1091 レーベルオード伯爵の晩餐会
「娘を守るために真摯に励み、息子と親しくしてくれていることを嬉しく思う。今夜は感謝と労いを込めてもてなしたい。遠慮することなく食事と会話を楽しんで欲しい」
レーベルオード伯爵は大物中の大物。
正直なところ、遠慮するなと言われても難しいというのが騎士達の本音。
ラグネス、サイラス、ハリソンの三人は訓練によって腹が空いているとばかりに食べることに集中した。
ユーウェインも同じようにすればいいと思っていたが、
「父上、ユーウェインを紹介します」
速攻で取り上げられてしまった。
「ルウォリス男爵家の者で、ヴェリオール大公妃付きと団長付きを兼任しています。今日は素晴らしい技能を披露してくれました。僕の双剣にも余裕で耐えてくれるので、これからも時間がある際には付き合って欲しいと思っています」
ユーウェインは気が重くなった。
余裕はまったくなかった。必死に耐えていたというのが正解だ。
パスカルの双剣術はユーウェインの予想をはるかに超えたレベルだった。
官僚の仕事をこなしつつ、どうやってあれほどの技能を維持できるのかも謎だ。
密かに訓練をしている可能性もあるが、天性の素質のように感じてならない。
初対戦でも疾走訓練でも負けた。
どうしようもなく悔しいというのが本音だ。
「お前の相手は大変だ。ユーウェインは迷惑だと思っているかもしれない」
大正解。
「ユーウェインは夜勤になったことで従騎士との対戦訓練がしにくくなりました。僕と訓練をした方が良いと思います」
「お前には強制するだけの力がある。十分に意思の疎通を図るように」
「わかっています」
レーベルオード伯爵が人格者で良かったとユーウェインは思った。
だがしかし。
「ユーウェイン、無理にとは言わないが、息子に付き合ってくれると嬉しい」
結局、そうなるのか。
だが、ユーウェインは数々の圧力に耐えてきた。
善処したくても仕事が優先だと言えばいいのもわかっていた。
「善処」
「してくれるか。良かった。訓練は大事だからな」
「嬉しいよ。善処してくれるなんて」
レーベルオード親子の迅速過ぎる対応により、すべてを口にすることは叶わない。
仕事が優先とだけ言えば良かった……。
ユーウェインは反省した。
晩餐会が終わると、別室へ移動することになった。
通常は飲酒や会話を楽しむためだが、明日は通常勤務がある。
ラグネス達は飲酒を遠慮し、レーベルオード伯爵も了承した。
「王族付きの護衛騎士が酔って醜態を晒すことは許されない」
「酒量はいつ勤務になっても差し支えないよう抑えておけ」
「遠慮するのが護衛騎士の心得です」
ラグネス達は今夜のような貴族からの誘いを受けた経験がないユーウェインのために、騎士としてどう対応すべきかについて教えた。
それを聞きながら、ユーウェインはまだまだ勉強することがありそうだと感じた。
「ラグネス、サイラス、ハリソン、ちょっといいかな?」
パスカルは他の部屋に処分品を用意しており、欲しいものがあれば無償で譲る旨を伝えた。
途端に三人の目の色が変わる。
「欲しい!」
「ぜひ!」
「光栄です!」
ユーウェインの名前だけが呼ばれない。
レーベルオード伯爵と二人きりにするためだとユーウェインは推測した。
パスカル達が退出すると、早速レーベルオード伯爵が口を開いた。
「突然ではあるが、私はかなり前からお前のことを知っていた」
近衛に逸材がいることは一部において非常に有名だった。
だが、近衛騎士団長であるディーグレイブ伯爵が後見人として牽制し、ノースランドもそれに加担していたために全ては水面下だった。
「ディーグレイブ伯爵は人格者だ。武人でもある。お前をこのまま近衛に留め置くのはためにならないと考え、外の世界を見せることにした」
ディーグレイブ伯爵は第一王子騎士団こそがユーウェインに相応しいと感じた。
だが、ユーウェインは王都で生活するために騎士になっただけ。命を失う覚悟で第一王子に尽くす気もなければ、王家への忠誠心も低い。
そんな者を第一王子騎士団に入れるわけにはいかないとラインハルトに拒否された。
ディーグレイブ伯爵とラインハルトは何度も激しく意見をぶつけ合った。
そして、第三者に調停を依頼することにした。
