1064 外交戦略
金曜日の早朝。
就寝中のエゼルバードはロジャーに起こされた。
「緊急謁見だ」
謁見するかどうかはエゼルバードが決めるが、寝ているエゼルバードを起こすかどうかを判断するのはロジャーだ。
「誰です?」
「表向きはパスカルだ。フローレン王太子とデーウェン大公子も一緒だが、非公式の訪問として素性については秘匿している」
「服を」
その言葉とほぼ同時に衣装室のドアが開いた。
セブンが持っている衣装をベッドの上に投げた。
被るだけでいいローブだ。
「靴を持って来る」
ロジャーは素早くローブに手を伸ばすと、寝間着の上から被らせるようにして着せた。
「ブラシと顔を拭くタオルを持ってくる」
エゼルバードが何もしなくても側近中の側近であり友人でもあるロジャーとセブンの行動は早く、あっという間に身支度が終わった。
「水を下さい」
「茶はいるか?」
「客人と飲みます」
セブンが車椅子を持って来るが、エゼルバードは自身で歩くことにした。
「寝ぼけていないか?」
「転ぶと危ない」
「大丈夫です」
応接間にはパスカルと旅装を解いていない状態の者が二人。
フローレン王国の王太子リカルドとデーウェン大公国の大公子アイギスだ。
「揃って来るとは思いませんでした」
「アイギス様はフローレンにいたとのことです」
デーウェン大公国は海運中心の貿易で栄えている。
取引国との密接な関係を維持するため、アイギスは何かにつけて各国に出向いていた。
今回は丁度リカルドの所に滞在中で、エルグラードがフローレンだけでなくデーウェン・ゴルドーラン・ローワガルン・ミレニアスの要人にも伝令を送っていると聞いて同行した。
「一番乗りだろう?」
「一番はミレニアスとローワガルンです」
エゼルバードの答えにリカルドが眉を上げた。
「馬鹿な! 高速馬車路があるフローレンが負けただと?」
「留学予定者がいました」
エゼルバードが伝令を送るのに合わせ、パスカルは腹違いの弟であるフェリックスとその友人のルーシェにも連絡した。
二人は四月からエルグラードに留学する正式な許可が出たため、様々な手続きや生活する場所を確保するために二月から王都入りしていた。
「今回の件は私が指揮権を持っています。ロジャー、資料は?」
「こちらに」
「パスカルも再度確認しなさい。修正箇所がありました」
「はい」
まずはエゼルバードが用意させた資料を黙読する時間が設けられた。
それは純白の舞踏会で起きたこと、現時点でエルグラードが検討している制裁に協力して欲しいことが記載されていた。
「特に問題はないはずですが、質問があれば受け付けます」
「ミレニアスとローワガルンは了承したのか?」
「当然です」
エゼルバードは答えた。
「未成年では正式な署名として扱いにくいので、インヴァネス大公、ミレニアス王太子、ローワガルン大公世子にも署名をして貰います」
「国王は不要か」
本来であれば相手国の王と話をつけなくてはならない。
だが、王が自国から出ることは滅多にない。エゼルバードが相手国に行かなければならず、交渉をまとめるにも時間がかかる。
そこで権力を持つ王族を呼んで事前承認させ、証拠書類を作って外堀を埋める。
現王位者ではなく次世代の王位者との話し合いで合意しておく方が末永く結びつけるのもある。
エゼルバードがエルグラードを離れる必要もなければ短期間で複数国と交渉できる利点もあった。
「さすがクオンの弟だ」
「優秀な外務統括だな」
「世辞よりも返事を」
「デーウェンは了承する。私との話し合いはデーウェン大公との話し合いだと思ってくれて構わない」
取引にはタイミングがある。
エゼルバードが求めるのは即決であり、それがデーウェンの国益になるとアイギスは判断した。
「フローレンは?」
「できるだけ足並みを揃えたくはあるが、フローレンの国益がかかっている。細かい内容については持ち帰る」
「そうですか」
エゼルバードは不満気な様子を隠そうとはしなかった。
「兄上との友情はその程度の答えにしかならないわけですね。とても残念です」
「そうではない!」
リカルドは反論した。
「最終決定は国王だ。国益を損ねる制裁であればしぶる。当たり前のことではないか!」
フローレンは立地を活かし、国際的な輸出入の中継地点として栄えている。
