1100 デュシエル
豪華な応接間に一人の男性がいた。
プラチナブロンドの短髪に空色の瞳。
四人掛けの特注ソファに座る姿は美しくも妖しい。
その者を知る者は多い。
だが、知っている名前が違う。
容姿も同じく。
孤児院にいた時はボスと呼ばれていた。
だが、この部屋にいる人物としての名前ではなかった。
ドアが開く音がすると、プラチナブロンドと空色の瞳を持つ男性が入って来た。
デュシエル公爵の孫の一人。ラファエル・デュシエルだった。
「伯父上の機嫌はかなり悪い」
ラファエルは先客とあえて同じソファに腰を下ろした。
「大事件のせいだ。色々と知っていそうだな?」
「当然だ」
手掛ける事業の一つは情報業。
レーベルオード親子がウォータール・ハウスに戻る時に合わせて実行される暗殺計画の情報を入手した。
極めて価値の高い情報だけにすぐに売れた。
通常はそこまで。
扱うのは情報の取引であって、それ以上でもそれ以下でもない。
だが、暗殺計画は複数人によるもの。
協賛者もいるが、明確な証拠はない。
全員を捕縛するのは難しい。
暗殺事件の後で調べても、とかげのしっぽ切りになるだけ。
そこで、オプションを作った。
計画者の一人につながる手紙が手に入る。
紋章入りの便箋には新聞から切り取られた文字が張り付けられ、レーベルオードと書かれている。
それをとある場所で発見したことにすれば、便箋の紋章主が不穏なことをしているかもしれないという嫌疑がかかり、警備隊や公安といった組織が調べに入れる。
そして、暗殺計画が実行される前に露見するという筋書きを用意した。
しかし、取引相手はオプションを望まなかった。
情報だけを入手すればいいということだ。
そこで別の相手に取引を持ち掛け、オプションを売ることにした。
買い手がついたが、条件もついた。
手紙の発見場所は王宮。しかも、発見者をパスカル・レーベルオードにして欲しいという内容だった。
パスカルがどうするのか、手並みを拝見したいという。
条件を飲むのは危険だった。
パスカルと接触した者は王宮で捕縛されるか、発見と同時に処刑されるかもしれない。
買い手側が密かに仕掛けた罠の可能性もあった。
わざわざ危険な橋を渡る必要はない。
だが、あえて条件を飲んだ。
代わりに買い手側の協力を引き出し、パスカルの予定を入手した。
そして、自らパスカル・レーベルオードに手紙を与えることにした。
愛の日以来の再会。
だが、パスカルは目の前にいる者が誰なのかを知らない。
この機会にパスカルの剣技を確かめてもいいと思ってもいた。
ところが、邪魔が入った。
ユーウェイン・ルウォリス。
辺境出身の騎士だ。
得意としているのは剣と短剣の二刀流だが、あらゆるものを武器として活用することを厭わない。
いかにも辺境出身らしい戦い方だ。
実際に手合わせをすると、かなりの使い手だった。
敵であれば邪魔だが、リーナを守るためには使える。
ヴェリオール大公妃付きの騎士だからこそ、排除することなく残しておきたかった。
当初の計画は変更。
パスカルと剣を交えるのは別の機会に持ち越しだ。
急ぐ必要はない。
目的は手紙を与えること。
買い手と同じく、パスカルがどうするのか手並みを拝見すればいいだけだった。
そして、パスカルは警告を無視した。
予定通り外出するどころか、デパートにも来た。
偶然ではない。
『ヘレナ』としてデパートを利用していることがレーベルオードに知られている証拠だ。
ウォータール地区がレーベルオードの拠点であることを実感した。
表向きは民間の施設や組織でも、裏ではレーベルオードに通じている可能性が非常に高いということだ。
情報収集の人員が配置されているだけの可能性もあるが、どの人物かをいちいち特定するのは面倒極まりない。一括して考えた方が簡単だった。
「今回の件で王家の庇護がより強くなる。レーベルオードはますます飛躍するだろう。どう思う?」
「稼ぎ時だ。陰に潜む者は常に忙しい」
「お前はそうだろう。だが、私の身にもなってくれ」
ラファエルは深いため息をついた。
「下賤な出自の王族妃などあり得ない、レーベルオードが悪いという主張をひたすら聞き続けなくてはならない」
「情報収集だと思えばいい」
「ただの愚痴だ」
ラファエルは吐き捨てるように言った。
「その愚痴のせいで面倒になりそうでもある。道連れはごめんだ」
「鞍替えしたらどうだ?」
「当主が交代したら考える」
「悠長なことだ」
「私もそう思う。だが、当主には逆らえない。デュシエルの運命だ。お前だって戻って来た」
戻って来たのは事実。
プラチナブロンドは偽物だが、空色の瞳は本物だ。
