1084 黒い影
いつもありがとうございます。
念のため。途中に戦闘シーン描写があります。(逃げ逃げですが)
よろしくお願いいたします!
愛の日を境にして、急激に忙しくなった者は多い。
パスカルもその一人。
王太子夫妻が新婚旅行に行くと、重要事案の決済が相当遅れてしまう。
王太子がいる間にと思い、官僚達は全速力で仕事を進めていた。
パスカルの残業も深夜までが常。
もうすぐ日付が変わろうという頃だった。
夜更かしする気満々のセイフリードとの話し合いを終えたパスカルは部屋を退出し、庭園に面した通路を歩いていた。
……ここは暗いな。
セイフリードの部屋が決まった時からパスカルはそう思っていた。
本来、王族の部屋は二階以上。
最も侵入しやすい一階になることはない。
だが、セイフリードは書庫の確保を最優先にした。
二階以上は他の王族や重要な部屋があるせいで十分なスペースを確保できない。
パスカルとしても後宮から王宮に移るのをごねられるのは困る。まずは王宮に移動することを優先にした。
その結果、二階に儀礼的な部屋を設け、図書室や書庫などといった事実上の居室が一階になったという経緯がある。
現在は未成年であるセイフリードの情報には制限がかかっている。
だが、成人すれば今以上の注目が集まるのは必至だ。
優秀な頭脳の持ち主。容姿は絶世の美貌と謡われる第二王子の若かりし頃を彷彿とさせることもあって、人気が高まるのもわかりきっている。
王立大学ではすでに冷たく鋭い容貌に多くの視線だけでなく人気も集まっている。
人台車普及の影響を考えれば、エルグラードの将来を担う優秀な大学生に強い影響を与えているだけでなく、強く信望されていることも明らか。
そうでなくてもエルグラードの王族というだけで狙われる立場だ。
厳重な警備をするためにも、いずれは生活拠点を上階へ移したいとパスカルは思っていた。
そして、その懸念は現状に直結した。
庭園から突如現れた黒い影。
パスカルはすぐに剣へ手を伸ばすが、邪魔するようにナイフが飛んで来た。
剣を抜くよりもナイフを避けるのが先。
その一瞬は相手が距離を詰める時間になった。
片手に握られたナイフで近距離攻撃を繰り出され、剣を鞘から抜く間もない。
パスカルは冷静に攻撃を避けながら相手を観察した。
廊下であっても全身が黒い。
頭部は黒い頭巾だけでなく黒いマスクもつけている。髪色も瞳の色もわからない。
黒い手袋。首元にも黒い布を巻いている。
露出が一切ない状態だ。
襲撃者が自身の正体を隠すのは当然のことだが、対象者を殺してしまえば自分が何者かを知られても関係ない。
それを考えれば、自身の行動を制限するようなことはしない方がいい。
むしろ、隠す方が損なこともある。
黒装束の者は全身を隠しているからこその特徴があった。
マントはなく黒いローブを着ている。
袖口はかなり広い。
通常は武器を扱いやすくするために袖元を絞る。真逆だった。
足元も同じ。動きやすさを考えれば細身のズボンだけの方がいい。
だが、ローブはひざ下まで丈がある。スリットがあっても邪魔になりやすい。
力ではなく速さを重視した攻撃はしなやかさを感じさせる。
小柄ではないが、ローブのせいで体型がわかりにくい。
男性か女性かの区別がつきにくいこともまた計算の内かもしれない。
パスカルは攻撃を避けつつ柱の側まで来た。
柱を利用して次の攻撃を受けにくくし、その間に腰にある剣を抜くつもりだったが、相手にもその狙いはわかっている。
攻撃のタイミングが突然変わった。
避けられない!