「私は二人の団長の間に立つ調停役になった。そこで、一年という期限付きで第一王子騎士団にお前を入れる提案した」
ただ入れるというだけではラインハルトが納得しない。
そこで、条件をつけた。
一つは極めて悪い条件での転職。
もう一つは近衛からの出向。
どちらにするかはユーウェイン自身に選択させる。
一年後、ラインハルトはユーウェインをどうするかを決めることができる。
要るなら正式に受け入れる。要らないのであれば退団させるか近衛へ戻すだけ。
つまり、一年間はディーグレイブ伯爵の要望を尊重し、一年後の結果についてはラインハルトの判断を尊重するというものだった。
ディーグレイブ伯爵とラインハルトはその提案を受け入れた。
「出向に自らの人生がかかっているのはわかっているな?」
「はい」
「お前は試されている。どのような結果を残すかではない。どのような選択をするのかについてだ」
もしユーウェインが生活や金稼ぎのためだけに騎士を続けたいのであれば、第一王子騎士団に長くいる必要はない。
一年が経過する前に自主退団し、給与や待遇がいい警備組織の採用試験を受けた方がいい。
なぜなら、近衛騎士団には居づらくなる一方だからだ。
ディーグレイブ伯爵が団長の内はいいが、いずれは別の者にその座を譲らなくてはならない。
次の団長候補はユーウェインを庇うだけの力がないため、遅かれ早かれ進退を考える時が来る。
経歴に傷がつく前に自主退団しなければ、いかに能力があっても公的組織や大手の民間組織には敬遠されてしまうといったことを、レーベルオード伯爵は淡々と説明した。
「急いで決めることではないが、ギリギリはやめておけ。何らかの事情で採用が見送られる状況もありえる。無職になってから次の職を探すのは回避すべきだ」
ユーウェインが騎士団を辞めるのであれば、住む場所も探さなければならない。
王都には家族も親族もいない。私的に助力してくれるような友人も知人もいない。
保証人がいないため、賃貸可能な物件が限られてしまう。
そうなると治安の悪い地域の物件を借りるしかなく、そのような場所に住んでいることが信用低下につながってしまう。
ろくな再就職先にありつけず、一気に人生が暗転するかもしれない可能性さえあることをユーウェインは教えられた。
「王都はエルグラードで最も繁栄している。だが、決して生きやすい場所ではない。お前はまだそれをよくわかっていない」
「そうでしょうか?」
「金を貯めているのは知っている。生活するために金が必要だと思っているな?」
「そうです」
当然のことだとユーウェインは思った。
「王都で生きていくためにどうしても必要なのは金ではない。人だ」
生活するには金がいる。
多くの人々はどれほど多くの金があれば一生困らないかを考える。
貯金をする者もいるだろう。
だが、金は尽きれば終わり。
完全になくならなくても不安を募らせ、自らを追い詰めてしまう者が大勢いる。
「本当に利口な者は、どれほどの友人がいれば一生困らないかを考える。金などなくても、生活や仕事、あらゆる面で支援してくれる。心もまた同じ。不安を拭ってくれるだろう。対価は友情だ。その力はとてつもなく強い。金をはるかに凌駕することをわかっている」
ユーウェインは何も言えなかった。
ただの理想論とは言い切れない。
そのような考え方が存在することに気づかされた。
「お前は人との結びつきを作っていない。それは王都で生きていくのに人が必要だとわかっていない証拠だ」
「……王都には一人で生きている者もいると思いますが?」
ユーウェインはそう言ったものの、振り絞るような言葉には力がなかった。
「王都にいて一人で生きる者を幸せだと思うのか? 人生に満足していると? これほど多くの人々がいるというのに、なぜ一人なのかと不思議に思わないのか? 孤独で不幸だと思う者の方がよほど多いだろう」
ユーウェインは反論できなかった。
「多くの者達と交流し、様々な情報を集めた方がいい。友人を作るのが手っ取り早くはある」
「それは……王太子派への勧誘でしょうか?」
「違う。この件については中立だ。でなければ、調停者として相応しくない。無用な心配だ」
「申し訳ありません」
「構わない。率直に聞いてくれた方がこちらも答えやすい。だが、第一王子騎士団にいるだけで、周囲はお前を王太子派だと思い始めるだろう」