その座を奪われないようにするために国中を高速馬車路で網羅し、迅速かつ安全な陸路としての信用を築き上げている。
だからこそ、エルグラードが経済制裁を行うにはフローレンの協力が必要だ。
しかし、制裁に参加すればフローレン国内にも影響が出る。
痛みを伴ってでも協力するかどうかの決断になるということだ。
「では、デーウェンとだけ話をします」
「私はアイギスの同行者でもある。そうだろう?」
アイギスはやれやれと肩を竦めた。
「エゼルバード王子、話を続けてくれて構わない」
「フローレンの態度がはっきりしない以上、話すわけにはいきません」
「リカルド、極めて重要な局面だ。ミレニアスとローワガルンはすでに了承した。エルグラードを信じるべきではないか?」
「私は信じている。だが、父上が二つ返事をするとは限らないではないか!」
「お前が了承できる内容であれば大丈夫だ」
アイギスはリカルドを同席させた方がいいと感じた。
エゼルバードは天才だと言われている。
交渉力で負けるつもりはないが、エルグラードは大国だ。
対等に持ち込むためにはリカルドとフローレンを活用すべきであり、デーウェンがエルグラードとフローレンの調整役にもなれることも示しておきたかった。
「リカルドがいるからこそ、フローレンは強く在ることができる。エゼルバード王子が無理難題を押し付けた時は、私と一緒にクオンに泣きつこうではないか!」
エゼルバードは呆れた。
だが、その言動は優秀さと計算高さをあらわしている。
交渉をまとめる方向へ導いていく手腕があるのは確かだった。
「そうだな。クオンこそが私の最大最強の切り札だ! エゼルバード王子には極めて有効だろう。父上には私が話をつける。話を進めてくれ」
クオンとの友情に絶対的な自信があるリカルドは決断した。
「二人共、兄上への感謝は必須ですよ。でなければ私が先に進むわけがありません」
「パスカルに面会時間を調整して貰うつもりだ」
「今日か明日には会えるだろう?」
「わかりました。予定を確認して調整します」
静かに控えていたパスカルが答えた。
「ロジャー、次の書類を」
「こちらです」
ロジャーは協力を承諾した場合に備えて用意しておいた書類を渡した。
初動からの制裁内容が記されている。
いつでも発動できるよう準備しておいて欲しいということだ。
「長期間でないことを望むしかないが、相手の態度次第だろう?」
「そうですね。誠意がわかるよう謝罪をすれば経済制裁は発動しません」
対象国が多いからこそ、エゼルバードは差をつける。
先に十分な謝罪と誠意を見せた国ほど軽度な対応だけにしておき、後になるほど重く厳しい対応にする。
「ただの口約束では困るので書面にします」
「署名はできるが印はない」
「構いません。今は制裁に発展した場合の足並みを確認しておきたいだけなので」
問題を起こした国との話し合いを設ける前に、できるだけ多くの手札を用意しておきたいということだ。
リカルドとアイギスはロジャーが用意した書類にサインした。
「具体的な話し合いはいつ頃だ?」
「クオンは新婚旅行だからな。対象国が多いことを考えると後か?」
「兄上の新婚旅行は関係ありません。私だけで進めることができます。それが外務統括の権限です」
王太子の事前承認は必要ないということだ。
「再度来ていただくか全権大使を寄越してください。早めに決着させます」
四月にはセイフリードの成人式がある。
国王も王太子も盛大に祝う気でいるため、外交上の重大発表を被せたくないとエゼルバードは思っていた。
「連絡は早めにして欲しい。全権大使ではなく私自身が参加する気でいる」
「同じく」
「次回は書類にサインをした国々が集まっての合同会議です。ゴルドーランは遅くなりそうですので、先に行うかもしれません」
「リアムが馬を飛ばしても、距離だけはどうしようもない」
「遠いからな」
「エルグラードの提案に賛同し正式な調印をした相手との関係を優先して見直します。そのつもりで」
エゼルバードが同盟国及び準同盟国の見直しをするということはすでに書面の方に書かれていた。
だが、具体的にどのような条件になるかは書いていなかった。
「同盟国の条件や内容を変えるつもりか?」
