「以前は。でも、なんとかなっているのでいらないです」
「茶葉が欲しいと言ってなかったか? 大量に買い集めてもいい」
「一般市場に影響が出ると困りますので、アイギス様の方から手に入るのを待ちます」
謙虚。
長期的な視点で考え、無理をする必要はないと考えているからでもある。
「クルヴェリオンでも難問のようだ。何がいいのか、はっきりと言ってくれた方が助かるのだが?」
国王が尋ねた。
「リーナ、要望を言いなさい」
エゼルバードも何らかの配慮は必要だと考えていた。
「王族妃なのです。何もいらないでは済まされないこともあります」
「エゼルバードの言う通りだ」
レイフィールの意見も同じ。
「王族妃への配慮を示すためにも、父上と兄上は何かしなければならない。そういう状況だ」
「でしたら、後宮にカフェを作りたいです」
すぐに理解できない者がいた。
ヴェリオール大公妃は後宮に部屋がある。そこでお茶やコーヒーを楽しめばいい。
茶葉についても欲しがらなかったというのに、なぜカフェを作るのかと。
しかし、国王は知っていた。
後宮内でリーナがしていることや考えていることは報告されている。
「ラーグ、リーナが望むカフェを後宮内に作れ。これは命令だ」
「御意」
後宮の決定権は国王にある。
国王が作れと言えば作る。命令であれば拒否できない。非常に単純だ。
「予算は私の方から出す。さすがに後宮予算からは無理だろうからな」
当然の処置だった。
「どのようなカフェにしたいのかを決め、ラーグに伝えればいい」
「ありがとうございます! これで菓子パンを食べるための部屋ができます!」
カフェを作る理由を全員が理解した。





