1080 ベルとシャペルの愛の日(二)
王家専用の礼拝堂には多くの赤いバラが飾り付けられていた。
それは王族が愛する者を喜ばせるために作らせた特別な光景だ。
エルグラードで最も気高く神聖な愛が宿る場所。
ここで多くの者が愛を告げて来た。
王族に仕えるほどの者であれば身分も高く立派な人物。爵位も財産も何もかも揃っているような者ばかりだっただろう。
ここで告白されて断った人っているのかしら?
純粋にベルは気になった。
「今夜は僕達が最後だよ」
シャペルが言った。
「予約時間が終わると片付けられてしまう。翌朝にはいつも通りだ」
どれほど素晴らしい飾り付けであっても、愛の日だけしか見られない光景。
それを見ることができるのは限られた者だけ。
王族の寛大さにすがり、予約を取ることができる者はより限られている。
「ベルはここを予約してどうする気だった? 見学したかっただけ?」
男性の予約理由は自分の気持ちを打ち明けるため。
結婚を前提とした交際の申込やプロポーズが圧倒的に多い。
しかし、女性側の理由は違う。
恋人と愛を感じる場所に行ってロマンティックな雰囲気に浸りたい。王族のための飾りつけを見たいという理由が多かった。
「教えてあげるわ」
ベルはシャペルの手を取ると、祭壇の下まで連れて行った。
「私を見て」
「もう見ている。ずっと。目が離せないよ」
「じゃあ、告白するわ。ごめんなさい」
シャペルの息が詰まった。
「ずっと忙しかったでしょう? 王族と王族妃に仕えているわけだし仕方がないって……甘えていたわ。シャペルが寂しかったのは当然よ。私は全然恋人らしくなかったもの。恋人失格よね」
自分が変わらなければとベルは思っていた。
恋人としてシャペルにもっと心を開くべきだと。
だが、できなかった。
前に進むのが怖くて逃げていた。
結婚の条件で必ず揉めるのがわかっていたせいで。
「シャペルは結婚を前提に交際を申し出てくれたけれど、私の結婚条件はかなり厳しいの」
シャルゴットは三つある爵位や領地を分けるつもりはない。
全てをヘンデル一人へ受け継ぐため、他の者は結婚と同時に爵位継承権の放棄をしなければならない。
持参金は平均よりも多いが、シャルゴットの総資産から見ればわずか。
次女ということでベルの持参金は長女のカミーラよりも少ない。
また、母親は青玉会の正会員になれるよう夫側が調えることを条件にしている。
そのためには結婚早々妻への財産分与をしなければならない。
非常識かつ金目当てだと思われてもおかしくない条件で、カミーラの縁談もそのせいで纏まらなかった。
王太子派の貴族であることとも条件の一つ。
シャルゴット、ヘンデルやカミーラ、ヴァークレイ公爵家に敵対しないこと。
細かい内容を上げればきりがない。
「全ての条件を揃えるのは大変だわ。だから、私は未だに独身なの」
ベルはシャペルを見つめた。
「シャペルとは交際を始めたばかりでしょう? しばらくは恋人としての期間を楽しんだ方がいいと思うわ」
女性を年齢で考える人はまだまだ多い。
ベルの祖父母や両親も同じ。
結婚適齢期と呼ばれる年齢を外れていくほど、婚姻条件の緩和を検討する。
「一年か二年すれば、結婚の条件も変わるはずよ。それまでシャペルの気持ちが変わらなかったら、私との将来を考えてくれればいいの。その方が気楽でしょう?」
「ベルは……僕と結婚したくない?」
「そうじゃないわ。ただ、今は結婚の条件が」
「関係ない!」
シャペルは叫んだ。
「僕はベルと結婚したい! 今すぐにでも! 結婚の条件は僕がつける。他の者が考えた条件は考えなくていい!」
一見すると、ベルとの婚姻は難しいように見える。
だが、実際はそうでもないことにシャペルは気づいた。
なぜなら、交際に反対しているベルの両親はシャルゴットの当主ではない。当主は祖父のシャルゴット侯爵だ。
そして、王太子派をまとめているのはヴァークレイ公爵家。
パスカルの助言を無駄にする気はない。
シャルゴット侯爵とキルヒウスを味方につける作戦に変更すれば良かった。
