1048 お任せで
王宮へ到着後、メロディはヘンデルと共にデビュー者用の手続きをしに行った。
デビューダンスの予約確認を済ませ、デビュー者専用の入り口へ向かう。
他のデビュー者も並んでいるため、ドキドキしながら順番を待つことになった。
「少しお待ちください」
通常は一定間隔を空けて名前を読み上げる。
だが、重要人物だと判断されると、会場の注目を集めるためにわざとタイミングを変えるのだ。
メロディが重要なわけではなく、エスコート役であるヘンデルへの配慮。
「どうぞお進みください」
エスコート役であるヘンデルと共に一度止まり、名前を読み上げられてから足を進める。
一歩。また一歩。
ゆっくりになってしまうのは問題ない。重要なのはどんな自分を演出するか。
メロディは幸せいっぱいの淑女の仮面を選んだ。
そうでないと、ここまでお膳立てしてくれたヘンデル様に申し訳ないわ!
ふと気になってエスコート役のヘンデルを見上げれば、応えるよう顔が向けられた。
浮かんでいる笑みは自信と余裕に溢れた大人の男性のもの。
やっぱり……大物過ぎて私じゃ釣り合わない気がするわ。
年齢も一回り以上。多くの女性達と華やかな恋愛を楽しんできたであろうヘンデルから見れば、自分はちょっぴり顔が整っている程度の小娘でしかないとメロディは思った。
エスコートされるまま進むが、会場には知り合いと呼べるような者は見当たらない。
純白の舞踏会に出席できるのは本当に限られた者だけ。誰でも気安く参加できる催しではない。
この後はどうするのかと思っていると、ヘンデルが足を止めた。
「挨拶したい相手はいる?」
「ラブに。でも、いないように見えました」
もしラブがいれば、ウェストランド一派や第二王子派に取り囲まれている。
華々しい一団だけに目に入らないわけがない。
だが入場する際、そのような一団はいないように見えた。
「じゃあ、王太子派を偵察してみる?」
「お任せしますわ」
ヘンデルが足を向けたのは王太子派の若手貴族が集まる場所だった。
「クレマン!」
「ヘンデル様!」
直接声をかけたのは金髪碧眼の美青年。
クレマン・ラクローワだわ!
ラクローワ公爵の孫で子爵。二十二歳。王立大学法学部を首席で卒業後、司法省に入省。王太子派の若手における注目株の貴公子。
今年は妹のゾエが社交デビューするため、エスコート役を務めている。
「お役目ご苦労さん。妹君に声をかけても?」
「ぜひ。お声をかけていただければと期待しておりました」
「デビューおめでとう」
「ありがとうございます。ヘンデル様にお声をかけていただけるなんて光栄ですわ」
ゾエ・ラクローワ。十八歳。正統派美人風味。
王立学校高等部を卒業予定。王立大学への進学を希望しているが、社交に比重を置いてきたツケで成績はイマイチ。
三人の家庭教師をつけ、二次試験と面接に向けた追い込み勉強をしている最中。
ラブから裏事情たっぷりの情報をメロディは仕入れていた。
「ヘンデル様、お連れになられている可愛らしい方をご紹介いただけませんか?」
クレマンは柔かい微笑をメロディに向けた後、ヘンデルに尋ねた。
入場時に名前を読み上げたわよ。聞いていなかったの?
