1077 パスカルの愛の日(三)
パスカル、オスカー、ロスターを乗せた馬車はウォータール・ハウスに到着した。
向かう場所に行くためには、ドレスコードの衣装が必要だった。
パスカルはオスカーとロスターが着用する衣装を見せた。
黒いローブ。
下に着る服も全て同じデザインだ。
「全員同じってこと?」
「そうだよ。僕も同じものを着用する」
今回のドレスコードは赤と黒。
女性は赤いローブと厚底靴、男性は黒いローブと黒い革靴を着用することになっている。
他の部分は自由だが、軍や騎士の制服では困る。
そこで防刃仕様の服を用意したことをパスカルは伝えた。
「愛の日っぽいね?」
「愛の日だしな」
「これから向かうのは秘匿性の高い社交クラブが主催する舞踏会だ」
会員は上位・中位・下位の三種類で、下位は入会していない招待客や会員の紹介客。
差はあるが、会員であることは同じ。
そして、会員同士だからこそ、本来の身分に関係なく話しかけることができる。
ただ交流するだけの場所ではない。秘密のやり取り、裏話や商談もある。
この社交クラブの会員になるのは難しく、通常の社交クラブであれば大歓迎されるような人物であっても入れない。
口の軽い者は問題外。
秘匿性の高い社交クラブは数多くあるが、不法行為の温床になりえる。
この社交クラブについては公安が調査中であることをパスカルは説明した。
「公安か」
「父親に頼んだな?」
パスカルは微笑んだ。
「愛の日は贈り物をする。欲しいものがあるといっておねだりしてみた」
最初は情報のみ。
だが、パスカルは満足できなかった。
会いたい。直接。
そのことを父親に伝えると、考えておくと言われた。
そして、結局は手配をしてくれた。
「公安とレーベルオードの者も数名配置されているらしい」
「父親の愛だね」
「よく許したな?」
「部下を行かせる方がいいとは言われた。でも、愛の日だからね。信じてみようと思った」
「何を?」
「幸運を」
パスカルは迷うことなく答えた。
「神の愛を期待する者がいるよ?」
「運任せとも言う」
二人の友人達は笑いながら着替え始めた。
黒塗りの馬車が到着したのはウォータール地区内にある豪奢な屋敷の一つだった。
「え、ここ?」
「ウォータールにあるとは思わなかった」
ウォータール地区はレーベルオード伯爵家の所有地。
公安が調査中の社交クラブがあれば、レーベルオードが見過ごすわけがない。
「前は違う場所だった。でも、借りていた屋敷の一つが契約終了になって、こっちに移って来た」
社交クラブは高級感を売りにしているだけに、相応の場所と建物が必要だ。
ウォータール地区なら知名度も抜群、何かと見栄えがする。
他の場所よりも賃料がかかりやすいが、以前借りていた屋敷もかなりの値段だった。
敷地が小さいために庭園部分が少ないが、同じような値段でウォータール地区の物件に空きがあるということで新規契約をして現在に至る。
「資金力がある証拠だ。でも、その資金の出所がよくわかっていない」
「レーベルオードは迷惑じゃない?」
「厄介な住人が増えた」
「そんなことはないよ。出入りする者を調べやすくなる。もしかすると、父上が手を回して空き物件を紹介させたのかもしれない。さすがに公安のことは僕にもわからないけれどね」
「ありそう。内務省だしね」
「裏のことだしな」
「普通に過ごすだけなら問題ないはずだけど、気を付けて欲しい。飲食物やローブに隠された武器にも」
社交クラブの規則において、屋敷内での違法及び問題行為は厳禁。破った会員は除名されることになっている。
基本的には身分に関係なく様々な人物と知り合うための場で、重要な話がある場合は社交クラブとは関係のない場所で行うことになっている。
何か問題が起きても社交クラブが責任を問われないようにしているのだ。
「最後にこれを」
パスカルは仮面を取り出した。
顔の上半分を隠すデザインだ。
「下位は白。中位は灰色で、上位は黒らしい」
「しっかりと隠す感じが怪しい」
「だんだん黒くなるのは皮肉か?」
社交クラブを利用するほど、裏の世界にはまっていくという意味で。
「そうかもしれないね」
三人は仮面をつけた。
豪奢な屋敷だけに内装も豪奢だった。