近衛に戻る気であれば、注意しなくてはならない。
だが、近衛に戻ったところで仲間がいるわけでもない。
それがユーウェインの現状だった。
「個人的には、パスカルがお前をここへ連れて来たことに驚いた」
「私のような者に声をかけていただけたことに恐縮しております」
「お前のことをかなり信用しているようだ。でなければ、双剣の練習相手にしたいとは言わない。疲れた時を狙われては困るからな」
それはユーウェインも察していた。
相当な使い手でなければ、訓練にはならないというのはある。
だが、一番重要なのは自身の命を狙わない者だと確信できることだった。
「私の技量では力不足です。初戦でも負けました。気づいた部分は修正しましたが、それだけです。また別の部分で隙をつかれれば負けるでしょう」
それがユーウェインの本心。
パスカルには敵わない。少なくとも今は。
「お前はまだパスカルには負けてはいない。理由をつけて、勝手に負けだと思っているだけだ。本当に負けているのは自分自身に対してだ」
ユーウェインは愕然とした。
「お前は器用で大抵のことをそつなくこなしてしまう。ゆえに、心が動きにくい。これまでに心を動かしてきたのは喜びではなく、悲しみや苦しみ、悔しさの方ではないか?」
人は何かができること、やり遂げること、成功体験に喜ぶ。
ユーウェインは人よりも多くのことをしてきた。成功した。着実に上になっている。
しかし、強い喜びや達成感を感じながらここまで来たわけではない。
当たり前のことをしているだけ。
自分には能力がある。できて当然だと思ってしまうからこそ、喜びを感じない。
淡々としていた。
そのせいで、自身の中にある苦しみや悲しみを消せない。悔しさを晴らせない。
抑え込み続けるだけ。いつまで経っても劣等感が拭えない。
レーベルオード伯爵はそのことを懸念していた。
「王都にいるにもかかわらず、辺境区にいた時と同じような生き方をしているように思えてならない。王都民になったのであれば、王都民らしく生きるのも悪くないのではないか?」
ユーウェインは眉をひそめた。
「王都民らしく? それはどのような生き方でしょうか?」
ユーウェインは思いつくのは豊かな暮らしだ。
金を稼ぎ、良い場所に住み、美味しいものを食べ、様々な贅沢品を買う。
享楽的な生き方とも言える。
だが、レーベルオード伯爵がそのような生き方を勧めるとは思えなかった。
「全ての王都民が同じ生き方をしているわけではない。だが、私があえて口にするとすれば、多種多様なものが混在する中から、自らの心を動かすものを探す生き方だ」
ユーウェインは目を見張った。
「人の心を動かすものは多くある。だが、全員が同じではない。一人一人違って当然だ。ユーウェイン、お前は自分自身を金で売るか?」
「いいえ」
ユーウェインは迷うことなく答えた。
「世の中には自分自身を金で売る者もいる。だが、金が持つ力には限界がある。金では決して買えないものがある。お前のように強き信念を持つ者がそれを証明している。違うか?」
「違いません」
揺るぎない答え。
それを聞いたレーベルオード伯爵は安心した。
「立派だ」
「当然のことです。ですが、損なのかもしれないと思う時もあります」
ユーウェインは思わず本音を口にした。
「お前は優秀でありたい、それを示したいと思っているのだろう? だが、それよりも自らを金では売らないことを示す方がよほどいい。信用に値する。騎士に相応しい条件を持っていることをわかって貰えるだろう。自らの信念を隠すな。胸を張って誇ればいい」
ユーウェインは驚いた。
ずっと自分は最低最悪の騎士だと思っていた。
だというのに、レーベルオード伯爵は騎士に相応しい条件を持っていると言う。
胸を張って誇ればいい。
そんな風に言われるとは思ってもみなかった。
いつだって自身の気持ちを抑え、隠すのが最善なのだと思って生きて来た。
「自分のことは自分がよく知っていると思いやすい。だが、他者の方がお前の素晴らしさに気づくこともある。多くの人々から教えて貰うといい。自分の中にある素晴らしさを」
……言葉の中に英知が溢れている。強さもまた。
ユーウェインはレーベルオード伯爵の偉大さを感じずにはいられなかった。





