1054 状況一転
静観するなんて無理だわ。私は私だもの。
ラブは一歩踏み出した。
そこで止まったのは腕を掴まれたから。
静かな瞳で最愛の兄が見下ろしていた。
「ここにいればいい」
止める言葉。
「ここじゃよく聞こえないでしょう? もっと近くじゃないと」
明らかな嘘。
「メロディを頼んだわ」
ラブは最愛の兄の手をゆっくり振りほどいた。
「今夜は楽しまないと。邪魔しないでよね」
セブンは深いため息をつくと手を離した。
「ほどほどにしろ」
「わかっているわよ」
人々という壁を抜けてラブは一人で前進した。
「失礼」
「通るわよ」
「私が誰か知っているわよね?」
様々な言葉を使い分ければ、あっという間に特等席。
若手貴族しかいない広間だからこそ簡単だった。
ラブは国賓当番がフリーになるのを待っていた令嬢たちが作る壁を抜けたところで足を止めた。
自身も壁の一人に加わったかのような位置。
ラブが来たことに気付かない者はいなかった。
「あら、まさかとは思うけれど、ウェストランドも狙っているの?」
すぐにイライザ王女が声をかけた。
「一人で安全領域から出て来るなんて。ディヴァレー伯爵もさすがに呆れているのではなくて?」
「社交デビューされたのに」
「相変わらずということかしら?」
「自身の噂をご存知ないのでは?」
「知らないからここに来たのかも?」
クスクスと国外組がイライザを援護するように笑い合った。
「一番見応えがありそうな場面だと思って。遠慮なく続きをどうぞ」
ラブは不敵な笑みを浮かべながら返した。
「高みの見物ってわけね」
「度胸だけはあるわよね」
「それ以外はどうかわからないけれど」
国外組の興味がラブへと移った。
見世物扱いにされたと感じ、敵視するような視線が集中する。
「それにしても凄いドレスね」
「宝飾品も」
「贅を尽くしたって感じだわ」
「権力を存分に使ったことがわかるわね」
「コネも」
「財力もね」
「見え見えだわ」
攻撃対象はラブの装い。
衣裳に対して個人的な感想を述べるのは普通のこと。
嗜好もあるため、好き嫌いが分かれても仕方がない。
自由かつ遠慮なく言いやすい話題だった。
「パールが品薄になったのはこのドレスのせいじゃない?」
「どれだけ買い漁ったのかしら?」
「つけすぎじゃない?」
「やり過ぎよ」
「清楚さがむしろ損なわれているわ」
ダメ出しポイントは尽きない。
社交界で衣装を話題にするのは定番。けなすのも日常茶飯事。
誰でもいくらでも思いつく。そういうもの。
そして、ラブ本人も指摘内容は間違っていないと思っていた。
贅を尽くしたドレスは権力もコネも財力も駆使したから。
見え見えなのはウェストランドの凄さを見せつけるためだから。
パールが品薄になったのも、王家やレーベルオード伯爵家と競うように祖母が買い漁っただけの話ではない。
国内市場に影響を与えるだけの力を持っていることを示すこともできるから。
せっかく手に入れたパールを使わないわけにもいかない。それこそ悪く言われる。
これでもかとばかりにつけたのは、ドレスをデザインした母親たちとドレスデザイナーの判断だった。
よくも悪くも嗜好次第。それで構わない。
ラブは平然とした表情で嫌味と悪口の嵐を聞き流していた。
その様子にイライザ王女とその周囲にいる国外組の不機嫌さが増した。
「随分大人しいわね?」
「本当に」
「図星だからでしょう?」
「反論できないわよね」
予想以上の食いつきだからよ!