パスカルは咄嗟に腕を上げて剣を防ごうとした。
一見するとパスカルの上着は貴族の者が着用する普通のものだが、防刃仕様になっている。
どれほど切れ味が良いナイフであっても、切断するのは容易ではない。
飾りボタンは金属。位置を合わせれば、突きであっても止めることができる小さな盾だ。
しかし、黒装束の者は後方へ飛び、距離を取った。
寸前で攻撃を止めたのと同じだ。
「用件は?」
パスカルは剣を抜かずに語り掛けた。
黒装束の者からは殺気が感じられない。
だが、攻撃は激しい。
パスカルの技量を見るためかもしれないが、怪我をさせるのが目的かもしれなかった。
ナイフを投げた後に新たな武器を取り出す可能性を考えていたが、片手はずっと幅広の長い袖の中に隠されたままであることも気になっていた。
「ケイコクスル」
「警告?」
次の瞬間、黒装束の者の背後の方から近づく者が鋭い一撃を放った。
黒装束の者はそれを見抜いていたかのように避けると、すぐに応戦する。
灰色の騎士服はヴェリオール大公妃付き。その腕前はパスカルも一目置くほど。
ユーウェインだった。
早めの交代だと聞いたユーウェインは急いでパスカルに合流すべく向かっていた。
そして回廊に来た際、パスカルが襲われていることがわかった。
廊下沿いに行くと遠回り。相手に気づかれ、逃げられやすくなる。
そこでユーウェインは周囲を警戒しながら庭園を突っ切り、相手の背後から攻撃を仕掛けることにした。
黒装束の者とユーウェインの戦いは先ほどまでとは全く違い、武器だけでなく殺気がぶつかりあっていた。
ユーウェインは相手を捕縛するつもりはなかった。
パスカルの剣の技量については多くの者達が知っている。暗殺するのであれば、技能よりも人数差で押し切るのが上策だ。
しかし、今は一人。
付近に仲間が隠れている様子もないということは、相手の技量が極めて高いことを示している。
そのような者を捕縛するのは不可能に近い。
自分の命を守るためにも、攻撃を緩める必要は全くないと判断した。
すでに本気の戦闘状態である二人は両手に武器を手にしていた。
ユーウェインは剣と短剣。
黒装束の者はナイフに加えてスティレット。暗殺者が好んで使用する武器だ。
パスカルも剣を鞘から抜いたが、戦いに加わろうとはしなかった。
下手に動けばユーウェインの動きを鈍らせ、隙を作ってしまう原因になりかねない。
それほどまでに速く激しい攻防だった。
……凄い。滅多に見られない光景だ。
パスカルは周囲を警戒しながら二人の戦いを見守った。
パスカルの見立てではユーウェインが負けるとは思えず、かといって相手を葬ることもできない。
厄介な騎士が来たと思った黒装束の者は隙を見て逃げる算段を整え、逃走するだろうと予想した。
そして、その予想はすぐに当たった。
黒装束の者はナイフを投げつけた。
弾き飛ばしてしまえば武器の数は一対二。ユーウェインが優勢になる。
ここぞとばかりに決めに来たユーウェインめがけ、黒装束の者は砂状のものを放った。
だが、ユーウェインもその動きも見逃さない。
瞬時に避けるために飛びのいた。
黒装束の者は庭園の暗闇へ逃げ込む。
袖から白い封筒が落ちた。
「追うな!」
追撃しようとするユーウェインをパスカルは止めた。
庭園の奥は暗い。その中では黒装束の者の方が目立ちにくく優位だ。
ユーウェインのズボンは白い。相手に位置を把握されやすかった。
元々黒装束の者はパスカルを殺す気はなかったと思われ、ナイフと封筒という二つの手がかりを残した。
危険を冒してまで追撃する必要はないというのがパスカルの判断だった。
ユーウェインはすぐにパスカルの判断を受け入れ、周囲を警戒しながら黒装束の者が残した封筒を拾った。
パスカルも手袋をつけ、近くに落ちていたナイフを手に入れた。
しばらくはパスカルとユーウェインの話が続きます。
番外編にするか悩んでいたのですが、本編に入れることにしました。
またよろしくお願いいたします!