というツッコミはメロディの心の中だけ。
挨拶には挨拶。紹介には紹介。お決まりの社交辞令だ。
「キュピエイル侯爵令嬢だ。ヴェリオール大公妃のブライズメイドのサポートメンバーを務めた縁で、妹と親しくしている」
キュピエイル侯爵家は中立派。どちらかといえば第二王子派や身分主義者より。
普通に考えれば依頼されても断るが、妹の知り合い。しかも、ヴェリオール大公妃関連。
王太子だけでなくヴェリオール大公妃付きの側近を務めるだけに、ヘンデルが引き受ける理由としてはおかしくない。
「クレマン・ラクローワです。それから妹のゾエです」
「よろしくね」
ゾエは簡単な挨拶だけで済ませた。
正式に挨拶をするのであれば、ゾエ・ラクローワと名乗る。
そうしないのはデビューした者同士ということではなく、格下の侯爵令嬢かつ王立学校の生徒ではないことへの軽視だろうとメロディは感じた。
「メロディ・キュピエイルです。デビューしたばかりですが、よろしくお願いいたします」
不作法者にならないようメロディは正式に名乗ると微笑んだ。
「クレマンの周囲は若いなあ。せっかくだから、名前を教えてくれる?」
「ご挨拶したい者ばかりかと。ナイゼルからどうかな?」
「ナイゼル・クロワットです。財務省に所属しております」
クレマンの親友兼取り巻き筆頭。
クロワット公爵家の孫。次男で受け継ぐ爵位がない。婿養子物件を探している。
一人娘であるメロディにとっては要注意人物だ。
「キュピエイル侯爵令嬢にもご挨拶と祝福を。デビューおめでとうございます」
「ありがとうございます」
メロディは愛想よく答えたものの、最低限にした。
いわゆる塩対応。婿養子は却下の意志表示。
ナイゼルは表情筋を固定したまますぐに顔の向きを変えた。
自分も興味がないと示している。
察しがいいのは悪くない。優秀な証拠だ。
次々と挨拶と祝福とお礼が続く。
社交の場においては恒例だが、メロディにとっては退屈なひと時でしかない。
素敵な恋人や条件の良い結婚相手を手に入れるべく愛想を良くするのが普通だとわかっているが、メロディにはその気がなかった。
下手に繕うと、婿養子狙いも含めた男性陣が脈ありと感じてやってくる。
最悪なのはストーカー。
どこに出かけても偶然会う相手が増え、互いに牽制や口論を始める。
そんな状況は見たくもなければ遭遇したくもない。
「キュピエイル侯爵令嬢は社交がお好きではないと聞いたことがありますわ」
男性達が仕事関連の話題を始めると、ゾエはメロディに話しかけて来た。
「せっかく純白の舞踏会に参加されているのに勿体ないわ。ヘンデル様のご配慮をおわかりになられていないのかしら?」
好きに楽しめばいいって言われているけれど?
だが、そうは言えない。自身の立場を考えれば。
「華やかな場には慣れていないので、お邪魔をしてはいけないと思って」
メロディはそっと視線を下げ、自身の見た目と相性抜群な気弱さを演出した。
あざといという者もいるが、社交界では誰もがしていること。
珍しくも何ともない。
「正式にデビューをした以上、淑女らしく振る舞わないと。会話に加わって楽しむことも大事よ」
面倒そうな女性ね……。
それがメロディの本音だが、社交の場に来たからには仕方がない。
「社交も大切ですわね。私はまだしばらく学生ですので、学業も大切にしたいと思っています」
「あら、社交で知り合う者も大切よ。学校では出会えない方が沢山いるもの。狭い世界で満足していては、広い世界の素晴らしさを堪能できないわ」
ゾエは自身のテリトリーである社交にこびりつきたいようだとメロディは感じた。
ならば、仕掛けてみる。
「もしかして、進学されないのでしょうか?」
「するわよ」
「どちらに?」
「受験中よ。王立大学や有名な大学はこれからでしょう?」
「私も受験中です。同じですわね」
同意して終わりにすれば互いに無傷。
それがわかっていないか、どうしても相手に勝ちたいなら続きをうながす。
「どこを受けるの?」
「気にされることではないような?」
最後の慈悲。メロディにしてみれば。
