1032 審査を終えて
リーナは目覚めた時に思った。
三十一日だわ……。
今日で一月が終わる。
明日からずっと立ち入ることができなかった後宮に行けるようになる。
新年を迎えた後、リーナは一カ月も後宮に行けないと思った。
だが、新年謁見をこなしながら執務室であれこれ考えて過ごした結果、予想以上に早く過ぎ去った。
しかも、充実した日々だった。
自分のやりたいと思うことや興味を引くことに関わっていけるのはとても楽しい。
幸せだ。恵まれていると思う。
現在は。
幼い頃、いつも通りの明日が訪れることを微塵も疑わなかったリーナにつきつけられたのは、両親との生活が夢のように消えてしまった現実だった。
それでも、いつかきっと幸せになれる。
リーナはそう信じて生きて来た。
そして、同じように思っている人々が大勢いる。
いつか幸せになれることを信じて生きている。
今日はリーナの知る六人にとって、人生に関わるような重要な日だった。
何かしたい。
リーナはそう思った。
しかし、審査は公正でなければならない。
六人の邪魔をしてはいけないと言われている。
応援するために声をかけることさえできない。
私にできることは……。
リーナは考えた。
「おはようございます」
朝の挨拶をしてきたレイチェルにリーナは挨拶を返し、身支度を整えた。
「では、食堂の方に」
「その前にいいですか?」
リーナは先に確認したいことがあった。
「なんなりと」
「神様にお祈りしたいのですが、私でも利用できる場所はありませんか?」
珍しいとレイチェルは思った。
リーナは神の存在を信じているが、信心深い方ではない。
困ったことがあっても、自分でできることを考える。
神に祈りを捧げて何とかして欲しいと頼むような性格ではないことを知っていた。
「何かお困りのことでもあるのでしょうか? ことによっては私の方でなんとかできるかもしれません。ご相談いただけないでしょうか?」
「公正さを考えると、神様がいいのです」
公正さ? もしかして……。
レイチェルはわかったような気がした。
「王族専用の礼拝堂をお使いいただけます」
「私は王族ではありませんが、いつでも利用できるのでしょうか?」
「王家の方であれば利用できます。ですが、祭壇の手前から祈ることになります。朝食後に向かわれますか?」
リーナは腕時計を見た。
「いいえ。できればすぐに。審査が始まる前にお祈りしたいので」
レイチェルも側に控えている侍女達も理解した。
リーナが神へ祈りを捧げるのは審査を受ける友人達のためであることを。
そして、午後。
朝から複数の会議があったせいで、リーナはいつもより遅いお茶の時間になった。
そこにクオンが来るという先触れがあり、侍女達が追加でお茶の準備をするよりも早くクオンが姿をあらわした。
「結果を伝えに来た」
リーナは瞬時に緊張した。
六人の審査のことだとすぐにわかった。
「全員、合格だ」
「ありがとうございます!」
リーナは勢いよく立ち上がり、深々と一礼した。
「最初は失敗したりご期待に沿えないことがあるかもしれません。でも、真面目に懸命に頑張るはずです。どうかそのことを信じて下さい! よろしくお願い致します!」
「わかっている。とにかく座れ。私も座る」
リーナが座ると、クオンもリーナの隣に移動して座った。
「安心させるためにも簡単に伝えておく」
六人は最終審査に合格したため、二月一日付けで採用される。
「ロビン・デナン・ピックの三人は第一王子騎士団の従騎士として採用する」
三人は一カ月の体験期間で目覚ましい成長を見せた。
一部の技能については王宮騎士団の騎士同等あるいはそれ以上とみなされるほどの好評価が出た。
しかし、学ぶべきことは多くある。
「一年間は内部評価に関係なく従騎士にする。失敗を恐れることなく、様々なことに挑戦しながら学んで欲しいからだ」
良くも悪くも特別な扱いをするかもしれない。
しかし、これはリーナの友人だからではない。
長年に渡って第一王子騎士団に従騎士がいなかったため、どのように対応したり評価したりしていくかを見直しながら対応していくためだ。
クオンは社会的弱者を支援していく計画とは別に、第一王子騎士団の見直しと改善にも三人を活用していくつもりだった。
「女性の方はヴェリオール大公妃付きの侍女として採用する」
「ヴェリオール大公妃付き? 後宮ではなく?」
「公務のために人手を増やす。同じ環境で育ち価値観を共有できる者が側にいれば心強いだろう?」