だが、今回は愛の日の舞踏会だけに、特別な装飾が施されている。
エントランスホールの床一面に敷き詰められている赤いバラの花だ。
全て造花だが、やや暗めの照明と相まって本物そっくりに見える。
愛の日に赤いバラはわかる。
だとしても、その赤いバラを踏みつけながら奥へ進むという趣向に、パーティーの参加者達は早速飛びついた。
「こんな飾りつけは見たことがない!」
「なんて特別なの!」
壁一面にバラの花なら見たことが幾度となくある。
だが、床だ。
赤いバラの花びらが敷き詰められているのであれば珍しくもないが、造花とはいえ花そのものを飾っているのはあまりにも珍しい。
しかも、あえて踏みつけながら進むという趣向は、エルグラードだけでなく世界初の趣向ではないかと思えるほど斬新だった。
「花びらではないなんて……」
「予想外だわ!」
「ゴージャスね!」
「造花の方が生花よりも高額だというのに」
「なんて贅沢なんだ!」
「ユニークだ」
「ユーモアか?」
「この趣向を考えた者は天才だ」
「奇才かもしれない」
笑い合う男女は下位会員ばかり。
入会していない招待客や紹介客が多くいるということだ。
パスカル達は赤いバラを踏みつけながら奥へと進んだ。
布地で作られた高級造花を踏みながら進むのはさすがに初めて。
その感触は特別に慣れてしまったような者にとっても特別だ。
この社交クラブがいかに普通ではないかを証明しているかのようだと三人は感じた。
「女性は歩きにくいかもね?」
「流行りの厚底靴なら平気だろう」
「ドレスコードが厚底靴なのはそのせいかもしれない」
辿り着いた大広間は赤い絨毯。
「花畑を脱した」
「あの床では踊りにくい」
舞踏会だけに踊るのはかかせない。
「それで?」
「どうする?」
「待つだけだよ」
容貌については調べたが、わからないのと同じ。
なぜなら、いくらでも変装できる。
仮面は顔を隠し、ローブは体型を隠す。
上位・中位・下位の会員かどうかもあてにならない。
誤魔化しにくい部分もあるが、パスカルは目当ての人物を発見できるとは思っていなかった。
向こうからパスカルを見つけ、接触を計ってくるのを待つつもりだ。
だからこそ、パスカルは変装しない。
金の髪と青い瞳。本当の自分だ。
「壁の花だな」
「確かに」
「来たばかりじゃないか」
パスカルは微笑んだ。
「踊って来てもいいよ? 僕はしばらくここにいるけれど」
「行かない」
「同じく」
オスカーとロスターはパスカルの護衛として同行しているつもりだ。
そのまま時間が過ぎる。
「そろそろ部屋を変えよう」
「いいね」
「そうしよう」
三人は会場になっている部屋を順番に回った。
エントランスに近い方の広間は下位の会員がほとんど。
その奥に進むほど、中位がいる。
高位は少ない。
二階を始めとした様々な場所に、舞踏会の会場以外の場所に立ち入らないよう規制するロープや看板、係員が配置されていた。
「普通な感じ」
「誰にも誘われない」
「男性ばかりの三人で固まっているからじゃないかな?」
知り合いでなければ声をかけにくく、ダンスにも誘いにくい。
わかってはいるが、オスカーとロスターは側を離れる気はなかった。
パスカルは目当ての人物と会いたいかもしれないが、オスカーとロスターは安全が最優先。
息子を心から愛する父親に、一緒についていながらなぜと問い詰められたくない。
「失礼ですが」
上位会員の男性が話しかけて来た。
プラチナブロンドと空色の瞳だ。
「私の知り合いがぜひ踊って欲しいと」
男性の側には厚底靴のせいか背の高い女性がいた。
同じく上位会員。
赤茶色の髪。
空色の瞳は控えめな性格をあらわすかのように伏せられているのに対し、赤い唇は妖艶な雰囲気を漂わせている。
「誰と踊りたいんだ?」
ロスターが尋ねた。
「誰と?」
男性が確認すると、女性はパスカルの前へ手を出した。
ローブの袖が長い。
見えるのは赤い手袋の指先だけ。
「貴方のようです。一曲で構いません。お願いできませんか?」
男性に頼まれたパスカルはにっこりと微笑んだ。
「ぜひ」
「いいの?」
オスカーが尋ねた。
その表情は不愛想。
反対を示していた。
「一曲で戻るよ」
パスカルは女性の手を取り、エスコートしながらダンスホールへと移動した。
