1053 取り合い
今年もよろしくお願いいたします!
外務統括になった第二王子エゼルバードが退出した。
第二部の主役がいなくなれば、残る人々は公式な大規模行事ならではの堅苦しさから解放される。
事前にデビューダンスを予約していたペアはすでに踊り終わっているため、ダンスを楽しみたい者は自由にダンスフロアへ足を運べる。
儀礼的な社交辞令・挨拶回りが終わった者も多くなり、酒の効果もあって人々は残る時間を楽しもうと思っていた。
「移動する」
セブンはラブを若い世代が集まることになっている広間の方へと案内した。
ヘンデルもメロディを連れて一緒に移動したが、このあとは仕事へ戻らなければならなかった。
「ごめんね」
「お気になさらず。でも、これで終わりかもしれないと思うとつらいですわ」
ヘンデルとメロディは一夜限りの寸劇をまたしても演じていた。
「そろそろ終わりかな?」
「せめてもう一回は……」
エスコートのことではなく増箱タイムのことだった。
「努力するよ。何かあればベルに」
「任せて!」
ヘンデルはメロディの手に口づけるふりをしたあと、仕事に向かった。
「お兄様といい感じじゃない!」
早速ベルがメロディに話しかけた。
「ヘンデル様が合わせてくださるおかげです。ベルお姉様のおかげですよね?」
「何のことかしら?」
ベルはとぼけた。
ごにょごにょと小さな声での会話が続く。
「……カミーラも貸したみたいね」
恋愛小説のことだろうとラブはすぐに察した。
「お兄様はああ見えてかなりの読書家なのよ。ジャンルも問わないし何でも読むわ」
但し、時間を割く以上は役立つと思える内容でなければならない。
役立つと思うなら時間を割いてでも読むということでもある。
「年齢差を埋めるものが必要だと思って。カミーラも同じだと思うわ」
カミーラはヴァークレイ子爵夫人としての社交があるため、既婚女性の中に入っていかなくてはならない。
これまでのように独身女性が多い場所にはいられなくなってしまったために別行動だった。
「ベルお姉様の気遣いには心から感謝するしかありません。カミーラお姉様にもお礼を伝えなければ。お忙しいとは思うのですが、時間をいただけると嬉しいですわ」
「そう言ってくれないかと期待していたのよ。実は私からも頼みたいことがあって」
ベルはヴァークレイ公爵領でカミーラとキルヒウスの結婚式があることを話した。
王太子の新婚旅行に合わせて側近たちも休めるが、王都で結婚式を行うと互いの予定がかぶって調整するのが大変になってしまう。
そこで結婚式を領地で行うことで出席者を家族や親族だけに絞ることになった。
「カミーラのブライズメイドは私がするの。でも、サポートしてくれる女性がほしくて」
ヴァークレイやシャルゴットの親族である若い女性たちが集結するが、何かと頼みにくいこともある。
一番困るのは、ヴァークレイとシャルゴットのどちら側に頼んだかで揉めること。
そこで中立派のメロディに手伝って貰えないかとベルは思っていた。
「受験も終わっているでしょう?」
「そうですね」
「旅行にも慣れているわよね?」
メロディはピアノの国際大会に参加するため、他国まで行くことがあった。
「もしかして、出席日数が足りない?」
「大丈夫です。冬休みに出席日数を稼ぐための補習を受けました」
「無理にお願いするつもりはないの。でも、一応でいいから考えておいてくれる?」
「両親に話してみます。エスコートの件で過分なほどのご配慮をいただいているので大丈夫だと思います」
「例のものを増やすようお兄様に言っておくから」
ベルからの増箱チャンスが来た。
「よろしくお願いいたします!」
取引成立だとラブは思った。
「セブン、この後だけどどうする? エゼルバードの所に顔を出す?」
シャペルが尋ねた。
「今夜は免除だ。行かなくていい」
セブンはラブへ視線を移した。
「女王がいるからな」
「王女はかぶるからね」
「何かと騒がしくもある」
全員の視線が出入口へと向けられた。