「そうですね」
「慈善活動に取り組むのは非常に素晴らしいことだと思っている。だが、炊き出しの度に王族妃が貧民街に行くのは難しい。そこでお前の考えや現場を良く知る者に担当させ、派遣するようにして欲しいのだ」
ヴェリオール大公妃という身分のせいで、リーナ自身では難しいことも出て来る。
それを補うため、側近を始めとした大勢がいる。
新たに採用する三人もその一員だ。
「最初は伝令程度かもしれないが、ゆくゆくは現場の指揮が取れるように育てていけばいいだろう。チャリティーハウス周辺の事情を知っていることも活かせる」
「そうですね。でも、今は慈善活動よりも買物部の方を手伝って欲しいのですが?」
チャリティーハウスは工事中のため、それが終わってから慈善活動をしようとリーナは考えていた。
「構わない。正確にはヴェリオール大公妃の執務室付きだ。側近補佐のカミーラ達と同じく、状況に応じて仕事を与えればいい」
ヴェリオール大公妃付きの侍女だけに、リーナが管轄している仕事であれば関わることができる。
そして、三人は王太子付きではなくヴェリオール大公妃付きの専任だけに、リーナの指示で動かしやすい。
「人事のことだけに、私の方から父上と宰相には話を通しておく」
「わかりました」
「何か聞きたいことはあるか?」
「六人はどこに住むのでしょうか? 第一王子騎士団の寮と……王宮ですか? 後宮ですか?」
「王宮だ。王太子付き侍女と同室になるだろう」
三人は王族妃付きだが、階級的には王族付きの中に含まれている。
最上級の侍女の立場になるため、それに相応しい言葉使いや礼儀作法を覚えなければならない。
先輩である王太子付き侍女達と同室にすることで、日常的に経験しながら教えていく。
「今は側妃候補付き侍女の制服を貸与していますけれど、王族付きは私服勤務ですよね? お金がかかると思うのですが、何とかして貰えるのでしょうか?」
「生活する上で必要なものはこれまで通り用意する。但し、一年間だけだ」
体験中や採用後の生活においてどの程度の経費がかかるのかを調査するためにも、必要な経費は全てクオンが出す。
借金にはならないが、一年間の生活は購入物を含めた個人情報を知られてしまうことにはなる。
「二月から給与が出る。嗜好品はそれで買えばいい」
「では、生活上困ることはない……ですよね?」
「衣食住は保証するが、対価は求める。私達に尽くすことだ」
クオンはリーナをまっすぐに見つめた。
「六人は努力したが、覚悟もした」
リーナがヴェリオール大公妃だと知っている。
その上で、身分差を受け入れながら真摯に働き、友人として相応しく思われるよう努力していくことを約束した。
「私が六人を雇うからには、リーナも覚悟をして欲しい。友人かもしれないが、ヴェリオール大公妃としての公正さを忘れないように。いいな?」
「わかりました」
「そろそろ執務に戻る。この後は友人達との時間を楽しむといいだろう」
クオンは立ち上がった。
「友人達との時間?」
「通せ」
「かしこまりました」
レイチェルがすぐに返事をすると、部屋に待機していた侍女がドアを開けた。
あらわれたのはリリー、ハイジ、ジゼ、ロビン、ピック、デナンの六人。
「友人を大切にしようと思う心は素晴らしい。私的な交流を続けるのは構わないが、状況に応じて公私混同を避け、相手の立場を十分考慮するように」
「はい! 本当にありがとうございます! 友人達との時間を楽しみます!」
「私のせいでリーナは友人とお茶を楽しむことさえ自由にできない。古くから妻を知る者として、力になってくれるのであれば嬉しく思う。ゆっくりしていけ」
クオンは六人に声をかけると部屋を退出した。
緊張していた六人は返事をしていいのかどうかもわからず困ったが、深々と一礼することだけは忘れなかった。
「リーナ様、ご友人達とお茶を楽しまれる前に、自己紹介をしたく存じますがよろしいでしょうか?」
レイチェルは六人を厳しい視線で睨んだ後、許可を求めた。
その迫力にリーナは思わずたじろぐ。
「はい。どうぞ……」
「では、改めて。私は王太子兼ヴェリオール大公妃付き侍女長を務めるレイチェルです。ここは王宮にあるヴェリオール大公妃のお部屋。リーナ様への無礼は絶対に許されません!」
どう見ても怖い系だ。
六人は即座にそう思った。
「ですが、積もるお話もあることでしょう。リーナ様がお許しになられることは大目にみます。とはいえ、リーナ様の好意に甘えてばかりではいけません」
