1042 三人での夕食
珍しくリーナの方が後から来ると、夕食の席にはクオンだけでなくエゼルバードもいた。
「今夜は私も一緒させて貰いますよ」
エゼルバードは席を立つと、侍従の代わりにリーナの椅子を引いた。
「座りなさい。特別な夕食会ですからね」
「特別なのですか?」
「リーナを労う夕食会です」
エゼルバードはリーナの椅子を直して席に戻る。
軽食販売のプレオープンが終わったこと、リーナの働きを労うための乾杯が行われた。
「完売したそうですね」
「売れ残りが出なくて良かったです。食品ロスを増やしたくはないので」
「売れ残るわけがありません。皆、美味しいと喜んでいましたよ。リーナの優しい気持ちが多くの者を助け、笑顔につながったのです」
エゼルバードは次から次へと賛辞の言葉を告げた。
「来週からは正式な販売が始まりますね。王子府の者は数量が増えることを切望しています。あまりの行列に諦めた者が多数いたようです」
リーナの表情が曇った。
「エゼルバード様のお耳に届くほど、多くいたのですね」
初めの計画では王太子府と王子府で販売して欲しいという要望だったが、買い物部の販売員の数を考えると難しく、販売場所は王太子府のみになった。
王子府の者は王太子府まで買いに行かなくてはいけない分、不便になってしまった。
「私や側近はシャペルのおかげで試食することができましたが、女性側近の分が全く足りませんでした。十倍の価格で予約したいという意見も出ていましたよ」
「十倍ですか?」
本当に十倍の価格で売れば、相当な利益が出る。
だが、実際に十倍の価格で販売することはない。
なぜなら、リーナがしているのは利益だけを求める商業行為ではない。
後宮や王宮で働く者の福利厚生。より正確に言うのであれば、借金返済や出費を節約したい者への支援なのだ。
「それほどの価格で売れたらかなりの売り上げになりそうですね。でも、お金に困っている者や節約したい者のために販売しているので……」
「わかっていますが、最初はどんなものか知りたいと思う者が多いでしょう。売れる時に売ることも大切ですよ」
多く売れるほど多くの人々にリーナの取り組みを知って貰える。
認知度を広めることで、協力者や賛同者を増やすこともできる。
「王太子府や王子府における福利厚生であるなら、所属する全員に軽食を購入する権利があります。個人の財布の中身だけで売るかどうかを区別するのは不公平になってしまいます」
「そうですね」
後宮でも同じだ。
後宮にいる全員が軽食を買うことができる。
借金があるかどうか、財布のやり繰りが厳しいかどうかで購入権が変化するようなルールはない。
どうしても空腹で我慢できない者でなければならないということでもない。
欲しい者が現金で買う。その日の分が完売したら終わり。
シンプルだ。
「王子府の者は王太子府まで買いに行くのが大変です。そのせいでプレオープンが終わったばかりであるにもかかわらず、軽食販売についての嘆願書が提出されました」
嘆願書が提出されることを悪く感じる者もいる。
しかし、エゼルバードは官僚達の対応の速さは優秀さのあらわれであり、それだけリーナの取り組みが注目され、なおかつ期待されている証拠だと感じた。
「リーナや後宮にとって、王子府の官僚が軽食を買えるかどうかについての重要度は低いかもしれません。ですが、優秀な官僚達を味方として取り込むチャンスです」
一般的な認識として、王家は国民の支持、とりわけ貴族の支持を重視すると考えられている。
しかし、官僚もまた重要だ。
なぜなら、王家や国への忠誠心が高い者が多く採用されており、統治をしていくためには不可欠な存在だからだ。
「何をするにも自身の味方が多い方がいいに決まっています。リーナの取り組みを応援したい者達の気持ちを無下にしてはいけません」
エゼルバードは嘆願書の写しを届けさせるため、明日にでも確認するよう言った。
「どのような要望が出ているかを把握しておくだけでも意味があります」
「わかりました。嘆願書の写しが届くのをお待ちしております」
