107 綺麗な手紙
ロジャーは夕食後にリーナの書いた礼状を回収して王宮に戻った。
「字が綺麗です」
礼状を検分したエゼルバードはリーナの書いた文字が気になっていた。
「そうだな」
ロジャーも馬車の中で礼状を検分している。
内容はマナー本にありそうなものだったが、字が綺麗なせいで印象は悪くないと感じていた。
「幼い頃は家庭教師がいたと言っていましたね?」
「そう聞いている」
「ロジャーは家庭教師から美しい文字を書くよう指導されましたか?」
「綺麗に書くようには言われたが、書き直すよう言われたことはない。強制ではなく任意だった」
「私も同じです」
家庭教師は読み書きを教える。
綺麗な文字を書くようにはいっても、書けるかどうかの方が優先になる。
読める文字であればいいということで、クセ字の修正をする者は少ない。
高位の者ほど自分では手紙を書かない。代筆させるか、印刷物で済ませる。
偽造防止のためにわざとサインを崩して書くことも多く、綺麗な文字を書く技能は必須ではなかった。
「孤児院でも文字を教えるかもしれませんが、綺麗に書くようには教えないでしょう」
なんとなく聞いていただけだったロジャーだが、だんだんとエゼルバードの指摘に意味があると感じ始めた。
「リーナの字が綺麗なのは、家庭教師が美しい文字を書かせることにこだわったからです。短期ではなく長期に雇われた者の教え方です」
「そうだな」
リーナの話を聞くと、両親は裕福そうだった。
じっくりと勉強を教えてくれる優秀な家庭教師を雇ったのだろうとロジャーは思った。
「エーメル男爵家は裕福ではありません。出奔した長男も同じく。だというのに、家庭教師を長期間に渡って雇えるでしょうか? 無償で教育が受けられるというのに、学校に通わせなかったのはどうしてでしょうか?」
ロジャーは顔をしかめた。
設定と合わない。不自然だった。
「履歴は問題ない。本人が余計なことを話さなければいい」
「しっかりと口止めするのです。素性が嘘だとわかってしまうためとは言えませんが」
エゼルバードとロジャーは、リーナがリリーナ・エーメルではないことを知っていた。
本物のリリーナ・エーメルは孤児院にいたもう一人のリリーナ、現在の国民登録証ではリリーとなっている人物の方。
リリーは平民の男性と結婚しており、元の素性に戻るつもりがない。平民のリリーとして夫と暮らしていくことを望んでいた。
そこでリリーナ・エーメルの名前と経歴を活用し、リーナを貴族に仕立てた。
「過去のことはよく覚えていないということにしなさい」
「わかった」
エゼルバードは手紙を振った。
「これは誰に渡すのですか?」
「ヘンデルに出すということだったが、宛名はない。エゼルバードの判断次第では、別の者に渡すこともできる」
エゼルバードは兄をからかいたくなったが、怒られたくはない。
キフェラ王女やミレニアスの話を聞きたくもなかった。
「兄上に渡して、どんな顔をするのか見てきなさい」
「王太子でいいのか?」
「ヘンデルの嘘がバレたことも教えることができます」
「そのことだが、王太子ではなくヘンデルがリーナを気にしているせいで配慮した可能性もあるのではないか?」
「わかっていません」
エゼルバードはため息をついた。
「兄上はリーナを気に入っています。絶対に間違いありません!」
「だが、ヘンデルが担当している」
「プライベート担当です」
「それはわかっている。だが、女性を任せるにはやや不安な相手ではないか? 王立歌劇場ではパスカルが対応していた」
「リーナについて、新しい調査報告はないのですか?」
エゼルバードはリーナの素性調査を続けさせていた。
「他の者の調査もある。そもそも、捨て子の素性調査は極めて難しいと話したではないか」
初期調査では捨て子という報告だった。
素性がわかるようなものが一切見つからなかったからこその答えでもあった。
本人の主張と合っていなくても、本人が嘘をついている可能性を完全に否定することはできない。
子どもの頃の記憶だからこその思い込み、勘違いがあるかもしれないことも考慮された。
「本人が嘘をついていないと思ったからこそ、念のために追加調査をしているだけだ。期待するな」
「本当の素性の方が良いものであれば、変更しなければなりません」
「変更するだと? その話は聞いていない」
ロジャーは驚いた。
「エーメル男爵は善人ではありません。孫娘を見捨てるような人物ですよ?」
「それはわかるが、財産を差し出して男爵家を潰すわけにもいかなかったという説明は理解できなくもない」
「貴族の身分を持つ者は高潔であるべきです」
「人道的ではない貴族は大勢いる。平民にだっているだろう」
エゼルバードは考え込んだ。