ラブは呆れていた。
慎重に口を出す機会をうかがう必要なし。
相手の方から話しかけてくれたおかげで、簡単に発言できる立場になった。
「レーベルオード子爵のことはもういいの? あっさり引き下がるなんて思わなかったわ」
ラブの指摘にイライザ王女も周囲もハッとした。
パスカルに自分たちと過ごすよう誘ったものの、すぐに断られて終わり。
デビューしたばかりで何もわかっていない王女たちから颯爽と奪っていくはずが、ラブを悪く言うことに夢中になっていた。
「もしかして、王女としての寛大さを示しに来たのかしら?」
ラブの反撃が始まった。
「でも、王太子殿下が寵愛するヴェリオール大公妃への配慮はなかったわね。悪口のように聞こえたわよ? 浮かれすぎてここがエルグラードの王宮だってことを忘れてしまったの? すぐに広まるわよ。王族の耳にも入るでしょうね」
イライザ王女は即座に言い返せなかった。
その周りにいる者たちも、国賓たちも同じく。
若い世代が集まる広間には王族も権力者もいない。だからこそ、王族であり国賓であり外交的な影響を考慮せざるを得ない自分たちに敵う者はいない。
自由。遠慮しなくていいと思っていた。
だが、それは大間違い。
この広間はエルグラードの王宮。
ここで口にしたことは話題になって広まる。エルグラード王族にも伝わる。
王族の側近や国賓当番がいれば尚のこと。
ヴェリオール大公妃への言動についてはもっと慎重になるべきだったということに気づかされた。
「レーベルオード子爵はヴェリオール大公妃になったリーナ様を妹として心から大切にされているわ。それなのによくもまあ堂々とあんなことを言えたわね?」
国外組の表情が一気に悪くなった。
社交は似た者同士で固まりやすい。
身分が高く血統が良いからこそ、エルグラードにおいて交流する相手もまた身分が高く血統が良い相手になる。
レーベルオード伯爵家が養女にしたのは政略。
養女は駒。名目。飾り。
内々に王家に言われて仕方なく。見返りに外戚として優遇されている。
リーナを良く思わない身分主義者や血統主義者からの情報を信じていたことによる誤算も生じた。
「そろそろ時間です。失礼しなければなりません」
パスカルは自身の腕を掴んでいたジェンナ王女を見つめた。
「ジェンナ王女、エルグラードでデビューした以上、マナーを守ってください。でなければ、クオーラの名誉にかかわります。おわかりですね?」
「でも、今夜は私のエスコート役でしょう?」
「いいえ。ダンスの相手役を務めるお約束しかしていません。大使によくご確認ください」
パスカルは丁寧にジェンナ王女の手を解いた。
「マーリカ王女、ターザナイトの名誉がかかっています。二人の王女が守ったものを、三人目にして失うわけにはいきません。そうですね?」
マーリカ王女は自らパスカルの腕に絡ませていた手を解いた。
「ごめんなさい。色々あったから心細くて」
「この機会に同じような年代の方々と交流されてください。一生を通じて親しくできる者が見つかるかもしれません」
「そうね。探してみるわ」
マーリカ王女は素直に頷いた。
「ブランカ王女、今夜は無理です」
「わかったわ。別の機会を作ってね?」
「バラベル王女、お声がけいただいたのに申し訳ありません」
「今度は絶対に踊ってね?」
パスカルは優しく微笑んだ後、ラブの方に顔を向けた。
「ウェストランド侯爵令嬢、楽しめていますか?」
「いいえ。せっかく特等席に来たのに残念だわ」
そう言いつつも、上々の出来だとラブは思っていた。
延々とリーナの悪口を言われては堪らない。
それなら自分をエサにしてでも話題を変えてやろうと思った。
その目論見は驚くほど成功しただけでなく、反撃の言葉を浴びせることもできた。
ウェストランドへの抗議になりそうな点もない。むしろ、ウェストランドから抗議できそうな展開。
証人も大勢いる。
エルグラードの者は公的な場でやらかした国外組を当分の話題にして楽しめる。
「私にとっては最高のドレスだけど、わかりにくい素晴らしさのようね」
「とても美しいドレスです」
パスカルは華やかな笑みを浮かべた。
「愛しい家族のために手を尽くそうとする気持ちが感じられます。ウェストランドの愛は強く尊いということでしょう。デビューおめでとう」
……やっぱり凄いわ。
国賓に対しての礼儀と誠意を示すため、あえて時間だと言えるまで待った。
状況と会話のタイミングを見計らい、全てを沈静化。
集中砲火を浴びたラブへの配慮も忘れない。
ドレスのダメ出しにあったパールのことについてはレーベルオードも絡んでいるせいか、家族愛の証としてドレスを褒めた。
そして、デビューを祝う言葉を最後に付け加える。華やかな笑みを添えて。
印象が良い。効果も抜群。ラブだけでなく周囲の者たちへも。
散々な雰囲気が一気に持ち直した。
この状況において最高最善で完璧な対応だとラブは思った。
「ありがとうございます。ヴェリオール大公妃の国外へのお披露目と一緒の日にデビューできて光栄です。一生の思い出になります」
リーナを持ち上げるのはパスカルやレーベルオードを持ち上げるのと同じ。
パスカルへの配慮であり、ラブの本心でもあった。
「アンダリアの次代はヴェリオール大公妃派だそうですね? 友人から聞きました。とても嬉しく思います。これから妹の所へ行くのですが、一緒にいかがですか?」
マジデーーーーーー!!!
ラブは心の中で絶叫した。
「もしかすると、デビューへの一言があるかもしれません。約束はできませんが、それでもよろしければ。どうしますか?」
断るという選択はない。
ヴェリオール大公妃から一言でもあるなら名誉。それに尽きる。
「ぜひお願いいたします!」
「手を」
パスカルは手を差し出した。それはエスコートの申し出。
嬉しい。だが、嫉妬も凄い。
広間中に注目されている状況だということをラブはわかっていた。
「今夜のエスコート役は兄なので。許可を貰わないと?」
慎重に。無難に。
ここで調子に乗ってはいけないとラブは自重した。
「では、ディヴァレー伯爵の所までお連れします」
パスカルはそう言うと自らラブの手を取って腕に添えた。
「すぐそこですが、人が多いので一緒に行きましょう」
ギャーーーーーーーーー!!!!
