1074 ヴァークレイ子爵夫妻の愛の日
愛の日はカップルの日。
夫婦のカップルにとっても大事な日だ。
新婚のヴァークレイ子爵夫妻は早起きすると、愛の神殿で行われる特別な催しに参加した。
「愛の女神の祝福があらんことを」
カミーラはキルヒウスと共に最前列に座り、大神官から祝福の言葉を贈られた。
愛の日の催しに参加するのは純白の舞踏会並みに参加権の争奪が激しい。
最前列ともなれば相当な寄付か強力なコネがなければ不可能。
いつの間に参加権を確保したのかと不思議に思いながらも、カミーラは幸せな新妻にしか見えない笑みを浮かべていた。
「ブランチに行く」
向かったのは最高級ホテル。
愛の日だけに朝からカップル客が多く、特別な食事を堪能していた。
「今年はハートですね」
愛の日の特別コースのテーマはハート。
ハート型のパンケーキ。赤いベリーソースでハートに描かれ、二つのハートになっている。
「朝食コースは丸いパンケーキにベリーソースでハートが描かれたものだ」
キルヒウスは予約したコース以外のメニューについても情報を得ていた。
「朝食とブランチでわざわざパンケーキの形を変えているのですか?」
「そうだ」
「ランチも違う形なのでしょうか?」
「丸形だ。皿にソースでハートが描かれている」
「ブランチが一番素敵です」
「そうだろうと思った」
キルヒウスは王太子付き情報官でヴァークレイ公爵家をいずれ継ぐ者でもある。
様々な情報を持っているだけでなく、欲しいと思った情報を集めることもできるだけの力があった。
妻が喜びそうな食事の情報についても集め、吟味し、予約をしていた。
「今の時間に食事を取るとランチはなさそうです。この後はどうされるのですか?」
「散歩に行く」
カップルで散歩も定番中の定番。
平日に仕事を休んで行くとなれば、優雅なだけでなく贅沢に値する。
しかも、キルヒウスは王太子の側近だ。
妻と過ごす特別な日をいかに重視しているかがわかりやすい。
「ヴァークレイ子爵夫妻にお会いできるなんて!」
「奇遇ですな」
「お仕事は?」
「休まれるなんて!」
「愛されておりますのね」
「最高の贅沢ですわ!」
高位貴族御用達の有料公園に行けば、同じように過ごすカップルがいる。
カミーラとキルヒウスを見つけると必ず挨拶をしにやって来るのは、それだけ二人が無視できない存在であることに加え、社交の話題になると踏んでいるからだ。
「愛の日らしいですね」
「そうだな」
夫婦の会話はさっぱりしているが、カミーラは社交も兼ねた散歩にご機嫌だった。
温室で美しいバラの花と香りを堪能する時は社交用の笑顔ではなく心からの笑みを浮かべた。
「バラの季節ではないというのに凄いですわ!」
キルヒウスはここをデートコースに入れて正解だったと思った。
「歩き疲れたのではないか?」
大丈夫と答えるのは不正解。相手の計画に合わない。
社交上手で知られるカミーラは正解が何かをわかっていた。
「少し」
「休憩しよう」
「特設のカフェがあるようですね?」
カミーラは愛の日のために公園内に設置された特設のカフェが気になっていた。
そこに行くつもりではないかと予想したが、
「あそこは予約できない。席が空くまで待つだけ無駄だ」
「では他の所に?」
「当然だ」
キルヒウスと一緒なら普通のカップルのように席が空くのを待つのも悪くはないとカミーラは思ったが、ヴァークレイ公爵家の特別な跡継ぎとして育てられたキルヒウスにその選択はなかった。
馬車で移動した先はデパート。
ここ?
カミーラは不思議だった。
このデパートは貴族用ではあるが、最高級どころか高級でさえない。
貴族用を謳っているだけの標準的なデパートだった。
そこでより上位で裕福な貴族客を増やすため、高級ティーハウスを作ったという情報は知っている。
もしかして、そこに?