フローレンやデーウェンはエルグラードと軍事同盟を結んでいる。
互いの領土の不可侵に加え、自国の領土が第三国に侵攻された場合は支援をすることになっていた。
外務統括になったエゼルバードが外交戦略を見直すことはリカルドやアイギスの想定内だが、これまでと同じという確認だけで終わらないような気がしていた。
「制裁に協力してくれるのであれば、軍事面での見直しはありません。見直すのは経済面でしょう」
聞き捨てならないとリカルドは思った。
「どういう意味だ?」
「ザーグハルド帝国が東地域を不安定にさせています」
フローレンの東には広大な領土を誇るザーグハルド帝国があるが、皇帝位の継承権で長年揉め続けている。
そのせいでザーグハルド帝国内だけでなく、周辺地域の情勢も不安定だ。
大陸の国々はこぞってザーグハルド帝国との付き合いや貿易に神経を尖らせている。
エルグラードはその中の一国だ。
わざわざ不安定かつ経済が停滞している国や地域と取引する必要はない。もっと安全な取引相手がいる。
帝国と名乗るほどの領土や人口を誇りながら、ザーグハルドの通貨は国際通貨としての存在感がない。
エルグラードだけでなく世界中の国々がザーグハルド帝国を不安視している証拠だ。
「私が外務統括になった以上、外交戦略を見直すのは当然のこと。信用できる相手との取引を重視します。資源には限りがあるので、付き合いが悪くなる国も出て来るでしょう」
「ザーグハルドを理由にしてフローレンとの取引を減らす気ではないだろうな?」
「軍事同盟国への冷遇はしません。ですが、非同盟国は別です」
今回起きた事件は周辺国の本音が透けて見えた。
表向きには従順そうで笑顔を見せても、心の中は真逆。
自分たちの考えや価値観こそが絶対的に正しく、エルグラードの方がおかしく間違っていると思っている王族がいる。
国際儀礼の違反行為は国際協調にも国益にもつながらない。
付き合い方を変えていくのは当然だ。
「西側はより多くの食料を必要としています。どうしても直接話がしたいと言われているのでね」
「東ではなく西へ流すということか」
「今の時代は武力よりも経済力。エルグラードの国力と貿易を安定させるため、信用できる味方とは経済同盟を結びます」
リカルドとアイギスの視線は鋭くなった。
「経済同盟というのはどのような内容だ?」
「大まかでも構わない」
「関税を大幅に引き下げます。通貨交換協定の上限と期限も変更します。最高待遇は上限なしかつ永年にするつもりです」
リカルドもアイギスも電撃のようなショックを受けた。
最高待遇になれば国際取引に必須なギールを上限なしでいつでも自国通貨と交換できるようになる。
通貨交換協定の更新が迫るたびに悩まなくてもいい。
エルグラードという巨大な市場により広く深く参入でき、世界各地における取引をより拡大していける。
「食料を始めとした輸出品の割り当ても優遇します。国際的な災害支援においても優先権を得られます」
エゼルバードは好き嫌いが激しい。
だからこそ、曖昧な対応も一律対応もしない。
エルグラードの味方になるかどうかを見極め、厚遇と冷遇がはっきりわかる外交戦略を打ち出した。
リカルドとアイギスは嬉しくて堪らない。
フローレンとデーウェンは選ばれた。
経済同盟を結ぶ相手として。
すでに軍事同盟を結んでいることを考えれば、最高待遇も夢ではない。
「フローレンはエルグラードに対して常に真摯かつ誠実な同盟国であることを約束する」
「デーウェンも同じだ。エルグラードと共に歩む歴史を刻みながら、両国が繁栄できるよう全力を尽くす」
「嬉しいですね。では、この話はいずれまた」
「非常に楽しみだ」
「待ち遠しい」
リカルドとアイギスの表情には強い期待がみなぎっていた。
「お茶を」
「パスカル、殿下に」
ロジャーは淹れたお茶をセブンではなくパスカルに渡した。
普通に考えれば、王太子の側近であるパスカルがエゼルバードに直接飲食物を渡すことはない。
パスカルは第二王子側にも信用され、受け入れられているということを示すには十分だった。
「茶を運ぶ相手が増えたようだな」
「出世し過ぎるのも大変だ」
リカルドとアイギスはそう言いながら、セブンが運んで来たお茶を受け取った。