まさに今、国賓当番に誘導された若い国賓達が次々とやって来た所だった。
その中には他国の王族もいた。
「国賓当番は大変だね」
エゼルバードの当番も大変だが、国賓当番よりははるかにましだとシャペルは思っていた。
今年は事前情報で何かと面倒を起こしそうな王女たちがデビュー者になっている。
エゼルバードが外務統括のため、外務省に丸投げできない。率先して王子府の方で対応しなければならなかった。
側近同士で調整するのは常だが、今回はパスカルが国賓当番になってくれたためにかなり助かったというのが本音でもあった。
「ようやく解放されるね」
国賓当番が受け持つのはこの広間へ案内するまで。
その後は若い世代で国際交流をして貰うため、各国賓のお目付け役や大使等が迎えに来るまでは自由行動になる。
「その後が問題でもある」
国賓当番の仕事がこの広間に国賓を連れて来るまでということは誰もが知っている。
そのせいでフリーになった国賓当番を狙う令嬢たちも集まっており、挨拶が終わるのを待ち構えている状態だった。
「では、迎えが来るまでこちらの広間でご自由にお過ごしください」
案内役の代表者がそう言った瞬間、これで終わりだと思った令嬢たちが一斉に動いた。
しかし。
「時間を取って頂戴。話したいことがありますの」
甲高い声はトルバール王国のブランカ王女のもので、伝えた相手はパスカルだった。
ところが、ターザナイト王国のマーリカ王女とクオーラ王国のジェンナ王女がパスカルの左右の腕にそれぞれ抱きついた。
「パスカルは私と過ごすのよ!」
「手を離しなさい! パスカルは私のエスコート役なのよ!」
「パスカル様、ダンスを踊りに行きましょう!」
ガーベラ王国のバラベル王女が三人を無視して誘いをかけた。
国内組よりも圧倒的に距離が近い国賓の王女たちによるパスカルの取り合いが始まった。
近づこうとしていた令嬢たちの足が止まり、その周囲を取り囲む壁のようになった。
「メインイベントが始まったって感じね」
「恐ろしいわ……」
「凄いことになったわね」
「ここにいて。パスカルに任せておけばいいから」
シャペルは真剣な表情でベルを引き寄せた。
「あの中に行けるわけがないわ」
パスカルに声をかけたのは王女たち。
いかにエルグラードが大国とはいえ、王族か貴族かという身分差は当然のごとく重視される。
この広場には若い者しかいないため、国賓当番が王女たちをなだめなくてはいけなかった。
「どうすると思う?」
「国賓だし王女だから難しいわね」
ラブとメロディはひそひそ話。
「こういう時は王族の身分がものを言うから」
「大公女は駄目?」
「統治者としての大公家か貴族としての大公家かで違うわね」
その間にも王女たちは自らの主張を戦わせ、パスカルと周囲はその状況を静観していた。
しばらくは膠着状態かと思いきや、新手が登場した。
「あらあら、随分と人気ね」
エルグラードに留学中の国外組が来た。
デビューはすでに終わっている女性たちで、取りまとめているのはオルコード王国のイライザ王女だった。
「ここにいるのは正式に社交デビューした者ばかりではなかったかしら? 未婚なのに男性の腕にしがみつくなんてマナー違反だわ」
厭味がたっぷり含まれた正論は嘲笑つきだった。
マーリカ王女とジェンナ王女は即座にイライザ王女を敵認定した。
「パスカルは私のエスコート役なのよ!」
「違うわ。私の相手役よ!」
意見がぶつかり合うが、にらみつける視線はイライザ王女に向けられたまま。
「もう少しお勉強してからデビューすべきね。パスカル、私たちと向こうへ行きましょう? お子様の相手は別の者に任せておけばいいわ」
助け舟とは言えなかった。
イライザ王女の誘いに乗れば、イライザ王女とその周囲にいる国外組に付き合わなくてはならない。
そして、四人の王女は猛烈に怒る。
デビューダンスを踊った相手に置き去りにされるというのは屈辱以外の何ものでもない。
抗議案件になるのは明らかだった。
……結構なピンチじゃない?
