1068 人台車
「どうかお願い致します!」
王太子府伝令部のエースとして知られているジェフリー・ウェズローは第四王子セイフリードの前で土下座をしていた。
「あの台車を貸して下さい!」
「駄目に決まっている」
セイフリードは冷たくあしらった。
「そこをなんとか!」
「さっさと立って仕事に戻れ!」
ジェフリーはしぶしぶ立ち上がったが、すぐ側にいるパスカルにすがった。
「パスカル、お願いだよ~!」
「殿下の所有物です」
「そこをなんとか!」
この流れになることをパスカルは予見していた。
そもそもセイフリードへの謁見の伺いを立てたのもパスカルだ。
「セイフリード殿下、貸し一でどうですか?」
「貸し一万なら考えてやろう」
「暴数過ぎる……」
「諦めろということだ」
ジェフリーはがっくりと肩を落とした。
だが、あくまでもフリ。その瞳は諦めを宿してはいなかった。
「パスカル~、貸し一じゃ駄目?」
「取引はしません。個人的な配慮で模倣品を貸し出します」
「やった! さすがパスカル! 大好きだー!」
ジェフリーは両手を上げて喜んだ。
「模倣品だと? まさか、勝手に作ったのか? 特許があるというのに!」
「未確定です。研究段階では特許侵害になりません」
「ふざけるな!」
セイフリードは激怒した。
しかし、パスカルはいたって冷静だった。
「人台車は安全な利用を心がければ便利な移動手段になります。国王陛下の許可次第では王宮内でも採用されるかもしれません」
パスカルは側近としてセイフリードの功績を増やす方法を模索している。
人台車も検討材料の一つだ。
「さすがに王宮では無理だろう。ただのおもちゃだ」
少しだけ乗ってみる程度であればいい。
だが、わざわざ乗るほどでもないと思う者もいる。
「王宮は絨毯のある場所ばかりで滑りが悪い」
「場所によっては絨毯を取り去ることもできます」
「品位がないと言われる。音もうるさい」
「伝令部に試用させ、有用度を確認させてはいかがでしょうか?」
「所詮は細いだけの台車だぞ?」
多くの荷物を運ぶことを考えれば、人台車よりも通常の台車をより多く配備した方が有用ではないかとセイフリードは感じた。
「模倣する際、一部は改良しました」
「色でも塗ったのか?」
「別の部分です。ご覧になられますか?」
誘導だと思いつつも、セイフリードは改良された模倣品が気になった。
「持って来い」
パスカルが手を上げると、護衛騎士達が素早くドアを開ける。
セイフリードが作らせた人間用の台車、通称『人台車』の模倣品が運び込まれた。
「こちらです」
セイフリードは模倣品を凝視した。
基本的にはセイフリードが開発したものと同じで、L字型で底辺部に車輪がついている。
完全に違うのはほぼ金属製であること。
セイフリードが作ったのは木製だった。
「車輪を大きくして数を減らしました。手すりの高さも調整できるようにしています」
「総重量が増える。足で蹴る力が多くなる。持ち運ぶのも辛くなる」
「伝令部の者達は基本的に体を鍛えています。この程度は問題ないでしょう」
「一部の場所しか利用できないのでは不便だ」
「殿下も一部の場所でしか利用されていませんが、便利だと思われているのでは?」
セイフリードは王宮から後宮へ行く際の徒歩移動を負担に感じ、大学内で利用している人台車を持ち込み密かに利用していた。
それを偶然伝令部のジェフリーに発見されてしまい、現在に至る。
「ジェフリーは伝令としての経験が豊富です。試乗させれば、利便性が向上するような改善点が見つかるかもしれません」
「試乗に関する報告書を提出します!」
ジェフリーは祈るように膝をつき、両手を合わせた。
「どうか多忙な伝令へのお慈悲を!」
「事故が起きると面倒だ。あれは条件が揃うと速度が出る」
「ジェフリーは妻子を心から愛しています。悲しませないためにも、無茶な使い方はしないでしょう」
「絶対に無茶はしません!」
「責任を含め問題にならないか? 僕が使用できなくなるような状況は好ましくない」
王宮内での人台車使用については許可を得ていない。
問題が起きれば、セイフリードが勝手に人台車を利用していたことまでもわかってしまう。
「パスカル~!」
「宰相府方面に行くのに便利では?」
王族エリアから宰相府方面へ向かうには少し距離がある。
うまく活用すれば歩く負担を軽減できるということだ。
「宰相に目を付けられそうだ」
「宰相はセイフリード殿下に敵いません!」
セイフリードは度々宰相と話し合いの場を設けているが、全てセイフリードの要求が通っている。
セイフリードは性格的にも交渉的にも王族の身分を容赦なく全面に出す人物で、どうあがいても貴族でしかない宰相にとっては厄介だ。
そこで、試用期間や一時的に様子を見るという条件にして許可を出し、問題が起きたり厄介な状況になる前に早期解決する。
このことを知る者達の間では、宰相から最速で許可を貰う王子として知られるようになった。
「宰相府の伝令も欲しがる可能性があります!」
「安全性を高めるためのデータ収集ということで協力を持ちかける手もあります」
「交渉次第か」
考え込むセイフリードを見れば、もう一押し。
「宰相が認可すれば、王宮の伝達と物流が変化します!」
「王宮で普及すれば、一般的な普及も早まるかと」
ジェフリーとパスカルの予想はセイフリードの予想と同じだった。
元々は大学内での試験的利用から一般品としての販売を考えていたが、王宮で普及させるが近道になるかもしれない。
セイフリードにとっては徒歩移動を軽減させるためのものだが、ジェフリーのような伝令や物流関係者にとっては仕事に有用かもしれない。
「……仕方がない。データ収集のためだからな!」
「ありがとうございます!」
「自転車の方も利用させてみてはいかがですか?」
「もしかして、まだあるの? ぜひ、使わせて!」
「あれは馬車の代わりだ。屋内での利用はできない」
ノックの音が響いた。
「ユーウェインです」
「入れ」
ドアが開く。
ユーウェインは入室すると一礼した。
「お呼びと伺い参上しました」
セイフリードは家族・側近・護衛以外の者が許可なく側に寄るのを許さない。
入室後はその場で待機しなければならないことをユーウェインは学んでいた。
「もっと近くに寄れ。緊急時に僕を守れる位置じゃない」
時々ユーウェインはセイフリードの護衛につく。そのことを考慮した言葉がかけられた。
「ありがたき幸せ」
ユーウェインはジェフリーの斜め後ろまで行くと、王族に対する正式な礼儀作法として片膝をついた。
「パスカル、何をさせる気だ?」
ユーウェインをセイフリードの執務室へ呼び出したのはパスカルだった。
「ジェフリーに人台車の扱い方を説明させます」
セイフリードの護衛を度々担当しているユーウェインは人台車がどのようなものかを知っていた。
「……許可が出ると思っていたのか?」
「状況的に難しければ、模倣品を保管庫へ返却するよう指示するつもりでした。機密品ですので、指示できる者は限られます」
どう転んでも任務をすることになるだけにユーウェインを呼んだ。
パスカルの判断は適切であり、側近として優れているのも間違いない。
だが、セイフリードはパスカルに先を読まれただけでなく、負けたような気持ちになった。
みるみる表情が不機嫌なそれになり、ユーウェインへ向けられた。
「厄介な上司に目をつけられて災難だったな! せいぜい雑用に励め!」
パスカルだけでなく第四王子も厄介だけど?
上司もその上司も厄介では……?
奇しくも、ジェフリーとユーウェインの密かな呟きは同じ内容だった。





