1096 心のままに
一瞬にしてその場の空気が変わった。
誰もがユーウェインの言葉に何かを感じているのも確かだった。
……言ってしまった。
ユーウェインはそう思った。
だが、今しか伝えることはできないとも思った。
貴族は爵位や領地に関わる重要案件について国王に直訴することができる。
但し、直訴するための謁見が許可されれば。
謁見の許可がでなければ直訴ができない。直訴権はないのと同じだった。
しかし、ユーウェインはたった今、貴族としての権利を王太子に許された。
国王ではないが、王太子に直接伝えることができる。
自分の意見を。
「私は必死に父の後を継ぐべく努力して来ました。私の故郷は生きていくのが非常に厳しい場所です。ただただ厳しい。それでも命ある限り抗い続けるしかない。どれほど辛く苦しくても、逃げ出すことは許されない。なぜなら、跡継ぎだからです。私はそれを運命だと思い受け入れました。だというのに、領主になれませんでした。私の努力は、苦しみは、葛藤は何だったのでしょうか? 全てが無駄になってしまったと感じました」
陳情書にも書いた。
叔父は逃げた者だ。
本来は兄を支え、人々を守らなければならない立場だった。
だというのに、祖父が死んだ際の財産分与で揉め、金目の物を奪うようにして家を出て行ったまま帰ってこないと聞いている。
そんな者に領主が務まるわけがない。
ユーウェインはそう思った。
だが、成人でなければならないという条件を変更させるだけの理由にはならなかった。
「騎士団の中には諸事情によって入団する者もいます。私とは違う理由でしたが、貴族であっても爵位を得られない者が大勢いることを知りました」
王都にいる者は貴族の常識に通じている。
だからこそ、ユーウェインの主張を否定した。
定められている爵位の継承条件は守らなくてはならない。
変更が認められるのは、原則的に継承者がいない時や家が絶えそうな時だけ。
叔父が継ぐのであれば問題ない。
むしろ、叔父が継いでくれて良かったと言う者が多かった。
辺境区で一生を過ごさずに済む。治安の悪い地域で領民を守るという難題に取り組む必要もない。
王都で暮らすことはエルグラード国民の夢。羨望の的だ。
底辺中の底辺貴族である男爵位などあっても意味がない。近衛騎士の方がよっぽど上。
貴族は王宮に入れるが、重要なエリアに入れるかどうかは審査される。
王宮の重要なエリアに出入りできる騎士や官僚は、爵位があっても重要なエリアに出入りできない貴族よりも上。真の上位。勝ち組だ。
全て忘れろ。故郷も家族も。どうせ二度と会えない。故郷に戻る気もないのだろうと言われた。
全部正しい。
そう思うというのに、ユーウェインの胸の中に残る強い感情は消えない。
苦しみ、悲しみ、悔しさがくすぶり続けていた。
これまでの人生の全てを、自分自身の存在とその価値を否定されたような気持ちになった。
仕事に打ち込んだ。立派な近衛騎士になって見返そうと思った。
だが、近衛騎士団もまた厳しい場所だった。
貴族として底辺であることは事実なだけに何でもない。
だが、辺境出自だと言われるのが辛かった。
故郷や家族のことを思い出してしまう。
王都へ来た理由も、留まっている理由も。感情を押し殺していることも。何もかもだ。
このままでは駄目だと感じ、領民登録を変更することにした。
「王都民になることで、人生をやり直すと決めました。私の故郷は王都ヴェリオール。すでに領主の長男でも甥でもありません。ヴェリオール大公である王太子殿下の民の一人です。ご懸念には及びません」
ユーウェインは心のままに全てを話し終えた。
……これでいい。
処罰になっても構わない。すでにそれだけのことをしている。
もう戻れない。何もないままではいられない。
だからこそ、伝えたかった。聞いて欲しかった。
エルグラードの王太子に。
それがユーウェインの望みだった。
「そうか」
クオンは頷いた。
「お前は私の騎士であり、民でもある。その言葉を信じ守りたい。ゆえに、毒剣のことは忘れろ。私の権限で収める。国王の耳にも入らない。わかったな?」
ユーウェインはいつの間にか潤んでいた目を見張った。
「……無礼を承知で伺います。私の判断は間違っていたのでしょうか?」
パスカルの暗殺を目的とした襲撃者は多かった。
人数差が何倍もある。
この状況を覆すためには、手段を選んではいられないとユーウェインは思った。
「相手の武器を活用するのはわかるが、毒剣を使うとは思わなかった。偶然か?」
「暗殺を目的にしているのであれば、毒剣を持つ者がいそうだと思って探しました」
混戦になると相手の武器に注意を払いにくく、毒剣の餌食になりやすい。
そこで毒剣使いがいないかをざっと確認した。
そして怪しいと思う者を倒し、その武器を奪って使った。
「敵の反応を見て毒剣だと思いましたが、そのまま使い続けました」
素早く敵の人数を減らすのに活用した。
「最初から狙っていたのか」
驚いたのはクオンだけではない。ユーウェイン以外の全員だった。
「騎士が毒剣を使うべきではないのはわかっています。卑怯な手段は不名誉だとも。ですが、あまりにも不利な状況でした。騎士の名誉を守るよりも、味方の命を守る方が優先だと判断しました」
騎士の名誉を優先したせいで、味方に死傷者が出るのは愚かしい。
騎士の名誉を捨てても、全力を尽くして味方を守る。
それがユーウェインの考える騎士であり、最善であり、正しいことだと信じた。
「正しい判断だ」
クオンは力強く答えた。
「本当によくやった。お前がパスカルを救ったのだ。仲間の命も。自身の命も。それでこそ、私の騎士だ」
ユーウェインの心は震えた。
どうしようもなく嬉しかった。
喜びが溢れ出して止まらない。
騎士らしくないことをした。
だというのに、正しいと言ってくれた。
第一王子の騎士だとも。
認めてくれた……。
それだけではない。ユーウェインを信じ、守ろうとしてくれている。
騎士であるにもかかわらず毒剣を使ったことが公になれば、問題視される可能性が高い。
緊急事態だと言っても、名誉の方を重んじる者がいる。
だからこそ、忘れろと言ったのだ。
自分の権限で収めると。
ユーウェインは応えたいと思った。
第一王子の騎士として。