ラブは震えた。
すぐ側には国賓当番のフリー待ちをしていた若き令嬢たちの壁がある。
間違いなく、パスカル狙いが多い。
勇気を出して近づけば、自分を見てくれるかもしれない。声をかければ一言返してくれるかもしれない。憧れの存在を近くで見るだけでもいい。
そんな気持ちで集まっている。
ラブも若い女性。デビュー者。
壁になっている若き令嬢たちの気持ちが痛いほどわかる。
「レーベルオード子爵に声をかけていただきたい素敵な令嬢たちがたくさんいます。白いドレスの女性はデビューされた方々では?」
ラブは自身へ突き刺さる視線の威力を軽減させようと思った。
感謝とまではいかなくても、デビュー者に対してちょっとした配慮を示したことにはなる。
パスカルはゆっくりと周囲を見回した。
「デビューされた方々に祝福を。若い世代で交流しながら素晴らしい夜を楽しんでください。では、行きましょう」
パスカルが歩き出せば、ラブも合わせて歩かざるを得ない。
回りは見ない方が良さそうね……。
そう思ったにもかかわらず、ふと視界に入ったのはパスカルの親衛隊を自負する有名な令嬢たちの姿。
微笑。冷静。平然。無表情。不機嫌。怒り。多種多様だった。
間違いなく今後の社交界は大嵐だわ!
だが、恐れる必要はない。今までと同じ。慣れっこ。
図太い神経はメロディだけではない。ラブも同じ。
「勝手にエスコートしてしまいました。何もしないわけにもいかないと思いましたので」
パスカルはセブンを中心とした場所に入るとすぐに声をかけた。
「時間的に急がないとではないか?」
「そうですね。急がなければ。一緒にどうですか?」
お兄様も?
ラブは驚愕したが、セブンもまた同じだった。
「一緒に?」
「ウェストランド侯爵令嬢はヴェリオール大公妃のブライズメイド。キュピエイル侯爵令嬢はブライズメイドのサポートメンバーでした。エスコート役が二人必要です。シャペルには頼めません」
シャペルは笑いながら頷いた。
「ごめん。僕はベルだけだから」
「わかった」
セブンはメロディに顔を向けた。
「ヘンデルに頼まれている。私がエスコートしよう」
メロディの顔がひきつった。
「ラッキーじゃない! 良かったわね!」
道連れとも言う。
「……ラブもね。後が怖いけれど」
「社交デビューしたからこその試練よ」
ラブはすでにエスコートされている。
短い距離だったとしても手遅れだった。
「デビューの日にヴェリオール大公妃に会えるかもしれないのよ? 行くしかないでしょう!」
パスカルがいる以上、よほどのことがなければ会える。
お祝いの一言も貰えるに違いない。
ブライズメイドとそのサポートメンバーを務めたからこその特別待遇という理由もある。
「そうね。誘っていただけるだけで光栄だわ。最高過ぎて涙が溢れそう」
メロディは本当に泣きそうな表情でプルプルと震えていた。
「では、移動を」
ラブはパスカル、メロディはセブンにエスコートされて広間を退出した。
「凄いデビューになったわね! 最高の思い出になるわ!」
「そうだね。一生に一度しかない特別な日だから」
シャペルは優しく微笑みながらベルを見つめた。
「実を言うと、僕も最高だ。純白の舞踏会でベルをエスコートできるなんて夢のようだよ」
ベルがデビューした時のことをシャペルは思い出した。
「ベルがデビューした時、王太子派が鉄壁の防御をしていた。ダンスに誘うのは絶対に無理だと思ったよ」
「派閥が違うもの。近くに来ることさえ難しいわよ」
「あの時は力がなかった。自信も、勇気も。でも、今は違う」
シャペルは真摯な眼差しをベルに向けた。
「イレビオール伯爵令嬢、純白の舞踏会で共に踊る名誉を与えてくださいませんか?」
シャペルらしくない。カッコつけているとベルは思った。
だが、嬉しい。返事も決まっている。
「喜んで。ディーバレン子爵に誘っていただけて光栄ですわ」
シャペルの誘いに合わせ、淑女らしくベルは答えた。
「願いが叶った。ありがとう」
「こちらこそ。でも、嬉し過ぎて恥ずかしかったかも」
「じゃあ、行こう! 正真正銘、最高のダンスをするよ!」
「私もよ! 最高のダンスを楽しみましょう!」
いつもの自分に戻った二人は恋人同士。
満面の笑みを浮かべながらダンスフロアへと向かった。