「気になるから聞いているのだけど?」
「王立大学音楽学部音楽学科ピアノコースですわ」
ピアノを志す者にとってはエルグラード最難関。
「そこまで詳しく言うならかなりの自信があるようね?」
「王都大会での受賞歴はありません。そのせいで知名度もありません」
「大変そうね」
ゾエは笑みを浮かべた。取り巻きの令嬢達も。
「エルグラード代表として国際大会へ参加しないといけなくて」
メロディは不敵な笑みを浮かべた。
極悪美少女の登場だ。
「エルグラード音楽大学やエルグラード音楽院なら特待生になれたのですが、両親が王立大学を希望していて。一次の専攻実技は一位通過の通知が来ました」
王立大学の音楽学部は専攻実技至上主義。
誰でも本試験を受験できるわけではなく、夏から始まる専攻実技の予選にエントリーして高得点をはじき出した者だけが本試験に申し込める。
一次試験を受けられることがすでに国内トップクラスの実力者の証。
二次試験を通過するのは国際的に通用する者か極めて才能があると思われる逸材のみ。
王立大学は音楽だけに特化した大学ではないため、音楽部の定員自体が少なく、極めて狭き門だということをメロディは説明した。
「ご存知とは思ったのですが、ピアノの練習ばかりでお話しできるようなことが少なくて」
ゾエの表情は一変していた。
「ピアノコース受験者の首席で合格できるかどうか不安ですわ。両親の期待に応えるのも大変です」
返事なし。無言。
取り巻きの令嬢達の笑みも消えていた。
せっかくヘンデル様がブライズメイドのサポートメンバーだったと言ってくれたのに、活かせなかったわね?
親族でもないのに選ばれたのは、王家や国が評価するだけの理由があったからに他ならない。
詳しく知らなくても、多忙なはずのヘンデルがエスコート役をしている時点で気を付けるべきだったのだ。
「俺から詳しく伝えるべきだったかな?」
頃合いだと判断したヘンデルが割り込んだ。
「エスコート役としては、面倒な者が近づくのは避けたくてね」
「ヘンデル様のご配慮には常に感謝しておりますわ。このような場に慣れていないせいかつい話し過ぎてしまいました」
「もう少し会場の様子を見に行こうか。それとも飲み物を取りに行く?」
「お任せ致しますわ」
「じゃあ、寄り道しながら飲み物を取りに行こう。失礼するよ」
「ぜひ、また」
ヘルマンが惜しむように告げた。
すると、
「どうしようかな?」
ヘンデルの言葉にヘルマンの表情が硬化した。
ゾエや周囲も同じく。
「まあ、デビューしたばかりだから見逃しておこうか。勉強不足だとしてもね」
メロディはヘンデルの対応力の凄さに驚いた。
ゾエは大物であるヘンデルに勉強不足と判断された。
メロディにちょっかいをかけたからなのは言うまでもない。
ゾエがメロディの悪口を言いふらせば、ゾエの勉強不足や失敗を宣伝される。
何も言えない。報復されないよう黙るのが利口だ。
「行こうか、姫君?」
「デビューしたので、名前でお願い致します」
「ごめんごめん。騎士というより親戚のおじさんみたいだったなあ」
「おじさんではありません。ベルお姉様のお兄様です」
「ベルに感謝しておこう。メロディにも」
完勝気分だわ!
メロディは本心からの笑顔を浮かべて移動した。
だが、それだけではなかった。
「嬉しそうだね?」
「楽しんでいます」
「良かった。でも、アフターフォローもするから」
エスコートは一夜のみ。
だが、社交界で純白の舞踏会の話題が出るに決まっている。
メロディの評判が悪くならないよう対応するということだ。
「安心です」
「それだけ?」
「ありがとうございます」
ヘンデルは首を傾げた。
「おかしいな。おねだりタイムだよ?」
お芋!!!
メロディは叫びたい気持ちを必死に抑えた。
「まあ、欲しいものはわかっているから大丈夫」
本当に?
メロディは疑った。
普通はわからない。なぜなら芋だから。
「取りあえず、最高級品を一箱。今夜の状況次第では増える。何箱になるか楽しみだね?」
間違いなくお芋だわ!!!
メロディは満面の笑みを浮かべた。