少しずつ礼儀作法を身につけ、公私混同によってリーナ様だけでなく自身の立場を悪くしないよう注意しなくてはいけない。
「礼儀作法でわからないことは私や侍女達に聞き、正しい知識とマナーを身につけるように。それがリーナ様の友人に求められる義務であり資格です。わかりましたね?」
「はい!」
「わかりました!」
女性三人と男性三人、それぞれで返事が揃った。
それは侍女や騎士の訓練を受けた成果でもある。
レイチェルはゆっくりと頷いた。
「では、すぐに全員分のお茶の準備を致します」
「お願いします!」
リーナは自身もまた率先して王宮のことを教えていこうと思った。
「王宮では座る場所についてもルールがあります。同じソファに座る相手には気を付けないといけないので、女性はこっちに座って下さい。向かい側が男性です」
一番わかりやすいのは男女で分けることだ。
夫婦や家族、血縁関係がある異性同士は関係ないが、友人同士の場合は注意しておいた方がいい。
「リリーとロビンは夫婦なので一緒のソファでもいいのですけれど、そのことを知らない人が見ると変に思います。なので、無難な男女別にしておきますね。それから身分の高い者や年長者ほど上座です。ドアから遠い方にデナンとハイジは座って下さい」
「わかった」
「さすがね。私達よりも詳しいわ」
「ここでは大先輩だね!」
「私もまだまだ勉強中です。わからないことがあったらどんどん聞いて下さい! 一緒に勉強していきましょう!」
リーナは笑顔で答えた。
「こうして全員でお茶を楽しめるなんて夢のようです。審査合格、おめでとうございます!」
「ありがとう! リーナのおかげよ!」
「そうだよ! リーナがいなければ、こんなチャンスなかったもん!」
「そうだね。リーナのおかげで思いがけない大幸運を手に入れた」
「リーナのおかげで人生が変わったわ」
「心から感謝している。リーナのためにも懸命に励むつもりだ」
「俺も全力で頑張るぜ! いつか絶対に騎士になってやるからな!」
リーナは微笑んだ。
「そう言ってくれて嬉しいです。でも、合格したのは皆が一生懸命頑張ったからです」
リーナはクオンに何とかして欲しいと頼んだ。
それはチャンスになったかもしれないが、審査に合格できるかどうかは別だった。
一カ月間、六人は懸命に頑張り続けた。
努力。それもまた能力の一部だ。
合格を掴み取ったのは、紛れもなく六人の実力だとリーナは思った。
「昔、クオン様に言われました。最初は誰でもわからないところから始めるって。それでも少しずつでも向上していけばいいって。皆もそう思って頑張れば、クオン様は必ず認めて下さいます!」
「そうね。もっともっと色々なことができるようになりたいわ!」
「買物部の軽食販売が始まったら、絶対に売り子ナンバーワンになるもんね!」
「帳簿付けをもっと素早く正確に行えるようにしたいわ」
「弓の練習も始まるのかなあ?」
「訓練内容が増えるだろうな」
「教官から一本取って、リリーに毎日会いたい……」
六人はこれからも努力を続け、仕事だけでなくリーナの友人としても相応しいと思われるよう頑張ることを宣言した。
「全員、努力仲間ですね!」
「生まれついての才能がなくても、努力ならできるわ」
「努力なしに能力を向上させるのは難しいだろう」
「リーナは何を頑張っているの?」
「勉強じゃん? 礼儀作法とか」
「王族妃だと大変そうね」
「それもありますけれど、今は買物部のことですね。その次は慈善活動です。チャリティーハウスの工事が終わった後に何かしたいと思っています」
現在、チャリティーハウスは工事中だけに慈善活動は一旦休止している。
但し、何もできていないわけではない。
工事期間中は求人募集がある。
「ほとんどは工事のための一時的な雇用なのですが、施設管理に関わる職種で女性の雇用も検討してくれるそうです」
「女性も雇用してくれるなんて嬉しいわ。応募者が殺到しそうね」
「絶対に喜ばれるよ!」
「春になれば求人も増えるから、一時的な雇用でも嬉しいと思うわ」
「また炊き出しとかをするなら手伝うよ。ボランティアが必要だよね?」
「俺も手伝う!」
「現地に詳しいからな」
「ありがとうございます! 頼りにしているので、よろしくお願いします!」
次々と新しい話題が取り上げられ、友人同士のおしゃべりが盛り上がる。
リーナと友人達は心からの笑顔を浮かべながら、再会と合格のお茶会を楽しんだ。