美しく成長した姿を見た当主は、偽物であっても利用価値があるとみなした。
表向きは当主の恩情にすがった駒の一人だが、上へ行くために利用しただけのこと。
自分だけなら何とでもなる。
だが、自分以外の誰かを守りたいのであれば、仕方がない選択もある。
ただの平民にとって後宮の守りは強く固いが、貴族であれば別。
覚悟して戻った。
だというのに、人生はままならない。予測不能なことが起きる。
リーナがヴェリオール大公妃になってしまった。
王太子のせいだ。
レーベルオードのせいでもある。
「大掛かりな舞踏会を開く予定だそうだ。世界中を騒がすほどの事件が起きたばかりだというのに、関係ないと言わんばかりだ」
ラファエルからは不機嫌さがにじみ出ていた。
「空気が読めないのか? レーベルオードは私兵だけでなく公安も動かせるというのに」
「公安ごときと思っているだけだ」
貴族が脈々と受け継ぐのは爵位や領地だけではない。
闇に潜み、決して表に出ない力も同じく。
「レーベルオードには力がある。わざわざ公安に頼る必要はない」
「確かにそうだが」
「注目を浴びる者の情報は高値がつく。悪くない」
「金は十分にあるだろう?」
「十分ではない。経費がかかる」
ラファエルは呆れたような表情を浮かんだ。
「ウォータール地区に移ったせいじゃないのか? 正直、頭がおかしくなったと思った。敵地に行くようなものだぞ? なんて言い訳する気だ?」
「虎穴虎子だ」
「伯父上がそれで納得するとは思えないが?」
ドアがノックされる音が響いた。
「アスター様、閣下がお呼びです」
現在の名前はアスター・デュシエル。
デュシエル公爵家の一員だが、表には出ていない。
「せいぜい上手く言い訳するんだな」
ボスことアスター・デュシエルは無言のまま応接間を退出した。
「なぜ呼ばれたのかわかっているな?」
デュシエル伯爵は重々しい口調で尋ねた。
「いいえ」
「嘘をつくな」
「何か問題でも?」
「デイヴィッドにまた株式を大量購入させたな? 目立つではないか!」
投資のことだった。
「申し訳ありません」
まずは謝罪。
反論しても激昂させるだけだとわかっていた。
「先々のことを考えると、今の内に保有しておいた方がいいと思いました。レーベルオードの事件の影響で株価は上昇していますが?」
「わかっていない」
デュシエル伯爵は厳しい表情をした。
「お前は影だ。光が当たってはいけないことを忘れたのか?」
「わかっています」
だからこそ、自身の名前は隠して資金を増やす。
「デイヴィッドがますますお前を気に入るではないか!」
デュシエル伯爵の嫡子であるデイヴィッドはアスターを気に入り、側近の一人にしたがった。
だが、当主であるデュシエル公爵がそれを許可しなかった。
優秀な部下はいくらでもいる。
いとこであるラファエルの部下を奪うのは良くない。
偽物の色を持つ者は嫡子の側近に相応しくない。
本物の色を持つ者を側近にしろという判断だった。
「いとこ同士で部下を取り合うなどあり得ない!」
息子に言えばいいものを。
心の中の呟きはデュシエル伯爵には聞こえない。
「まだある。ウォータール地区の物件を借りたそうだな?」
「手頃だったので」
「ふざけるな!」
お前に関係があるのか?
そう思っても、口にはしない。
「お気に召しませんか?」
「当たり前だ! レーベルオードは下賤な者を受け入れ、王族妃に仕立てた! 許されることではない! 平民というだけでもあり得ないというのに、孤児だぞ!」
目の前にも孤児がいる。
偽名を使い、ヴェリオール大公妃リーナと同じ孤児院にいた。
そのことをデュシエル伯爵は知らない。
「東の国には虎穴虎子という言葉があります。ハイリスクハイリターンのことです」
「別の場所にしろ。猊下の意向だ」
猊下。
それはデュシエル公爵のこと。
当主の言葉は絶対だ。
それがデュシエルの掟だった。
「わかりました。すぐに移動します」
そう答えれば満足するのはわかっている。
付け足すのはその後から。
「賃貸の解約手続きには時間がかかるかと。違約金が発生するのに加え、急に移ると目立つのもあります」
「金の問題ではない!」
「違約金を出していただけるのであれば、すぐにでも手続きをしますが?」
「目立たないようにしろ」
金の亡者が金を出すわけがない。
「舞踏会のことは聞いたか?」
「先ほど聞きました」
嘘ではない。
少し前にラファエルから聞いた。
その前から知っていたが。
「出席しろ。詳細はいずれ伝える」
「わかりました」
「下がれ」
「失礼します」
部屋を退出すれば用件は終わり。
アスター・デュシエルは薄暗い廊下をまっすぐに歩き出した。