ラブはそう思った。
だが、こういう時こそ実力がわかる。
誰もがパスカルがどうするのかに注目していた。
「申し訳ありません。このあとは別の予定があります」
「あら、どんな予定なのかしら? 私たちよりも重要なことでなければ納得できなくてよ?」
「ヴェリオール大公妃のところに行かなくてはいけません」
パスカルが口にしたのはヴェリオール大公妃のことだった。
牽制であれば最も高位である王太子との予定があると伝えればいい。
だが、そう言わなかったのは本当にヴェリオール大公妃のところへ行く予定があるからだろうとエルグラードの若手貴族たちは思った。
しかし、国外組は違った。
「ヴェリオール大公妃?」
「側妃じゃない!」
「養女でしょう?」
「元平民だそうね」
「孤児だったと聞いたわ」
どれも本当のことであり、間違いではなかった。
「王太子に任せておけばいいでしょう?」
「そうよ!」
「今夜は第二王子と踊っていたわね」
「王太子の妻なのにおかしいわ」
「既婚者なのに」
「側妃だから自由なの?」
「王家で一番若いからでしょうけれど、周辺国の王女を相手に選べばいいのに」
「私もそう思ったわ」
国外組の女性たちはそれぞれが思ったことを遠慮なく口にしていた。
若い世代で交流するのが目的の広間だけに、言動は自由。
エルグラードにも同じような意見の女性がいないわけでもない。
しかし、今夜のヴェリオール大公妃は国外へのお披露目をするという意味においてのデビュー者。
既婚者ではあるが、王太子と婚姻したからこその披露でもある。
それをわかっていない。あるいはわかっている上でわざと言っている。
エルグラードの若手貴族たちはエルグラード王族妃への悪口だと感じ、ざわつき始めた。
「……王太子殿下だと言えば良かったのに」
メロディがこっそり呟いたのは本音。
ラブも同じように思った。
しかし、国賓に嘘をついたことがわかれば問題になる。
だからこそ、誠実な対応という意味を含めて本当のことを言ったのではないかと推察した。
どうするの?
ラブは不安になり、側にいる兄を見上げた。
セブンは黙ったままパスカルがいる方を見つめている。
シャペルも同じ。静観する気なのは明らかだった。
あの王女たちはバカなの? リーナ様は王太子の寵妃でレーベルオードの養女なのよ?
王女たちは明らかにヴェリオール大公妃であるリーナを軽視しているように見えた。
決定的な一言はなく、正論ぶった意見ではあるが、悪意が全くないとは思えなかった。
リーナを溺愛する兄であることを公言して憚らないパスカルが喜ぶわけがない。
ラブにとっては完全な敵認定だった。
許せないわ!
社交デビューした者は成人年齢に達していなくても、その言動は成人同等とみなされる。
冷静に。慎重に。問題を起こしてはいけない。全てがぶち壊しにならないように注意する。
この日のために両親も祖父母も一族も準備してきたことを思えば、我慢した方がいいことをラブはわかっていた。
しかし、胸に沸き上がる怒りと悔しさは増すばかり。
ここはエルグラードよ! 王太子の妻であるリーナ様を悪く言うのは無礼だわ! だというのに、なぜ誰も何も言わないのよ!
王族に喧嘩を売るのも国際問題になるのも利口ではないから。
わかってしまうからこそ、ラブの感情は高まっていった。
次代はヴェリオール大公妃派、そう言ったのはラブ自身だというのに、今は黙り込む令嬢の一人。
そんなの……私じゃない!
ラブは手を固く握りしめた。