まずはより多くの情報収集に励み、シャルゴット侯爵に探りを入れた。
すると、シャルゴット侯爵はシャルゴット領が最上位にもかかわらず、三つの領地の中で一番領収入が低いことを気にしていることがわかった。
領収入を向上させる話があれば耳を傾ける。
ベルと婚姻したいからだということを明確に示した方が安心する。
シャルゴット侯爵とイレビオール伯爵夫人の仲が相当悪いことも活用できる。
シャルゴット侯爵夫妻は息子のために領地経営の補佐役になりそうな嫁を探したが、優秀かつ上昇志向が高い女性だからこその問題を起こした。
一つ目は仕事を優先してヘンデルを田舎領で産んだこと。
二つ目は青玉会の正会員になるため、紅芋事業で得た多額の資金を勝手に自分名義の個人資産に変えたこと。
三つめは青玉会の正会員の条件にこだわり、カミーラとキルヒウスの縁談を壊したこと。
シャルゴット侯爵はシャルゴットよりも自分の望みを優先する嫁に激怒し、離婚するよう言った。
だが、夫であるイレビオール伯爵は子供達の母親だと言って妻を庇った。
そのおかげでイレビオール伯爵夫妻の仲は良くなったが、シャルゴット侯爵夫妻との関係が悪くなった。
だからこそ、イレビオール伯爵夫妻がベルとシャペルの縁談に反対しても、シャルゴット侯爵夫妻も無条件で足並みを揃えない。
息子夫婦の意志よりも婚姻する孫達自身の意志を尊重した判断をする。
キルヒウスに近づくのも簡単だった。
出勤時間を合わせれば、通勤途中の廊下で顔を合わせることができる。
王太子府に書類を届けに行く役目もすれば、仕事上の関係もできる。
キルヒウスもまたシャペルが義弟に相応しい人物かを見極めるため、最終的な判断を下すまでは接触を避けない。
ベルのことを理由にしてキルヒウスの力になり、カミーラへの配慮もしっかり示せば、厳しくも正当な評価をしてくれる。
王族からも婚姻の許可については問題ないことを確認している。
新国王の下では王太子派と第二王子派を新国王派として一つにまとめようとする案もあるだけに、二つの派閥をつなぐ婚姻は歓迎されている状態だ。
政略結婚。
それは花嫁にしたい女性と確実に結婚するための入念な計画だ。
パスカルが政略結婚を選ぶのは当然だ。
より厳密に言えば、他者に押し付けられた政略結婚ではなく、自分から率先して選ぶ政略結婚。
そうすれば、自分を犠牲にしなくていい。それどころか、自分の思い通りにできる。
表向きは本心を隠したまま政略や家の益を掲げ、裏から知略の限りを尽くせばいいだけ。
それで解決。多くの人々に歓迎された状態で望む相手と結婚できる。
――恋愛は結婚してから楽しめばいい。どんな結婚かにこだわるよりも、愛する女性を妻にする方が優先だ。王太子殿下を見習うべきじゃないかな?
あれはパスカルの本心。
パスカルは自分と同じ選択を実行した王太子を、これまで以上に尊敬しているに違いない。
シャペルも同じ。
とにかくベルと結婚するのが最優先。
結婚という関係が二人の距離を一気に近づける。邪魔も防ぎやすくなる。
恋人としての関係を深めるのは夫婦という関係を深めるのと同時でいい。
但し、シャペルは王太子ほどの力がない。
そこでパスカルと同じ方法を取る。
政略結婚という建前を最大限に活用し、裏からしっかり手を回す。
自分で選んだ相手を絶対に逃さないように。
「ベル、愛している。幸せにするために全力を尽くす。僕と結婚して欲しい」
シャペルはベルの手を取ると、ポケットから取り出した指輪をはめた。
サイズはぴったり。
同じ部屋に寝泊まりしていれば、指輪のサイズを調べるのも簡単だった。
「これはベルの満月だよ」
丸い宝石は黄色。
王太子が自身にとって唯一の女性だと感じたリーナに贈ったのと同じ。イエローダイヤモンドだ。
「船のデザインはない。あれは王太子殿下とヴェリオール大公妃のものだから。でも、僕がベルの船になる。ベルの心が沈まないよう守るよ」
ベルは嬉しかった。
だが、喜びを不安が追い越した。
「シャペル、でも」
「僕に任せて。ベルが笑顔になれるようリードするから」