「明日は合同会議があるのですが、何かあれば伝言をしなさい。時間を調整して相談に乗りますよ」
「はい。ありがとうございます」
「話だけでなく食事もするように」
区切りがついたところでクオンが声をかける。
リーナとエゼルバードが食事を進め始めると、先に食べ進めていたクオンが王太子府における軽食販売の状況を説明した。
「王太子府での評判はかなりのもので、皆喜んでいるようだ」
味も量もいい。価格も非常に安い。
官僚食堂の食事と比較すると、桁違いの満点。最高評価だ。
販売のために来る女性達の対応も非常に良く、称賛する声も上がっている。
「ただ、販売数には限りがある。買いたくても買えない者もいた。並ぶために時間がかかってしまい、仕事時間が延長してしまう者も多かった」
まとめ買いした者達は自身だけで独り占めすることなく、同じ部署の者に配っていた。
一人が何人分もまとめて買うことで、全員が並ぶ手間を省き、仕事時間が減らないようにもしていた。
そのような工夫をしても、結局は誰かが並ばなければならない。
軽食を手に入れるべく早々と並んだ者も多かっただけに、規定の昼食時間内に収めることができず、勤務時間を延長させる者が多く出た。
「軽食だけに食べる時間は早いが、並ぶ手間と時間がかかり過ぎてしまう。その点については改善して欲しいようだ」
「そうですか」
食事をしながらリーナは考えた。
全体的な評価としては良いかもしれないが、細かい部分まで完璧ではなかった。
それはわかっているが、改善するには人手が必要だ。
そうなれば予算も必要になる。
「現在の人員で黒字にできるかわかりません。二月の収支が黒字なら、人員を増やしたいと思います」
「普通はそれで構わないでしょう。ですが、私は賛成できません」
エゼルバードは穏やかな表情を保ち続けつつも、リーナの考えに反対した。
「先ほども言いましたが、売れる時に売るべきです。商品がすぐになくなってしまうような状況が続けば、買うことを諦める者が多くなるでしょう」
元々全員が買えないことはわかっている。
並んでも買えないと思うようになれば、並ぶことも買うことも諦める。
王太子府や王子府の官僚は多忙だけに仕事が最優先。
食事を抜いてでも仕事をする者が相当数だけに、軽食販売へ見切りをつけるのも早い。
そうなれば、軽食販売の売れ行きは悪くなる。
一か月後に増員するのでは遅い。
その時にはすでに見限られているため、期待に応えたことにならないばかりか、今更だと思われてしまう。
「人件費がかかるのはわかりますが、その点は私や兄上の方で支援ができます。すぐに増員しなさい」
「人事案件は私の権限だけでは無理です。宰相閣下が許可をくれるかどうか……」
エゼルバードは笑みを浮かべた。
「大丈夫です。明日の合同会議で宰相と会いますので、許可を貰っておきます。兄上、よろしいですね?」
「わかった。ただ、押し切れるか?」
「お任せを。明日しか使えない最強のカードがあるのです」
「何だ?」
エゼルバードは一瞬だけリーナを見た。
「詳しくは言えません。ただ、宰相が私を怒らせれば、明後日は最悪の状況になるでしょう」
「なるほど」
クオンはすぐに察した。
明後日は純白の舞踏会。
宰相の娘ラブが社交デビューする。
当然のことではあるが、エスコート役はセブン、ダンスの相手はロジャー、花を添えるのは側近達。
だが、エゼルバードが仕事だと言って全員を招集すれば、ラブのデビューは最悪な状況に陥る。
宰相もウェストランドも望むわけがない。
「止めても無駄ですよ。兄上と違って私はこのような手を平然と使う性格なのでね。そもそも、この程度のことにカードを切るのであれば、感謝されてもいいほどです」
「お前らしい」
弟が弟なら兄も兄。良くも悪くも慣れていた。
「誰しも愛する者のためであれば、なんとかしたいと思うもの。兄上にも心から感謝しています。夕食をご一緒することができました。毎日お願いしたい気分ですよ」
クオンはワイングラスを手に取ると、中身を味わった。
あえて無言。
それがエゼルバードへの返事だった。