カミーラの予想は当たり。
キルヒウスは高級ティーハウスの席を予約していた。
愛の日特製のアフタヌーンティーセットを注文する。
「ピンクのマカロン! しかも、ハート型だなんて!」
カミーラは好物のマカロンを見つけて喜んだ。
しかも、ピンク。ハート型。
マカロンだけ見れば、完璧としか言いようがない。
「愛の日のティータイムは混雑するため、午後であれば特別なセットを注文できる。席を予約するとピンクのマカロンがつくが、ハート型は先着十四名までだ」
なぜキルヒウスがこの店の予約をしたのかがわかった。
愛の日に特別なサービスを提供する店の中から、カミーラの嗜好に最も合いそうなものを選んだ結果だった。
好物をわかってくれていることも嬉しいが、ピンクのハート型はプレミア度がより高い。
社交の話題としてうってつけだった。
「愛を感じます」
夫の。
「それは良かった」
一足早いティータイムを楽しんだ後は、そのままデパートの売り場へと向かう。
「先に謝る。仕事がある」
突然の宣言だったがカミーラは驚かなかった。
「基本的には休みですが、何かお手伝いをすることがあるとか?」
ヴェリオール大公妃付き側近補佐のカミーラは休みを取った。
但し、条件として王太子側近キルヒウスの仕事の手伝いを少しだけすることになるとヘンデルから聞いていた。
てっきり兄が休みを取れるよう気を遣ってくれたのだと思っていたが、本当に仕事があり、その手伝いをするためだったのだと理解した。
「数時間だけだ。どの程度かかるのかはカミーラにかかっている」
カミーラの表情が引き締まった。
「どのようなお仕事でしょうか?」
「買物だ」
後宮の購買部では高級品を扱っているといわれている。
その説明として比較されるのが貴族用のデパートだ。
だが、今は数多くのデパートが多くあり、扱う品も増えた。
キルヒウスの認識では最高級・高級・やや高級・普通・庶民の五級。
貴族が使うのは普通以上。庶民デパートを利用する者はほとんどいない。
自分の認識を説明した後、キルヒウスはカミーラの認識について尋ねた。
「少しだけ違います」
貴族がよく使うのはデパートという認識は同じ。
贔屓にしている高級店を愛用する者も多いが、様々な品を取り扱っているデパートの方が便利。
最近ではデパートの中に高級店が間借りしており、オーダーメイドのドレスだけを扱っているような店もある。
ただ、庶民デパートを使う者は意外と多くいる。
「貴族とはいっても裕福な者ばかりではありません。領地もなく称号だけ、名誉だけ、財産なしという者もいなくはありません。実家の財布と個人の財布が別であるせいでもあります」
貴族という言葉が指し示すのは広範囲。
それは貴族籍を持つ者だが、貴族籍を持つ者全員が爵位を持っているわけではなく、裕福なわけでもなかった。
「平民と親しくしている者は平民と一緒に買い物をするので、一般の店にもよく行きます。庶民デパートもその一つで、あまりの安さに虜になる者もいます」
貴族はその身分に相応しい装いをしなければならないという暗黙の了解がある。
王宮に参上するための服装規定があるのだ。
それだけに最低でもこの程度という基準が服装だけでなく生活の様々な部分にも影響を与え、何かと金がかかりやすい。
だが、何らかのきっかけで貴族用ではないごく普通の店に行くと、その安さに愕然とし、愛好者になってしまう者もいる。
「一般的にはプチプラと言うそうです。小さい価格の略です」
「なるほど」
さすが妻は社交家だけに情報に通じているとキルヒウスは思った。
「お前はプチプラが好きか?」
カミーラはためらった。
いずれ公爵夫人になる者として相応しい答えをしなければならないのはわかっている。
だが、尋ねているのは夫。嘘はつきたくない。
「値段以上の価値を感じられるのであれば良いことだと思います。決して安ければ何でもいいという意味ではありません。自身の嗜好や選択肢の中の一つとして、プチプラと呼ばれるような品があっても問題ないという意味です」
「プチプラと呼ばれる品を所持しているのか?」
カミーラは答えにくいと思った。
だが、愛する夫は寛大だ。よほどのことがなければ。
