11 召使いへの昇格
数日後。
リーナは侍女長に呼び出された。
「階級を一つ上げ、召使いにします」
突然の昇格にリーナは驚くしかない。
「ありがとうございます!」
リーナは満面の笑みを浮かべたが、侍女長の表情は曇っていた。
数日前、リーナは早朝勤務の際、控えの間で高貴な者と鉢合わせしてしまった。
リーナは下働き。高貴な者の視界に入ってしまっただけでも無礼になる。
控えの間が使用中だというのに、トイレ掃除をしにくるなどありえない。
リーナが処罰されそうに思えたが、問題視されたのは別のことだった。
掃除の担当者に控えの間が使用中であることが伝わっていなかった。
急であっても使用中の場合はそのことを関係者に通達し、掃除の予定を変更するか中止するのが適切な対応だ。
同じことが繰り返されないよう注意しなければならない。
そして、下働きは二階に立ち入ることができないはずだというのに、二階の仕事をさせられていた。
これは重大な違反だった。許可を与えた侍女長の責任になってしまった。
後宮は警備上の都合から、階級によって出入り可能な場所や範囲が決まっている。
下働きの者が出入りできるのは地下と一階のみ。
よほどの緊急事態でなければ、例外は認められない。
侍女長は人員不足を緊急事態と判断し、一時的な処置として下働きが二階で働く許可を与えた。
しかし、侍女長の権限だけでこのような許可を与えることはできない。
人員不足は緊急事態ではない。
例外処置をしたいのであれば、より上位の者に話を通しておくべきだと叱責された。
おかげで侍女長は厳重注意の上、大減給されてしまった。
だというのに、高貴な者の意向によってリーナは一切の責任を問われない。
上司への報告義務を果たさなかったのも、高貴な者の指示だけに問題ない。免責だ。
しかも、今の仕事を継続して行わせるため、召使いに昇格させることになった。
侍女長は苦々しい気持ちを抑えながら、事務的に言葉を口にした。
「本来、若さや経験だけを考慮すると昇格できません。貴方が昇格できたのは早朝勤務を継続して行うことに加え、今後に期待している部分が大きいからです」
表向きにはそのような理由になっている。
下働きに召使いの仕事をさせるのは違反だと指摘され、階級を上げて仕事をさせるよう言われたからだと言えるわけもない。
「問題が起きればすぐにまた降格されます。解雇になるかもしれません。借金がある状態で解雇になれば投獄されるでしょう。昇格したからといって驕ってはいけません。謙虚さを忘れず、真摯に仕事に励みなさい」
「はい!」
「これが昇格の書類です。掃除部長に提出しなさい。用件は以上です」
「はい。失礼致します!」
リーナは侍女長室から退出すると、急いでマーサの元に向かった。
マーサはリーナの昇格を喜んだ。
「おめでとう、リーナ。今日から召使いです」
「ありがとうございます!」
「召使いになると様々な部分が変更されます」
給与が上がる。
担当する仕事も変わる。
「書類を確認すると、早朝勤務は継続になるようです。ですが、地下での仕事はなくなります」
地下で働くのは基本的に下働きになるため、召使いとして地上の仕事を新たに割り振られることになる。
「どのような仕事をするかはこれから考えます。明日は早朝勤務をこなして朝食を取った後、私の元に来なさい」
「はい!」
「それから」
マーサは一旦言葉を止めた。
「召使いになると制服が変わります」
そうだった……。
リーナの喜びが急速にしぼんでいく。
制服は階級によって異なる。昇格すれば、制服が変わる。
制服代がかかる。借金が増えるということだ。
「あの、召使いの制服代は高いのでしょうか?」
「貴方にとっては高いでしょうね」
やっぱり……。
リーナは気分が急降下した。
「制服代がかかるのは最初だけです。生活費のように毎月徴収されるわけではありません。大切に使用すれば何十年も同じ制服を使えます。私服で勤務するよりもずっと費用がかかりません」
下働きの制服代がかかることを知った際も、リーナは同じ様に言われた。
確かに何十年も使うことを考えれば、高額でも割安かもしれない。
しかし、下働きの制服はわずか数か月の間だけだった。
割安どころか割高だ。相当。
「制服代のことは気にしてはいけません。召使いになれば給与が上がります。借金も返済しやすくなるでしょう。すぐには無理でも、いずれは減っていくはずです」
「はい」
リーナは頷いた。
そうなると思いたい。いや、そうしなくてはいけないと思った。
「この後の仕事は免除します。まずは制服を交換しなければなりません。衣装部に行って召使いの制服を貰いなさい」
制服を受け取った後はすぐに着替える。
そして、下働きの制服を衣装部に全て返却する。
クリーニングに出している場合は引換証を提出すればいい。
「エプロンと帽子も全て変更です」
エプロン代と帽子代もかかるということだ。
「マーサ様、お伺いしたいことがあるのですが?」
「何ですか?」
「制服を返却すると、制服代が戻るのでしょうか?」
「戻りません」
「全く使っていない制服が何枚もあるのですが、その分も戻らないのでしょうか?」
「戻りません」
一度も使っていないのにお金を取られて返却だなんて……。
リーナは泣きたい気分になった。
だが、くよくよしている暇はない。
「それが終わったら、もう一度ここに来なさい」
「わかりました。では、失礼致します」
リーナは衣装部へ向かった。