105 優しさの価値
すぐに心配そうな表情をしたセシルが側へ駆け寄った。
「大丈夫ですか? 何かありましたか?」
女性の化粧室から側妃候補が続々と出てきたため、セシルは心配していた。
「王女がルール違反をしたので、他の方々に注意されていました」
「そうですか。キフェラ王女はエルグラードについて積極的に学ぼうとされません。そう言ったトラブルはよく耳にします」
「そうでしたか」
「ここは普通の化粧室です。身分は関係ありません。他の方と同じようにしなければ、反感を買うことはわかっているはずなのですが」
「側妃候補だと優先されそうなのに、優先されないのですね」
「側妃になれそうもないので」
側妃候補の中から側妃が選ばれるということであれば、周囲も自然と気を遣う。
だが、何年経っても側妃候補のままで、誰も側妃に選ばれない。
王太子も王子たちも側妃を選ぶ気がまったくないのは明らかだった。
「側妃になれなければ、貴族の令嬢のままの身分です。王女も帰国してしまうでしょう。関係ないので、配慮しなくていいと思われています」
セシルは説明しながらリーナをボックスまでエスコートした。
すると、ヘンデルがいた。
「様子を見に来た。どんな感じ?」
「気になることがあったばかりです」
「そっか。何?」
セシルはリーナがキフェラ王女に会ったことや、化粧室で起きたことをヘンデルに報告した。
「気にしないでいいよ。何かあれば俺が対応する」
「ありがとうございます」
「リーナちゃんは優しいね。みんながリーナちゃんみたいに思えば、言い争う必要はない。次は気をつけようということで話がまとまる。周囲も嫌な気分にならない」
ヘンデルは優しくリーナに微笑んだ。
「でも、貴族の世界は優しくないことが多い。また同じようなことがあったら、すぐにその場を立ち去ること。そして、頼りになりそうな者や信頼できる者に状況を伝える。今日ならセシル、今なら俺。わかった?」
「わかりました。申し訳ありません」
「謝ることなんてない。リーナちゃんは良いことをしただけだよ」
三人は一緒に第三幕を観劇した。
今回のオペラはハッピーエンド。
恋人たちが無事結ばれ、リーナはとても喜んだ。
そんなリーナを見て、ヘンデルは思う。
真面目で優しい。そういう相手には、自分も優しくしたい。
そう思うのはごく普通の感覚だと。
ヘンデルはクオンの気持ちを理解できそうな気がした。
優しくない世界にいるからこそ、世界から優しさが消えてしまわないように守りたいのかもしれないと。
「もう一回招待する。今度は喜劇ね」
「このような体験ができるなんて夢のようです。ありがとうございます!」
「喜んでくれて嬉しいな。本当の招待者にも伝えておくよ」
リーナは思い出した。
オペラの招待状をくれたのはロジャーだが、手配すると約束してくれたのはクオンだった。
「お礼のお手紙を送ってもいいでしょうか?」
「手紙か」
ヘンデルは少し考え込んだ。
「いいけれど、普通に出されるのは不味い」
秘密の宛先をこんなことに使われたくもなければ、ロジャーたちに知られるわけにもいかないとヘンデルは思った。
「俺に出して。王太子府のヴィルスラウン伯爵宛で親展ね」
「わかりました」
「礼状を書くのも勉強になるよ」
「はい」
「じゃあ、またね。セシルも頑張って」
ヘンデルは王宮に戻るためにボックスを出ていった。
本当の招待者……。
セシルは優秀だからこそ、それが誰なのかを察してしまった。
ヘンデルはない。だが、ヘンデル宛で親展にする相手。
王太子。
しかも、また招待する気でいるとは……。
セシルの視線が変化したことに、リーナは気づかなかった。