「……あります」
「どのような品だ?」
「ペンです」
無難な答え。
実はそれ以外にも多くの品を持っている。
カミーラは化粧品が好きなため、大量のプチプラ化粧品を所持しているのだ。
最近は仕事をしていることもあり、文具でもプチプラと呼ばれるものが増えた。
後宮の購買部で売っているものは高い。デザインも装飾も貴族らしくていいが、お高いのだ。
仕事用は買物部や王宮購買部、友人から貰ったまま使わずに埋もれていた価格がわからないような品を活用するようになった。
「ベルもプチプラなものを好むようです」
ベルは次女という立場のせいで予算が低かった。
何かあればカミーラのお下がりでいいと両親や祖父母に思われていたのだ。
そのせいかカミーラよりも身分が低い友人が多く、予算が少ないことを共に嘆きながら、その中で気に入ったものを見つけるために工夫していた。
おかげでプチプラと呼ばれる製品についてはカミーラよりも知っている。
とはいえ、あくまでも貴族の令嬢におけるプチプラだ。
一般庶民のプチプラとは違うと思われるが、カミーラはその情報力を高く評価していた。
「正直に言えば、こちらのようなデパートはベルの方が詳しい気がします」
カミーラもその友人も利用するのは高級デパートだ。
「恐らくはそうだと思ったが、普段とは違う場所で買い物をするのも経験になる」
キルヒウスは仕事としてここで様々な商品を買わなくてはならなくなった。
王太子は後宮の購買部で売られているものを高級品で、デパートと呼ばれる店で売られているような商品だと認識している。
だが、デパートにも色々なものがある。
そこで側近達に命じ、デパートと呼ばれる店でどのようなものがいくらぐらいで売られているかを調査することになった。
そして、リストアップされた情報だけでなく、実際にデパートに行って指定された種類の品々を見本として買って来ることになった。
「ティーハウスを予約していたため、仕事もここのデパートで行うことにした。移動時間が無駄にならない。夫婦で担当すれば、男性用品も女性用品も買えるだろう」
「どのようなものを買えばよろしいのでしょうか?」
「調査対象は衣装だ。下着や寝間着も含まれる。靴も必要だ」
日常的に使用するものや外出用の服も買わなくてはならないが、夜会やパーティーに出席する際に着用する礼服やドレスは必要ない。
「目安としては、侍従や侍女が私的な休日に着用する普段着や外出着だ」
カミーラはピンと来た。
「それは……後宮購買部で販売する衣装の下調べということでしょうか?」
「私が命じられたのは対象商品の価格帯と見本としてのサンプルを手に入れることだ」
まずは二時間。それぞれが男性用品と女性用品のフロアに行き、目につく品を予算分だけ購入する。
勿論、何でもいいわけではない。このデパートで扱う価格帯をあらわすような高いものと安いもの、中間程度のものを買う。
その後は、価格に関係なく自分が良いと感じたものを買う。
但し、自分のものではないため、サイズはSからLLまで買うこと。
「見本ということを忘れるな。同じ商品を買ってもいいが、サイズ違いや色違いにするような工夫をする。完全に同じものを二つ買ってはいけない」
「予算は?」
「十万ギールだ」
このデパートの価格帯なら余裕だ。
使い切るようにすると、千点以上を選ばなければならない。
「私は半分ということですね?」
「いや。女性用で十万ギールだ。王太子殿下のポケットマネーだけに吟味して選んで欲しくはある。誰が購入して来たかも報告する以上、無責任な選び方はできない」
「わかりました」
「この小切手を使え。個人的に欲しいものは自身の小切手で立て替えて欲しい。同じ分の小切手を後から渡す」
「では、二時間後に」
「頼んだぞ」
二人は頷き合うと、女性用と男性用のフロアへと移動した。
「お嬢様、よろしければお手伝いいたしますが?」
カミーラの服装を見た店員が早速上客だと感じて寄って来た。
「実は言うと、お忍びの外出中なの。ここへは初めて来たので、店員を集めてくれるかしら? 十人以上必要よ。普段着と外出着と下着と寝間着と靴、靴下も買わないと」