シャペルは優しく微笑んだ。
「大丈夫だよ。僕達は最高のペアだ。どんな人生も手を取り合って進んで行ける」
ベルはシャペルを見つめた。
不安な表情はいつの間にか消えていた。
明るくて、優しくて、自信に溢れている。
ああ、これって……。
ベルは気が付いた。
今のシャペルはダンスフロアに向かう時のようだと。
「そうね。私達、最高のペアだと思うわ」
ベルは答えた。
「大変なことも難しいことも沢山あると思うの。でも、シャペルと一緒なら大丈夫よね?」
「側にいる。ずっと」
シャペルは答えた。
「もう決めたんだ。外堀も埋めた。キルヒウスが領地での結婚式に招待してくれる」
「なんですって!」
ベルは初耳だった。
「カミーラのブライズメイドはベルだから、キルヒウスの介添人は僕が務めることになった。王太子夫妻からの使者も務める。この意味、わかるよね?」
王太子夫妻、キルヒウス、ヴァークレイ公爵家はシャペルとベルの関係を認めている。
その意向はカミーラの親族側として出席するシャルゴット侯爵夫妻やイレビオール伯爵夫妻にも明確に伝わる。
シャルゴット侯爵夫妻は喜ぶ。孫娘にも領地にも良縁だ。
イレビオール伯爵夫妻は反対できない。
王太子夫妻、ヴァークレイ公爵家、シャルゴット当主の意向に背くことはできないからだ。
「夫婦で結婚生活と恋愛を同時に楽しもう。その方がお得だよ。王太子夫妻を見習えばいい」
「王太子夫妻は本当に仲が良くて幸せそう。私達もそうなれたら素敵ね」
ベルは笑顔を見せた。
「王家専用の礼拝堂でプロポーズを受けると幸せになれるんですって。断りにくいわよね?」
「断れないよ」
シャペルは答えた。
「王家専用の礼拝堂でプロポーズする者は絶対に断られないようにしてから伝えなければならない。守護神と王家の怒りを買うわけにはいかないからね。だから、最後の最後まで迷った。僕が告白するとベルの未来が決まってしまう」
ベルが断っても、勅命による婚姻という最終手段がある。
その方法を願い出ることができる者だけが、王家専用の礼拝堂でプロポーズすることができるとも言う。
「幸せな未来なら決まった方がいいわ」
ベルは決心した。
最後の最後まで迷っていたのはシャペルと同じだった。
「私達、今夜から本物の恋人ね。婚約者というべきかしら? だから、もっと幸せにしてくれない?」
「勿論だよ。幸せにする」
シャペルは答えた。
ベルはじっとシャペルを見つめた。
シャペルは優しく微笑み返してくれる。
いつもであればそれでいいが、今夜は駄目だった。
なぜなら、愛の日だから。
「大事なことを忘れていない? 約束の証としてキスをしないとでしょう?」
「それって……キスをしてもいいってこと?」
とても大事なことだけにシャペルは確認した。
「愛の日の贈り物よ。シャペルは私の特別で大切な人だっていう証拠。受け取ってくれる?」
「当たり前じゃないか! あまりにも嬉しくて……胸がいっぱいだよ!」
「満足するのはキスをした後にしてくれる? ちなみに私からの特別な贈り物を気に入ったかどうかも聞くわよ」
「決まっているじゃないか。最高だよ」
おしゃべりはそこまで。
愛の贈り物を届ける時が来た。
特別な気持ちを伝えるために、二人の唇が重なり合った。
「……ベル、いっそのこと今夜結婚しない? 僕達は白い衣装だ。二十四時間婚姻を受け付けてくれる聖堂へ駆け込むこともできる」
「それは駄目。婚約期間を楽しみたいの」
ベルは微笑みながら答えた。
「カミーラの結婚式で私の婚約者だって紹介したいわ。夫だって紹介したらカミーラとかぶってしまうでしょう?」
「キルヒウスとカミーラの不興を買ったら大変だ。大人しくしておこう」
「じゃあ、行きましょう。私達の部屋へ! 今夜は添い寝を許してあげる。あくまでも添い寝だけよ。いいわね?」
奇跡だ! 人生最高の愛の日だ!
シャペルはベルを幸せにすると約束したが、自分の方が幸せになってしまったと感じた。
それが二人で過ごした初めての愛の日。
特別な思い出になるのは間違いなかった。





