1061 前進中
新聞を読んだリーナは今起きていることを知った。
事前に説明があり、エルグラードという国や王家の威信、国際的な関係性において極めて重要な問題。
だが、リーナは政治家でもなければ専門知識があるわけではない。
大事な催しで問題が起きてしまい、謝罪をしなければ絶対に許さないというような状況だと捉えていた。
リーナ自身も純白の舞踏会で国際デビューを飾ることになっていたため、国際的な催しであることや言動をいつも以上に慎重にすること、友好的な雰囲気を壊さないようにするよう説明を受けた。
リーナはそれを守ったが、招待者の中に守らない者がいた。
しかも、不満の一つはリーナ。
身分の低い者が王族妃になるべきではないと思っており、それが純白の舞踏会における言動につながった。
リーナがクオンと結婚する際、エルグラード貴族からも同じような主張が出ただけに、同じように思う人が他の国にもいるというのは不思議ではない。
「大変なことになってしまいました。沢山の人と知り合って仲良くなれたらと思っていたのに」
「リーナ様と親しくされたい方は大勢います」
毅然として答えたのは侍女長のレイチェル。
「非礼なことをした方が悪いのです。抗議も謝罪要求も当然でしょう」
「エゼルバード様がどうされるのか気になります。優しい人ほど怒った時は怖いって言いますし」
第二王子殿下は冷たい方ですからね。
レイチェルは三十年以上王族付きを務めて来た。
リーナから見たエゼルバードは優しくて甘いかもしれないが、それは一面でしかないことをよくわかっている。
「謝罪すれば元通りになるでしょうか?」
レイチェル個人の意見では、謝罪だけで済むわけがないと思っている。
だが、エゼルバードがどうするのかはわからない。
レイチェルの知識として考えられる報復は、問題を起こした者の入国や国際的な催しへの招待及び参加を禁止にすることだ。
後ろ盾である保護者や国が何もなければ経済制裁に発展する可能性も高い。
ただ、ミレニアスとの件で王家は相当激怒していたにもかかわらず、戦争は回避した。
それを考えると、戦争まで発展する可能性は低い。
但し、問題を起こした国の多くはミレニアスよりも小さい。
海に面しているとはいえ、エルグラードによる経済制裁の影響は強くなる。
長期に及べば国が窮乏するのは明らかだった。
「できるだけ早く謝罪することが重要なのは確かです」
それは常識として当たり前のこと。
「この件につきましては第二王子殿下にお任せすればよろしいかと」
「そうですね」
リーナは新聞を丁寧に畳むと待機していた侍女に渡した。
「王宮で働く官僚達は日々忙しいとは思うのですが、今回のように急に起きる問題もあります。そう思うと、ちゃんと支えてあげないといけませんね」
王族妃は政治に関われない。
だが、忙しい時や大変なことが起きた時に協力することや支援することはできる。
リーナが手掛けている昼食販売も支援の一つだ。
「エゼルバード様は外務統括に就任したばかりなので、しっかりと応援したいです。私の予算を使って差し入れするのはどうでしょうか?」
「お心遣いは大変素晴らしいと思うのですが、差し入れをしてはいけません」
「なぜですか?」
リーナには差し入れが駄目な理由がわからなかった。
「政治介入だと思われないためです」
今回の問題にはヴェリオール大公妃への言動も含まれている。
リーナが差し入れすると、自分に非礼を働いた者に対して厳しくあるいは優しくして欲しいというメッセージに誤解される可能性がある。
王宮は些細なことで話題になり、社交界で勝手に良くも悪くも噂になってしまう。
何もしないのが一番だというのがレイチェルの見解だ。
「リーナ様は普段通りお過ごしください。ただ、王宮については行動制限があります」
王族エリアから出ての散歩、王宮購買部や官僚食堂への視察などはできない。
「では、後宮へ行きますね」
「後宮ではどのように過ごされるおつもりでしょうか?」
真珠の間にいるだけとはさらさら思っていないレイチェルは所在把握のために尋ねた。
「今日は購買部に行こうと思っています」