旅行を控えているため、買い揃えるものが多くある。
行先は地方。目立ちすぎると困るため、普段よりも控えめな商品を探している。
自分用だけでなく、同行者や親戚に譲るものもある。
カミーラは店員が納得しそうな理由をスラスラと伝えた。
ちなみに嘘ではない。結婚式のために地方へ行く。その時に活用できそうな服も購入するつもりだった。
「予算は十万ギール。買えるだけ買いたいと思っています」
カミーラは小切手帳を見せた。
嘘ではなく、本当に買う気だと示すためだ。
「夫は男性用のフロアに行ってしまったわ。二時間以内の制限つきです。とにかくできるだけ多くの商品を運んでくれるかしら? 急いで決めて買いたいけれど、歩き回って買い物をするのは無理よ。でも、このフロア全ての商品を買うと、予算オーバーでしょう?」
「かしこまりました! ぜひ、特別室へどうぞ! 私どもの方で商品をお運びいたします!」
カミーラは上客用の特別室へ案内された。
店員を駆使して目当ての商品を集め、効率よく買い物をするのは常套手段。
予算もケチらないという意味で教えておく方がいい。
旅行のため、夫のせいで時間制限ありなどと要点を伝えておけば、店員もその情報に応じて素早く動いてくれる。
「できるだけワンピースタイプにして頂戴。色違いも柄違いも全て揃えて。召使い用にするかもしれないので、サイズもSからLLまで網羅して」
「かしこまりました!」
「選別して持ってきます!」
「下着はシンプルなものから上品なものまで揃えて。色は白を多めに。カラフルにする必要はありません。セクシーなものは除外しなさい。寝間着も同じです」
「はい!」
「そのようにいたします!」
「靴もシンプルなものを多めに。ヒールも低いものだけにするわ。代わりにカラーを豊富に。ワンポイントの装飾なら色々な服と合わせやすいでしょう。流行ものとお勧めの商品も持ってきて」
「お任せを!」
集まった店員は三十人。
二時間という時間制限があるため、別のフロア担当も動員され、カミーラの指示に従って商品を集めることになった。
二時間後。
「どうだった?」
キルヒウスは浮かない表情だった。
高級なデパートよりは既製服が多いため、とにかく買い漁ればいいだろうと考えていたが、価格帯が低くて思うように使いきれなかった。
「ぴったりとはいきませんでしたが、それなりに」
カミーラは店員に作成させた領収書を見せた。
それなりどころか、ほとんど使い切っていた。
「……よく買えたな?」
「ご期待に添いたくて」
カミーラはそう言いつつ、キルヒウスの腕に寄り添った。
「キルヒウス様に褒めていただけるのは特別なので」
「期待以上だった」
「嬉しいですわ。それにとても気分が良かったです。プチプラ大量買いの醍醐味を味わえたのは良い経験になりました」
満足気に微笑む妻を見て、やはりここにして正解だったとキルヒウスは思った。
「自分用のものは買ったか?」
「いいえ。自分のものは吟味して買うようにしているので、どうしてもと思えるものはありませんでした」
「そうだろう。ヴァークレイが利用している店へ行く。今夜のために特注のドレスを作らせた。着替えたら王立歌劇場でオペラと社交を楽しむのはどうだ?」
何から何まで完璧だわ……。
カミーラは胸がいっぱいになった。
結婚式がすぐにできず、婚姻届だけ先に出すような結婚になるとは夢にも思わなかった。
だが、結婚式の話し合いで揉め、婚約破棄の二の舞になるよりはましだった。
冬籠りもある。聖夜もある。新年もある。
仕事も多忙。
新婚旅行を兼ねた領地での結婚式が待ち遠しくて仕方がなかった。
だが、その前に特別な日が訪れた。
愛の日。
仕事に打ち込んでばかりに見えた夫は、カミーラのために何から何まで手配していた。
喜んでもらえるように。楽しんで貰えるように。
幸せを感じて貰えるように。
「キルヒウス様」
カミーラは言わずにはいられなかった。
「愛しています。そして、幸せです」
「知っている。だが、私の気持ちも知って欲しかった。今宵は夫婦で楽しもう。愛も幸せもだ」
なんて素晴らしい日なの!
カミーラは愛する夫と過ごす愛の日に心から酔いしれた。