有名なワルツの調べにのって、パスカルと女性は完璧なダンスを披露した。
「名前を聞いても?」
パスカルが尋ねた。
女性は手を動かし、唇の上に指を一本。
秘密という意味だ。
「また、会えるかな?」
女性は首を傾けた。
わからないという意味。
「仲良くしたい。可能であれば」
女性は空色の瞳をまっすぐにパスカルへ向けた。
そして、ローブから少しだけはみ出た指先が黒い仮面に添えられた後、パスカルの仮面を指差した。
自分は黒。パスカルは白。
立場が違う。
そう言いたいのだ。
「いつか本当の姿を見てみたい」
女性は微笑むと、顔を横に向けた。
最初に話しかけて来た上位会員の男性がすぐ側にいる。
会話は終わり。ここまでだ。
「ありがとう。素晴らしい思い出になりました」
「僕も同じ気持ちです」
「では」
男性は女性を連れて行ってしまった。
パスカルの側にオスカーとロスターが来た。
「フラれたね?」
ニヤニヤとしながらオスカーが声をかけてきた。
「そうだね。でも、思い出にはなったよ」
「それだけでいいのか?」
ロスターが尋ねた。
「僕が願ったのは特別な出会いだけだ。そして、叶った。十分だよ」
「確認のために聞くけど、どっち?」
男性と女性と。
「女性に決まっている」
ロスターが答えた。
「会話を切ったのは向こうだ。パスカルじゃない」
「やっぱり?」
「踊ればわかるよ」
パスカルは答えた。
「見た目や動作はほぼ完璧だったと思う。でも、手は無理だ」
上位会員は個室を持っている。
パスカルと踊った女性は男性にエスコートされ、二階にある一室へと入った。
男性がドアを閉める。
するとその途端、女性の足取りが変わった。
「どうでした?」
「ずっと微笑んでいた」
「どこから見ても美しいからです」
「見破られた」
でなければ、あれほど話しかけてくるわけがない。
「まさか! どこから見ても完璧ですが?」
ノックが響いた。
「報告が」
「入れ」
男性が答えると、中位会員の男性が入って来た。
「見破られていたようです」
「そんな! どうして?」
「見た目や動作はほぼ完璧だと言ってました。ただ、手は無理だと」
上位会員の男性は驚愕した。
どれほど巧妙に変装しても、誤魔化しにくい部分がある。
背の高さはその一つ。だが、厚底靴をドレスコードに指定することで、女性でも背が高い者を多くした。
首も女性らしいレース飾りで隠した。
声も出さない。
正体を教えたくない会員は大広間で声を出さない。それもおかしくはない。
だが、手の大きさだけは変えようがない。
ダンスをすれば、手が触れ合う。
手袋をしていても、誤魔化せなかった。
「ボスが負けるなんて!」
「負け?」
女性に扮したボスは苛立ちをあらわにした。
「勝負はしていない。パスカルが来ただけだ」
こちらのテリトリーに入って来た。
但し、先にテリトリーを侵したのはボスの方。
ウォータール地区はレーベルオードの所有地だ。
ウォータール・ハウスを調べるために好都合と思ったが、向こうも同じ。
自分達を調べるのに好都合と思ったのだ。
だからこそ、パスカルが乗り込んできた。
それも、想定内。
愛の日であることも。
「用心しろ。愚者はここへ呼ぶな」
「わかりました」
「ボス、危ないならさっさと引き上げた方がいいんじゃ?」
「来たばかりだ。すぐに引き上げれば、今以上に怪しまれる」
「それもそうですね」
「問題ない。化かし合いには慣れている」
ボスはカツラを外した。
現れたのはプラチナブロンドの短髪。
だが、本当の髪色ではない。生まれた時の髪色だ。
赤いローブと首元のレース飾りを取れば、細身にぴったりの黒いシャツとズボンが現れた。
仮面をはずすと、妖艶な美貌があらわになる。
ボスは女性に見えるよう施した化粧を濡れたタオルでふき取り、黒い仮面をつけなおした。
そして、黒いローブと手袋をつける。靴も履き替えた。
どこから見ても美しい男性だ。
「どうだ?」
「口紅がまだ」
「少しだけ残ってます」
「戯れの跡だ」
ボスはタオルを掴むと口紅を完全に拭い去った。
「戯れですか」
「確かに!」
パスカル・レーベルオードと踊るのは戯れ以外の何物でもない。
あるいは、愛の日だからこそ実現した特別な出会いかもしれなかった。