買物部ができたことによる影響を知りたい。
「宰相閣下が取引を見直すために新規の発注を止めています。不足なことも調べなければなければなりません」
「それは購買部に資料を提出させれば良いのでは?」
「私が知りたいのは購買部の在庫状況ではなく、後宮にいる者にとって不足なものなので」
レイチェルは眉をひそめた。
「不足なものがあれば、後宮や購買部が調べて発注しているのでは?」
「違います。少なくとも後宮の購買部にあるのは購買部や商人が売りたいものだけです」
側妃のためという言い訳をして高価な品ばかりを揃えているのは、後宮にいる者の声を聞いていない証拠だ。
特に給与が少ない下級者の要望を無視しており、借金を抱える者を増やしてしまった。
もっと昔から階級や給与に合わせた品を扱っていれば、借金する者もその額も少なかった。
「セイフリード様と話した時、需要と供給の関係がとても大切だと言われました」
エルグラードの中心である王宮敷地内にいる人々の数はとても多い。
その人々が毎日一ギールでも使えば、多額の金が動く。
通常は王宮敷地内で働き、その対価として得た金を敷地外で使っている。
それを王宮敷地内で使うようにできれば、今以上の需要が生まれる。
「私のやり方は正しいとも言ってくれました」
これまではいかにしてより多くの金を人々から取り上げるかが考えられてきた。
金を集めたい側の都合しか考えず、人々に強制するような仕組みにして強権を奮って来た。
しかし、それでは払った金額に相応しい対価を得ることができない。
人々の不満が募り、恵まれているとも幸せだとも思わない。
借金が増え、消費が鈍り、悪循環に陥っていた。
必要なのは人々の気持ちや立場を理解すること。
そして人々が求め、必要としていることに合わせていくことだ。
そうすれば人々は喜び、消費が活性化する。
リーナやセイフリードが後宮や王宮で整えていくのは需要と供給・収入と支出を調整しながら好循環させていくための仕組みだ。
「後宮改善は着々と進んでいると思います!」
王宮省下の王宮購買部と取引する関係ができた。
王太子府と王子府が協力を申し出てくれた。
セイフリードが担当になった官僚食堂も加わった。
後宮だけでなく協力者も共に恩恵を享受できる関係ができてきた。
「もっともっと頑張ります! もうすぐ愛の日ですから!」
レイチェルはピンと来た。
「もしかして、チョコレートを販売されるおつもりでしょうか?」
リーナはしょんぼりとした。
「それはちょっと難しくて……」
レイチェルの予想はハズレということだ。
「限定品を売るとか?」
「限定品と聞くと心惹かれる者が多いみたいですね」
またハズレだ。
「王宮側の者にでもお手伝いできることがあるかもしれません。教えていただくことはできないでしょうか?」
「キャンペーンをしようと思っています」
リーナは答えた。
「取りあえず、購買部へ行ってきます!」
「行ってらっしゃいませ」
元気よく後宮へ向かうリーナを見送ったレイチェルは振り返った。
「どんなキャンペーンを?」
キャンペーンのことを聞いている侍女はいなかった。
「わかりません」
「何も聞いていません」
「チョコレート以外の売り上げを増やすとか?」
ありがちだ。
すでに王都では愛の日に向けてのキャンペーンを行う店が溢れ、様々な贈り物を薦める宣伝活動が激しくなっていた。
「購買部の売り上げが増えるということは、後宮にいる者の借金が増えることにつながるのでは?」
「借金がある者は購買部で買い物できなくなったような?」
「でも、百ギールは現金を持っていますよね?」
「それは買物部用の資金でしょう?」
王宮にいる侍女もリーナの取り組みや後宮内の改善については聞いている。
あれこれ予想してみるが、これだと思う案が出ない。
「リーナ様ですからね」
「リーナ様ですしね」
次々と誰もが考えないようなことを思いつき、実現していくだけの力がある。
「内容はわかりませんが、後宮にいる者が喜びそうなことだと思います」
侍女長補佐のディナがそう答えると、間違いないと思いながら全員が頷いた。





